ある日届いた、スピリチュアル系のDM。

「お金に愛されるようになるには…」というフレーズ。

 

一瞬にしてモヤっとする。

 

よく使われてるこのセリフ。

「〇〇に愛されるには」とか、「愛され体質になるには」とか・・・。

お金の話やパートナーシップの話によく使われてるように思う。

 

「お金」ってパワーワードだよね。

 

スピリチュアル系の発信で、「すべては愛」だとか、「あなたは愛そのもの」だとかって言ってるのをちらほら見かける。

 

「最初から愛」だって言うんなら、「愛されるため」っていうフレーズに違和感ないかな?

だってすでに愛されてるって言ってるんだから。

 

言葉の使い方?なんだとは思う。

商品購入させるしてもらうためのキャッチーな言葉。

はたまた、愛されているという前提を、次の瞬間にすっかり忘れ去っているのか。

 

愛ってかんたんに言うけど、私にはとても難しい。

その概念がまだまだ分かっていないのかも。

 

「自分を愛していないよね。自分をもっと愛さないといけない。」と、かつてあるヒーラーに言われた。

その言葉で、「自分を愛する迷路」に迷い込んで抜け出せなくなった。

 

愛するってなんだ?

「愛さないといけないんだ!」と、まじめな私は「愛さねばならない」の罠にはまった。

 

10年間あらゆるセミナーやワークショップ、講演会に出て行った。

とあるグループにも入ったりした。

それでも自分を愛することは分からない。

途中失恋もしたりして、ますます愛されることは難しいと思ったり。

 

いまでもはっきり愛の定義はいえない。

でも、私なりの確かな感覚はある。

 

感覚についてだから、人と共有するのは難しい。

もう本当に感覚の話だ。

 

数年前、貯金もないのに仕事を辞め、不労生活を2年間した。

今となっては、ただただ無謀なチャレンジだったと思う。

 

結果お金がまったくなくなり、どん底の気分を味わった。

自業自得だし、誰のせいにもできない自作自演だった。

底から脱出すべく、仕事を3つ掛け持ち、身体をフルスロットルでまわした。

さすがに50近い肉体にはきつかった。20代だったらまだ余裕があったかもしれないけど。

 

毎日ふらふらになりながら3ヶ月続けたある朝。

出勤途中にふっと湧きあがった感覚。

こんなに身体を酷使しているのに、私の言う事を聞いてくれる肉体のすごさを感じた。

 

疲れ切っている身体の悲鳴をきかない私。

エゴが暴走している私。

それでも従順に、いつでも付き従ってくれているこの肉体。

肉体、身体は私の無茶な命令にいつも寄り添ってくれている。

 

それを感じた瞬間、涙が出た。

 

『すべてが許されている』

私がすることすべて。

私という存在すべてが、「許されている」という感覚。

 

しばらく経って、この世で生きるということは、すべてが許されているということなのだ、と実感した。

 

誰?に許されているかの表現は難しい。

神様とか大いなる存在とか、いろいろ言い方はあると思う。

いまの私には「宇宙」ということばがしっくりくる。

私を超越している私がいる。そんな感覚。

 

 

話をもどそう。愛についてだ。

 

巷で言われている「存在が愛である」というのは、そうなんだと思う。

私のなかでは、【許されている=愛】なのかな。

 

そもそも「私は愛そのもの」っていうのなら、わざわざ愛されるための行動をとる必要があるの?ということを冒頭のフレーズで思ったのだ。

 

いまも自分を戒めながら書いているのだが、これは私に起きた感覚の話だ。

だから、他の人もみんなも同じはずとか、人間とはそういうものとかっていう、大きな主語でいうのはやめておく。

 

ひとりひとり、個人で起こる出来事や感覚は違うので、これが絶対!とか、これが正解!とか言えない。

私の場合はという、あくまで個別具体的な一つの例である。

 

でも、「人間は」…とか大きな主語を用いたい欲求もあるのだ。

(にんげんだもの。ね?)

