ニュースにみる伝えられていないものの検証/公募小説、新人賞突破のアドバイス | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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これは、大変重要な要素を含んでいますから、ニュース記事と合わせて、何度も読み返してください。

問題のニュースというかデータ記事はこれです。

保護者が“子どもに見せたくない”番組、7年連続『ロンハー』がワースト首位
(ORICON STYLE - 05月13日 16:43)

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子供に見せたくない番組TOP5 7年連続『ロンドンハーツ』が1位に(データ出典:日本PTA全国協議会)
 日本PTA全国協議会は13日、小学5年生と中学2年生の保護者らを対象にした『子どもとメディアに関する意識調査』のアンケート結果を発表。保護者が子供に“見せたくない”テレビ番組は、お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号が司会を務める【ロンドンハーツ】(テレビ朝日系)が7年連続で1位という結果となった。一方の“見せたい”番組は4年連続で【世界一受けたい授業】(日本テレビ系)が1位となった。

【芸能人事典で読み解く】“ロンハー”で全国的人気を得た、お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号

 今回の調査で「子どもに見せたくない番組」が【ある】と答えたのは、小学5年生保護者(27.5%)、中学2年生保護者(21.2%)。今年で7年連続ワースト首位となったロンハーには「内容がばかばかしい」(74.4%)、「常識やモラルを極端に逸脱している」(48.8%)、「言葉が乱暴である」(48.2%)という項目にチェックする保護者が多く見られた。続いてワースト2位にアニメ【クレヨンしんちゃん】(テレビ朝日系)、3位にバラエティ番組【めちゃ×2イケてるッ!】(フジテレビ系)が挙がった。

 対照的な子どもに“見せたい”番組では、4年連続トップの『世界一~』が「知識が豊富になる、学習の助けになる」(58.5%)や「内容が役に立つ」(57.4%)という理由が挙げられている。そして2位にはクイズ番組【Qさま!!】(テレビ朝日系)、3位には動物の生態系を知る【ダーウィンが来た!】(NHK)が登場し、いずれも知的好奇心を刺激する番組が支持された。

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まずこのデータでの矛盾点です。
親がみせたくないとする以上、親は見ているはずです。
一体、何度、彼らは見て、みせたくないと判断したのか。
さらに、どの部分を見て、これはみせられないと判断したのかを、少なくともデータを出す以上、明記すべきことだと私は思っています。

マスコミというのは、大衆操作を、意識的、あるいは気づかぬ状況で犯してしまうことがあり、大げさではなく、冤罪を生み出すひとつの原因も、私はマスコミのこうした姿勢にあるとも思っています。

たとえばトップにあげられているロンドンハーツという番組。
少し検証してみましょう。

内容がばかばかしい。
というのがありますが、アンケートにあったはずの、ばかばかしいとする具体的部分がないため、何を持ってばかばかしいとジャッジしたのか、本質的な部分がわかりません。
常識やモラルを極端に逸脱している。
これも同様ですが、私が見ていて、司会を担当している今どきの男の子のほうは、今どきにしてはましな話しかたで、むしろ、まじめに進行している感も覚えるぐらいです。バラエティですから、多少の笑いを取るための行き過ぎはあるでしょうが、私なら許せる範囲であり、仮に子どもと見ても、お前はこういう言い方ではなく、きちんとことばを使いなさいというように、反面教師として使える分、親からすれば教育効果のある番組だと思います。
つまり、こういう意見もあったと思うということです。
が、このデータでは、そういう少数意見を抹殺している。
つまり大衆操作をすることで、大げさにいえばファッショに向く可能性もはらませていることに、マスコミは気づくべきだと思うわけです。

以下については検証を省きますが、今、政治の世界で取り上げている、いわゆる小沢問題、悪いという人はたくさんいますが、どういう部分が々悪いのかという点については、まったくわかっていないで発言している人が、かなりインタビューを見ていてもわかりますし、私のように、彼の何がどう悪いの?というように、インタビュアーに問いなおし、ではインタビュアーが正しく答えられない光景を、渡しならあえて映すことで、いかに大衆操作された事件かを立証し、間違った判断のない方向に持っていっていただきたいとも思っています。

ここでいいたいことは、文章を書くということは必ず、その読者がいるということなんです。
その読者が理解できる範囲で書くべきなんですが、悲しいかな、何度も私がいっているように、読者がまともな国語教育を受けなかったせいで、このデータ記事で納得してしまう傾向にあるという、恐ろしい事実なんですね。

推理小説の場合、ひとつのルールがあります。
書き手である作家と、読者の間は、対等でなければならない。というルールです。

つまり、後半部分になって、これまで一度も登場したことのない人物が、突然登場してきて、私が犯人ですというのはだめということなんです。

こういう人物がいます。登場人物はこれですべてです。
彼らの行動から、犯人を特定せよ。

推理小説というのは、この作者の提示した設問を、読者が推理し答えることにあり、読者が想像できなかった犯人の場合、それは喝采という賞賛が贈られるわけです。

これと同じです。

が、推理小説の場合、どういうわけか、きちんと読める読者が多いんですね。
だから、まともに読んでくれるという、作者にすればすばらしい土壌になっているわけです。

作者と読者が対等の立場ということは、双方が理解できる立場関係にあるということなんです。
ということは、ほとんど読めないかたもいるわけで、そういう人に、ああそうですか、と納得させるこの手のデータニュースは細心の注意を払うべきだし、みなさんが書く小説にしても、最低限の読者の矛盾を取っ払う内容を書けということでもあるわけです。