主演:メリルストリープのヒューマンドラマ。


息子がてんかんの発作で倒れて、薬による治療を行うものの、症状は改善されるどころか副作用の影響でどんどん悪化していく・・・

その中で母を中心とした家族は何をしていけるのだろうか。実話を元にした映画です。


まず、映画を観終えて一番最初に思ったことは一つ・・・。


これって誤診じゃないよね?


投薬治療がうまくいかない→投薬治療を見直すのではなく別の薬で治そうとすることにこだわっている病院システムには大きな問題があるのは良く判るし、ジョルジュも母をガンで亡くしたときに、投薬治療に対して本当に考えた。


確かに副作用で悪化するのは事実だし、そもそも薬も毒の一種であり、毒をもって毒を制するというのが投薬治療のやり方でもあります。でも、症状って人それぞれで違うし、身体の構造も違うので100%治療できる薬って言うのは存在しないって言う悲しさもあります。


確かに投薬治療にこだわっていた病院も責任がありますが、どの薬がどのように効くかっていうのは非常に難しい問題だと思います。それだけに、誤診というタイトルよりも医療制度の問題に焦点を当てたタイトルにするべきではなかったでしょうか。


内容としては、主演のメリル・ストリープが息子を助けるために一生懸命になる姿や、ロビー役の子役の演技が非常に上手だったこともあって、相当に感動しました。。。


だが、しかし、後半ではその投薬治療に対して反発する母親は、ある食事療法にめぐり合います。

後半場面では、その食事療法の宣伝っぽくなってしまい、なえた部分も正直否定できません。


何だか、この映画観てしまうとてんかんの子供を持ったら、この療法しようなんて思い込んでしまいます。

たまたま見つけた療法が効を奏するというのは本当に一握りであり、下手すれば悪化を招く可能性だってあります。


それこそが本当の意味での誤診に繋がる可能性を理解しながら、医師と向き合って治療のスタンスを決定することが大事なのではないでしょうか。それでラチがあかないなら転院するとか、担当医を変えてもらうとかいくらでも手段はありますからね。


素人の誤診。これこそが致命的になるっていう真実。これだけは忘れないでほしいなっと。


ポニーキャニオン
誤診

皆様は、都立松沢病院をご存知ですか。

東京都に住まわれている方は一度くらいは耳にしたことがあるかも知れません。

この病院は、精神病院で、精神科専門と言っても良い病院です。

「狂気という隣人」は、そんな都立松沢病院で勤務していた方が綴ったドキュメンタリーです。

この本を読むと最初に思うのが、誰もが精神障害を持っている人間に対して責任を取りたがらないんだなぁというのが良く判ります。

特に警察は、精神障害を持っているとか精神病院に入院暦があるということで刑事事件にしにくいと判ると直ぐに精神病院に預けて逃げてしまうようです。

更に、大学病院の精神科も重篤な精神病患者の受け入れは行わないことが多く、都立松沢病院のような精神科を専業としている病院が預からざるを得ないと言う訳です。

都立松沢病院は京王線八幡山駅からみえるくらいの場所にあります。

コンクリートの建物が見えるので直ぐわかります。

僕も八幡山駅は降りたことありますが、結構不思議な方を見かけることが多いなという印象はありました。

たとえば・・・。

・独語を喋りながら、ジグザグに歩く人

・蛸のような帽子を被ってビキニパンツで町を歩く人

・お金をよこせ~!とわめき散らすおっさん

など。当時は怖い街だな程度でしたが、思えばあれは松沢病院に通っていた人なのかも知れません。

(注)八幡山駅でたまたま目撃したに過ぎず、八幡山駅に住む方々を否定するわけではありません。

   また、八幡山駅で降りる方=松沢病院の患者と思わないでください。

   さらに言うならば精神病院に通う人=危険人物と思わないでください。

松沢病院では長期に入院される方や再発者も多い訳ですが、心神喪失等で無罪になった方の入院も非常に多いそうです。

良く、人権者(特に死刑制度廃止!と言う方々も含め)は、精神病院は人を特殊扱いするものであり、患者を押さえ込むなんて論外だ!とのたまう人も居ますが、僕自身ははっきり言って、治らない方を野に放して再度同じ犯罪を繰り返すくらいなら、患者を押さえ込んででも再発を防止するほうが全ての人にとって幸せなのではないかと考えております。

心神喪失により無罪になった方は、基本的にある程度入院した後、社会復帰する訳ですが、やはり再犯される方も多いようです。すなわち、これにより被害者が増えたということで、苦しむ方が増えただけで幸せなことは何もありません。

この本でも、その心神喪失により無罪となった犯罪者(以下、「触法精神障害者」という)を長期に保護する施設の設置の重要性について謳っており、その事例としてベスレム王立病院を挙げております。

良く、精神病患者が入院=鉄格子とか、入院=幽閉みたいな印象を受けますが、この王立病院では自立するための治療スケジュールに基づいて時間をかけて社会復帰への道を探っております。やはりある程度の基準を持って社会復帰の道を準備することが触法精神障害者を含む犯罪者の減少へ繋がっていくのではないかと思います。