 

 

そして、最初のお金の話に話をもどす。

お金という物質(お札や硬貨)に愛されるって不思議な表現だ。

感情のない物質に愛されるようとするのだから。

 

お金をエネルギーという人もいる。目に見えない媒体に愛されるということなのか。

屁理屈こねこねの私からすると、これもまた不思議な表現だと感じる。

お金を愛するという表現のほうがまだ理屈にあう…かな。

お金を好きになりましょう。というメッセージは分かりやすい。

 

私は「愛される」という受身表現につっかかっているのか?

主導権が私にはないことになってるから?

 

結局、自分が愛なんだったら、わざわざ愛されるようになるためには…なんてことをしなくてもよくない?っていうのが、私の結論なんだな。

 

お金に愛されるためにお金払って、実際にはお金が入ってこない。なんてこともよくある話だ。

(ご多分にもれず私もさんざんお金ほしくてお金出して、お金に愛されようとしてた!)

 

愛される私になるためにはどうするか考えるより、愛されている私を感じたほうが、お金から解放されるような気がする。

 

お金について、私は最近思うことがある。

その話はまたいつかしよう。

次回しますと告知して、やっぱりしないのが私なので、やるやる詐欺回避。

 

ではでは。

 

 

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4日間のご無沙汰です。

100日やるぞー!と言った束の間というのか、ほんの三日で継続ブログは終わりました。

やっぱり!無謀だった。

意地をはるというか、無理して書くのはちょっと違うと思ったので、6月4日は書きませんでした。

 

 

金曜日6月3日の夜、21時過ぎに神戸三宮から深夜高速バスで東京というか千葉方面に向かいました。

というのも、翌日6月4日は、父が眠っているお墓を別の墓地に移す「改葬」というのをしたからです。

高速バスは何度か使ってるけど、あんまりよく眠れないもんです。

なんだかんだとハプニングありつつ、久しぶりに家族勢ぞろいして和やかに無事イベントは終わり、実家に寄らず帰りは新幹線で戻ってきました。

日帰り弾丸ツアー。

 

相方さんの「おかえり~、おつかれさま~」と地元駅でのお出迎えに、私のあいさつは「あ~つかれた!」でございました。

自宅に戻ってからは「つかれた」連呼。

ブログを書くことをスッパリやめて、連続投稿はストップ!

お風呂に入ってさっさと布団に入るも、冴えてしまった神経は休まらず…。午前2時頃就寝。

 

日曜日6月5日、一日中ソファーでゴロリ。動けず。

「ほぼ日」さんで24時間連続生配信をBGMにして、ひたすら眠る。起き上がっていられず、ダルマのようにゴロリ倒れる。

食事は相方さんが作る。

 

月曜日6月6日、一日雨。より気分は上がらず。あいかわらず「つかれた」連呼。「つかれた連呼病」に罹る。

頭痛もあり、ひたすら眠る。食事はもちろん相方さんにご担当いただく。

実はワレの誕生日であったが、体調すこぶる芳しくないため、お祝いめいたものはなにもしなかった。

 

火曜日6月7日、お天気は曇り。回復傾向。

少し回復した午後から、お仕事お休みの相方さんと三宮へ散歩しに出掛けた。そこでケーキと好物のから揚げを買ってもらい、自宅で一日遅れのお祝いしてもらった。ありがたし。

今年はから揚げ登場回数は少ないため、久しぶりの登場に歓喜!うましうまし。

 

 

 

 

 

本日水曜日6月8日、すっかり回復。

午前中歯科検診に行って、午後引き続きお仕事お休みの相方さんとコーヒー飲みにお出かけ。マックの100円コーヒーうまし。

今晩の夕飯も相方さんが担当。明日からワレやります。。。

 

ってな感じで、弾丸ツアーの代償は大きかった。三日間動けず。

外のお仕事に出て行ってなくて本当によかったのと、たまたま相方さんが仕事休みで助かった。

 

学生の頃から睡眠不足は大敵で、貫徹した日には次の日はかならず風邪ひいてたな。

今回は夜行バスで眠れず、かつ日中動き回って休まなかったのが原因だな。

 

ゆっくり休んだので、また明日から普通のごろごろとした日常を送ろうと思います。

なんだ変わってないじゃん!

