「外交」「安全保障」

ひところに比べ、日本の「世論」は格段に「普通」になってきました。


「格段に普通」という言葉自体、まったくおかしな良い方ですが、

それほど、今までが「異常」だったのだと思います。


しかし、この「PHP新書 世界に嗤われる日本の原発戦略 」のタイトル通り、

原発に関してはいまだに「呪縛」にとらわれたままです。

この本の「帯」の通り、

「安全対策から技術開発まで、日本には

 人類の未来に対する責任と義務がある」、にも関わらず、です。


調査ロボ走行不能に 投入初日、原因不明

先月、福島第一原発の原子炉格納容器の調査に

投入されたロボットをめぐって、このような報道がありました。

投入されたものの、走行がストップし、二台目も。

このニュースを受けて、世の中には失望が広がりました。

「日本はロボット大国ではなかったのか?」と。

しかしニュースは失望をあおるだけで、

原発事故におけるロボットのこれまでの開発の様子を、

取り上げたものはありませんでした。


前掲の本にもあるのですが、

「1999年にJCOの臨界事故を受けて、30億円をかけて、

2001年に6台のロボットを製造した」が、

「日本では原発事故は起こらない」

「活用する場面はほとんどない」という理由で廃棄されたということです。


朝日新聞の記事にもありました。

「廃棄された原発無人ロボット 東電など「活用場面ない」


「事故の想定の甘さ」を指摘するものの、

マスコミも同罪と言える「原発安全神話」そのものには、

踏み込んだ記事には、なっていないような気がします。


「そうした事態が想定できない」のではなく、

「そうした事態を想定させない」世論があったのです。


憲法9条を盲信する一国平和主義と同じです。

一体どうやって「廃炉」技術を開発するのでしょう。


今の世論の「再稼働反対」は要するに、

「見たくない」「考えたくない」でしかありません。


原発安全神話の反省が、

「のど元過ぎれば・・・」であってはならないのです。