もちろん、ベスレム王立病院にも課題があるとともに、日本において同等なものを用意できるか否かについては非常に難しい問題を抱えるのは百も承知ですが、重篤な触法精神障害者を見放す形で野に放つことは、非常に危険なことです。

しかし、きちんと治療出来た場合、その方は通常の生活に戻れる方も決して少なくありません。

人権問題は精神医学を見ていく上でも非常に重要ですし、触法精神障害者に対する扱いというのも、非常に複雑な人権問題が絡んでまいりますが、なりたくもない・自分自身で押さえ込めないことをしでかして犯罪者になってしまう精神障害者だって居る訳ですし、その方々を救うことによって犯罪者を減らそうという考えを持って欲しい。この書籍を拝見して、そのような思いで胸が一杯になりました。

このような精神病院関連の書籍を読むといつも思うことですが、形に見える病気を治すよりも本当に難しいものだと、常々考えてしまいます。

いっその事、心が見えれば簡単なのにね!

でも、そうしたら生きていくことって凄く面白くなくなるんだろうな。。。

だって、相手が何を考えているかって理解できていたら、会話だって何だって素直に楽しめなさそうだもん。

だから、心が見えないのはしょうがないんだろうな。

やっぱり、未知の部分っていうのは残しておくべきだと思うしね♪


岩波 明
狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫 (い-84-1))

今更評する必要も無いくらい有名な作品ですが、ジョルジュは今更見たので感想を。


パッチ・アダムスとは実在する医師で、本名はハンター・アダムスという名前です。

医学部卒業後、「ゲインズハイト・インスティテュート」という診療所を設立し。12年間無料で診療活動を行った。

人々に愛とユーモアによって、生きながらえることを目的とした医療よりも、QOL(質の高い生)を求める医療を目指す人で、まだ健在です。


つか、今年日本に来ているしwww


この作品は、ロビン・ウィリアムス扮するパッチ・アダムスが医者を志ざし、最後に「ゲインズハイト・インスティテュート」の設立を行うところまでを映画化したものです。

(因みに、本人は映画化は反対だったそうです。新たな診療所の資金のために已む無く了承したみたいなことをコラムで言ってましたね。)


役者としては、やはりロビン・ウィリアムスは演説やらせたら天下一品だとつくづく感じさせられました。

最後、演説を行う場面があるのですが、英語がさっぱりなジョルジュでも引き込まれるパワーは彼にはあります。

思えば「今を生きる」なんちゅー作品も彼が居なければ成り立たなかったのではと思うと同時に、この作品もロビン・ウィリアムスが居てこそだなぁと感じました。


ただ、この作品史実を元にしているって話なんですが、どーも納得が行かない点がいくつか。


・パッチ・アダムスの彼女であるカリンは実在したの?

 いやね、パッチ・アダムスの本を見てもさっぱり出ていないのよ。

 このカリンの存在は映画上では非常に大きな存在になっている分、史実で居なければ居ないでかなりフィクションになってしまうような気がします。


・卒業後に「ゲインズハイト・インスティテュート」を設立したとされるが、映画では在学中に設立していた。

 これは、映画でも問題になったけど、完全に医療行為をしているため、卒業前にやっていたらかなり違法だと思います。これを許されるというのはやりすぎなような気がします。


・パッチ・アダムスは28歳に大学を卒業していた。

 ってことはロビン・ウィリアムスよりも若い人を使うべきだったのでは?

 あれじゃどう見ても30~40代から医師を目指したように見えてしまいます。


これが全部史実だったとしたら物凄い話なんですけどね。

逆にノンフィクションとするなら、本当にノンフィクションにしてほしかったのが本音。

だって、この人別に脚色しなくても十分に凄いことしているもん。


映画としては非常に名作です。泣けます。特にカリンに対する一途な思いは胸にガツンと来ます。

でも其の後史実を調べるとちょっとアレレ?と思うところが出てくるのがちょっと。。。


そのため。。。


パッチ・アダムスをモチーフにしたフィクション映画だと思って観た方が気楽に楽しめます。


ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
パッチ・アダムス

タイトルから見ると何となく市原悦子を想像してしまいそうですが、全く違います。


世の中沢山の仕事がありますが、皆様は遺品整理屋と言う稼業をご存知でしょうか。


遺品整理屋とは、孤独死を遂げたり、死亡して長期間経過して発見された家などを掃除したり、遺品の整理を行う仕事を言います。

この代表格なのが、株式会社キーパーズ という会社でして、この書籍はその社長である吉田さんが自己の経験に基づいて書いたものだったりします。そのためとにかく表現がリアル。


例えば・・・。


アシスタントが床に液体状になっていたものを踏んでしまい、転倒してしまったことがあるそうですが、その液体状のものというのは・・・

人間そのものであり、腐食しすぎると液状になってしまうことがあるとか・・・。


リビングを開けると、天井から床まで全てに亘って一面ゴキブリの山になっている家とか・・・。


もっと衝撃的なものも沢山ありますが、そちらは書籍で読んでください。


ただ、この本を読んでいて思うことは、このような仕事に需要が出てきたということはとにかく孤独死の増加にあるような気がします。核家族化の負の部分かも知れません。

また、近隣の人に対する無関心。今我々の多くが隣人がどんな人かも知らないことが多いです(現実、僕は現在住んでいるマンションの住人の顔を覚えていません。)。そのため、別の部屋で何があっても知る由もない上に、知る気も起こらない人も多いのではないでしょうか。