 

ブログは、ごろごろゆったりと気の向くままに書いていきたいと思います。

 

ということで、書かなかったワケ報告でした。

 

本日もお読みくださりありがとうございました。

 

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暑くなってきた。夏がやってくるぞ!その前にジメジメした梅雨もやってくるぞ!

ついこの間まで春だって言ってた。その前は冬だって言ってた。

という当たり前のことをほざいております。

日本は四季があるからそれぞれの季節を堪能することができます。

私は季節のうつろいを、路上に咲く花で感じることが多いです。

最近は紫陽花を目にして、梅雨になるのだなぁと感じました。

 

今まではあまり感じなかったのですが、最近は年齢というものをよく感じます。

さすがに50を越えるとそうなのか。

私は子供がいないせいか、一般的な同世代に比べて年齢の感覚がない。

とはいえ、最近はやっぱり50の壁を感じる。

お仕事を応募しても年齢によりエントリー除外されちゃうし。競馬の出走除外みたいな。

そして、年相応の身体の変化も現れてくるし。

 

先日仕事をしたときに入社一年目の女性(私からしたら女の子)は、素晴らしかった。

とても感じが良い子で、仕事も一生懸命で、先輩からの教えを素直に受け取っていた。

これからいっぱい可能性があるなぁと思ったら少し羨ましくなってしまった。

私なんかはもうとっくにその時期は過ぎてしまった。振り返っても返らなくてもそうとう昔だ。

だって、彼女の親世代は私と同世代なんだもん。

子どもがいないと本当に実感ないから、つい若者と同列線上に並んでしまう。張り合うことはしないけど…。

新緑のように鮮やかなエネルギーほとばしる彼女は美しかった。

未来の無限の可能性を感じた。

 

じゃぁ私に可能性はないのかというと、ない。

平均余命を考えると彼女より当然ない。

だけど違う視点でみれば、ある。

やれることをする時間は限られている。20代よりも限られている。

だけど、いまの「50代の私」という「点」で見たら、可能性は無限だと思う。

常にその点で見たら、80になっても90になっても無限なんだ。

若さのよさもあれば、中年のよさもあるし、老年のよさもある。

 

残念ながら昔と比較したら必ず衰えを感じて、悲観的になる。

昔は肩が軽くあがったのに、今は痛ててて・・・とあがらなかったり。

無理が無理でなかった時代が、無理は無理になってくる。

皴だって、シミだって、たるみだって気になるでしょ?

なんとか若さを保ちたいと、抗ったりしてみたくなる。頬を両手で挟んで上に引っ張ってみたりね。

 

そういうこともすべて含めて、生きるという壮大な季節、四季を歩んでいるのではないのか?

 

人によって人生の長尺があって、若くして亡くなる人もいる。

私の母親のように長生きしたくないと言いながら90歳まで生きている人もいる。

人それぞれの寿命は、私たち当人にはどうにもできない。

 

私は思うのですよ。

私の人生のなかには四季があって、私はその四季を堪能したいと。

私の母は90でもうおしまいが近いから、真冬も真冬の季節だと言っているけれど、元気で毎日いろいろ考えて工夫して楽しんで生活している姿をみると、冬はすでに越えて春になってるんじゃないか?と思ったりする。また何か花を咲かすのではなかろうか?と期待もしてしまう。

 

悲観的になるもよし、楽観的になるもよし、どっちもよし。

どっちもあるから、年齢を重ねることは面白いのではないかしら。

 

 

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なんのオチもない話です。

 

今朝は、早朝ピラティスのレッスンを予約していました。

朝、意識を呼吸に集中して身体を動かすと、その後の集中力と活動量が違う。

一日の生産性は上がる気がします。

 

