

#65 神戸の街
~神戸はなぜ“ハイカラ”なのか?~
(写真はHPから拝借した風見鶏の館前)
番組の内容はNHKのHPをご覧ください
http://www.nhk.or.jp/buratamori/list/index.html
この放送の足跡マップもHPに出てます
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list65/index.html
ルート1 オープニング
明治30年代に建てらた異人館のお宅を訪問し、お住まいの初老ご夫婦に案内されてました
ルート2 雑居地
北野通りからトーマス坂を上り北野天満神社、風見鶏の館と北野町広場付近
雑居地の範囲は居留地を囲む、東西は生田川と宇治川の間、南北は海岸から後背の山麓まで。山手の異人館街、居留地の西に隣接する中華街、生田や栄町、花隈もこの雑居地のなかにある。
ルート3 雑居地誕生の理由
旧居留地中央の南北を貫通し、歩道と車道を分離してたメインロード、現在の京町筋の京町付近
居留地には、全体を22のブロックに分け、126区画が当時の明治新政府から貸与されたそうです。1〜126番までの地番は一筆書きできましたが、一部不規則に飛んでました。現在も同じ区画のようですね!
居留地とは一定の境界を設けて外国人に居住、貿易を許可する区域のことをいい、土地は日本政府の貸与である。神戸の外国人居留地の敷地面積は、約25万7000m²。およそ500m四方。
1892(明治25)年にはすでに15カ国の外国人が住んでいたとは、125年前の日本で凄いことです。当時の街中を外国人が歩く映像を紹介してました。
ルート4 分断から融合へ
兵庫区の湊川公園から商店街を抜けて新開地の大通りまで
湊川公園には昔、兵庫津と神戸を分断する
湊川という天井川(堤防内に多量の土砂が堆積(たいせき)し、川床が付近の平野面より高くなった川)が流れていて壁となり、外国人との厳格な分離政策(居留地)を緩めて、神戸には雑居地を許容したようです。
天井川を壊した跡に『新開地』が誕生し、分断されていた神戸と兵庫津の往来が便利になったようです。大開通(国道28号)ですかね?
この神戸の融合の歴史に一番興味持ちました!
検索して番組で取り上げられた神戸の
歴史を調べたら、JR西日本が運営するHP、Blue SignalのVol.123、March 2009に詳しい特集がありました。
大変興味深い特集で、ブラタモリの歴史検証をほぼカバーしてます
さて、私も昨年末の12月28日に一泊で大阪に行った際、翌日はJR大阪駅神戸三宮へ新快速で行き、久しぶりに北野の異人館街を散策して来ましたので、「あっ北野、異人館街、風見鶏だ!」と夢中になって観てしまいました
まさに、ルート2「雑居地」でタモさん歩いた辺りですね!
私は北野異人館前からまず石段を上がり全面休館中のラインの館から、荒れ果てたオランダ坂を上がり閉鎖されていた本家オランダ館、シー・エリオンの惨状に驚き、うろこの家、山手八番館辺りを散策してから北野天満神社の前に下りて来ました
以下12月29日に撮影した写真です
ラインの館は休館中
H28.4.1より全面休館します。南側石積み修理工事を実施後、平成28〜30年度に建物の耐震対策・保存修理工事を実施予定ですと貼り紙に書かれてました
おらんだ坂




さて、北野天満神社の正面鳥居です











登録有形文化財である2階建ての洋館

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の被害を受けた後、取り壊される予定でしたが、神戸市が建物の寄贈を受けた上で解体・部材保管し、その後、民間事業者に部材を譲渡して、平成13年に現在地に再建・移築されたものです。


