出会った頃はコケティッシュで、自由で無邪気、屈託がなく甘えることにも抵抗がない。。。そう思えたのに、親密になるにつれて、ツンが激しくなり、ツンツンばかり。。。いい加減、気疲れしてしまい、面倒になってくる。。。そんな女性がいます。
初期のそれは気をひくのに一生懸命で、慣れ親しんだ世渡りの技術を駆使しているだけってことがありますね。つまり友達や会社の同僚との間では「道化役」で親しい関係を築く習慣を常態化しているのです。
なぜそんなことをする必要があるのでしょう?自分なんか受け入れられない」という思いがあるからです。別に具体的に理由があるわけではありません。
思い込みです。
思い込みの発端は、母親との間に愛着の絆が築けなかったことにあります。
愛着の絆とは「愛されてる実感」です。
実際がどうであったかではなく、そう感じたことが問題なのです。
- 本当は、自分の感情を出すのが苦手。
嫌われないかとオドオドしているのを隠すためにツンツンしている。
ツンツンが感情を抑える暮らしで身につけた「甘え方」です。
- あるいは「挑発」という場合もありますね、
- 理性で自分の感情を抑圧することが習慣になっていると、本当に言いたい大事なことが言えなくなる。そのかわり「行動」で表現するようになります。
- ハラハラドキドキの綱渡り的「緊張感」に生きている実感がするというのもあります。
それぞれが別ということではなく、混ざり合っている場合がほとんど。
その源流は、子ども時代に「自分の居場所:がリアルに感じられないことに原因しています。
子ども時代に「自分の居場所:がないとは、「ここにいていい」という実感です。
「ここにいていい」という実感がないとは、ささいな不安に揺れ動くことを意味しています。
人は誰でも自分の人生脚本を自分で描いています。
そのはじまりは、驚くなかれ2歳程度です。
2歳のことなんか記憶していないですね、
記憶していないから「自分が何者か」わからない厄介が生じるのです。
2歳の幼児が、「ここにいていい」という実感がないとは、どういうことでしょう。
愛着の絆がないことを意味します。
2歳の幼児が求める愛着は「母親」に他なりません。
幼児が母親から愛されることは命の保証に似ています。
この時期に「愛情飢餓感」がついてしまうと、
大人になってからも愛情を限りなく求めるようになるので、
注がれた愛情に対して簡単には満足できなくなります。