だからこそ、近隣で孤独死も出ても、殺されても、「判らなかった。」「知らなかった。」で通ってしまう訳ですね。


また、自殺者も年間3万人程度で推移しており、そのうちの一定数以上が自宅で亡くなっていることを想定するとこういう仕事の大切さを感じることも出来ます。


とてもとても僕には死臭の激しい家の掃除なんか出来ません。


この書籍の中にもありましたが、生前に遺品整理をお願いする人も出てきているようです。

それは淋しいことでもありますが、懸命なのかも知れません。

だって、一人で死んで数日後に発見される事態になったら、それはもう大変な状態になっている訳ですから。


あっ。そうそう。こんな話も書いてありました。


お風呂で亡くなった方が居たそうですが、数日間湯船に浸かっていたそうで、お風呂が腐ったワンタンスープのようになっていた。。。


死に方を選択することは非常に難しいですが、せめて病院でもどこでも良いから、誰かに見取られて亡くなりたいものです。


この本を読むと、少なくとも自殺をするにしても、一人で誰とも接しないと決めている人であっても、死後のことを再考することはできるのではないでしょうか。


非常に重苦しいテーマで描かれておりますが、文章が流れるように描かれているため、リアルで重いのですが、非常に読みやすい本でした。


遺品整理屋というキーワードに興味のある方は、読む価値はありますよ。


吉田 太一
遺品整理屋は見た!

ジョルジュは最近映画も結構なペースで観ています。

そこで、映画(DVD含む)もついでに論評してみることにしました。

さて、そんな第一回目の作品は、「es」

この作品は、アメリカの大学で実際に行われた監獄実験をモチーフに作られた作品です。

どんなものかっちゅーと・・・

タクシードライバーで元記者の主人公が、高額報酬と取材目当てに大学で行われる心理学の実験に参加するというものです。

これだけだと普通なんですが、この実験内容が普通じゃない。

刑務所を実際に借りて、他の被験者を含め20名を囚人と看守に分けて14日間過ごすというもので、その14日間の心や体の変化のデータを集めていくという、まさしく人体実験。

最初のうちは和やかに進んでいた20名ですが、調子に乗る囚人(特に主人公オメーだよ)と看守の対立が悪化し、看守はどんどん力でねじ伏せようとします。その中で、助手は実験の中止を提案しますが、教授はそれを阻止します。さて、その後どうなったか?というような話です。

実際のアメリカスタンフォード大学で行われた監獄実験では、やはり看守がエスカレートしていったため、6日間という短い期間で実験は中止されました。

実験の結果は、

強い権力を持っている人間と権力の無い人間が常に一緒に居ると、理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうということがわかった。。。ってことですが。。。

そりゃそーだろ!!と突っ込みたい。あー突っ込みたい。


こんな結論に達するために、何年も精神的にダメージを追わせるなよ。


ジョルジュも心理学を学んでおりますが、心理学者というのはある意味マッド・サイエンティストな部分があって、実験のためならなんでもするという印象を受けます。

動物実験なんかは見るに耐えないものばかりだし、きっと人道的な部分で批判を浴びなければ動物実験でやろうとすることを平気で人間に対してもやるんでしょうね。


ある意味、この作品はそんな学問のための実験でも許されるものと許されるべきではないものがあるというメッセージが込められているように感じます。

動物は暴走してもある程度抑えることはできますが、人間は一度集団暴走するとなかなか止めることは困難です。そして、暴走した側も暴走された側もどっちも精神的には多大なダメージを追うことになります。


確かに、究極の姿としては心理学の臨床実験とは人間に対して行うことが一番近いデータは集まるかも知れませんが、人間というのは一人ひとり同じ人間の集合体ではないことを考慮した上で、どんなにセットを巧妙に作っても、現実世界とは乖離したところで実験を行わなければならないと仮定すると、本当の結果が得られるとは限らない。

というと心理学そのものの否定になってしまうように見えますが、そうではなく、実際に起こりえた事象からデータを求めるやり方こそが現実に近いデータが得られるような気がしてなりません。


そんなことをこの映画を観ながら感じました。


後は、タレク(主人公)とドラの関係ですね。

僕としては、esの意味はこの2人の関係を繋ぐものとしてのesなのではと考えます。


記者を首になりタクシードライバーになっていたタレクと父を亡くし自我を喪失しているドラ。

喪失感に包まれた2人が出会い、そして恋に堕ちる。

彼女はただ一度しか会っていない男を求め、実験の舞台を探し出しタレクに逢います。

その後は詳しくは書けないものの、タレクとドラという2人の存在がes(エス)となって、2人の自我の発生へと繋がったのでは無いだろうかと。


心理学を学ぼうとしている方。実験について色々と思う方にはお勧めです。

ポニーキャニオン
es[エス]