塵も積もれば山となる。
このことわざは日本古来からあるもののひとつで、小さなことでもコツコツ積み重ねていくと、山のような実績になって残る。といった意味ですが、この奥には人間無駄なことはない。ということを言いたいのでしょう。
私がまだ小学生だった頃、父がこんなことを言いました。
ある中国人の逸話です。
一人の中国人が毎日、庭の土を掘っている。
当時統治していた日本の軍人が、「お前何している」と尋ねるんですね。
答えて「山を作っている」と。
山というのは、築山か?と軍人が聞くと、庭園の庭ではなく、あの高い山だ、というんですね。
で、それは無理だろう。というと、私ができなければ、私の意思を息子が継いで同じようにやれば、何代か後には山ができる。というんですね。
中国人大虐殺があったとき、殺戮される側の中国人は、いくら日本人が中国人を殺しても殺しきれない、といったそうです。
数万の軍隊で、当時4億といわれた中国人を全部殺害するのに何年かかると思うか?というんですね。
これは国を個として見ていない、当時のいわゆる蒋介石率いる国民党政権時の、中国人思想を表す考えの代表格だったようで、スパイ活動で国民に紛れ込んで仕事をしていた父は、中国には勝てないなと感じたそうです。
もちろん今の共産党政権の中国ではなく、国家としての個ではなく、家族を個として考えた時代の中国という意味ですが、家族という個は人間一人の個ではなく、連綿と生命が続くことを意味しています。
イルカというのは、自分一人の得た知識を、テレパシーのようなもので、一気に共有できるため、実は人間より頭脳が発達しているとも言われます。
子どものために財産を残す。
そのために親は苦労する。
では、その子はすべてを享受して、幸せな一生を送れるのか。というと、その子はさらにその子の子のために、一生懸命働くという人間の考えでは、個の進歩はあっても、連綿と続く人間としての進歩は望めないんですね。
イルカの世界なら、誰かがノーベル賞をとれる能力があるのではなく、脳そのものがネット環境のように、すべて共有しているため、すべてのイルカがノーベル賞を受賞できる能力にあることになるんですね。
塵も積もれば山となる。
というのは、共有という精神を持つイルカには通用しても、個の欲得しか考えない人間には、塵が積もれば粗大ごみしかならない人の方が多いということです。
人類が繰り返し戦争していることも、知識を我がものとし、共有しようという意識のない人間の進歩のなさがあるからでしょう。