ところが、寝坊してレッスンに間に合わず…。

結局お昼のレッスンに行ってまいりました。アレレ。。。

 

早朝に起きるのが楽だったときもあれば、最近はちと遅くなっています。

別に大したことではないけれど、どんなに遅く起きても必ずやるルーティンがあります。

 

まず、目覚めてまだ頭がポヤ~ンとしている間にソファーに座って瞑想。

起きたてホヤホヤの状態。

セレクトしたYouTube動画の誘導瞑想で20分程。

朝の瞑想はかれこれ2年程しているけれど、雑念ばかりでうまくいった実感はまだない。

朝一番に自分をセットする儀式のようなものとなっています。

上手く行っても行かなくても「まぁいいか!」って感じでゆる~くやってます。

 

その後、足湯専用バケツに46度のお湯をいれて、足を投入。15分間。

昨年10月頃から行っています。

20年程前にある気功整体の先生が、足湯をしてたら健康なったという話をしてくれたことがあります。

20年経ってその話を思い出した。(暇というか時間があるって、いろいろ思い出します。)

去年は暇だったので効果があるかどうかは別にして朝のルーティンに組み込んでみました。

冬場の足湯はすぐにお湯が冷めてしまうので、ひざ掛けの毛布でバケツを覆い、途中熱湯で足し湯をしながらやっておりました。

寒いときの足湯は気持ち良し。

最近は気温も高いので、毛布も足し湯する必要なし。

足湯のバケツ

写真が横向きになってますが、足湯のバケツ。

 

15分後はジワッと身体が熱くなり、お湯につけていた足首は赤くなります。

 

 

足湯をすると下半身から全身が緩むので、強張った腰には都合がよいです。

面白いもんで、夜お風呂に入ると足首だけ際立って赤い。

効能や、体調にどんな変化が起きているのか実験中。

確かに冷え対策にはなっているような気がする。

(ただし、実家の冬の寒さには効果なかったけど…)

夏は冷房でしらずのうちに冷えるので効果あるかもしれないと期待。

 

どんなに寝坊しても、この二つはほぼ毎日しています。

どうしても時間がなかった場合は、瞑想だけはします。

瞑想の効果は巷でいろいろ言われているけれど、私にはほぼ実感ない。

効果効能についてあまり期待もしていない。実感ないのはそれ故か…。

足湯は身体が温かくなったり、冷えなくなったとか効果効能がわかりやすいのに比べて、瞑想については、迷走してそれに思考という鈍足さんが伴走していってる感じ。

 

それでも、最優先のルーティンにしているのはなんでだろう?

 

私にとっては難しい「ただ座る」というチャレンジを面白がっているのかもしれません。

起きたてホヤホヤの私の思考は、すぐグルグル回転営業始めます。

「思考を止めて自分の内側に意識を向ける」と音声で誘導されます。今ここにいるのだと。

だが、残念ながら私のイマココ筋はなかなか育たない。

そして効果とか効能を期待してないから続けられるのかもしれない。

目的は、瞑想することになっていますが、まぁよいでしょう。

 

さぁ、明日も黙って瞑想を迷走していこうと思います。

 

本日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

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よくあっという間の一ヵ月と言いますが、先月5月を振り返ると、わりと長く感じられたひと月でした。

ゴールデンウィークを埼玉で過ごしたせいなのか、場所を移動していると感覚が長く感じるんですかねぇ…。分かりませんが。

一日一日は短いんですけど、振り返ると長かったという感じです。

まぁ、ともあれ6月も一日一日を楽しく過ごしていきたいところです。

 

近所の神社に恒例の一日参りをしてきました。

まだ湿度がなく、気温が上がっても過ごしやすい。ありがたい。

 

日々のんびりというのか、ダラダラというのか、”目的見失い迷子”のように過ごしています。

退屈という"遊び"も十分していて、どうしたもんかなぁ?と考えておりました。

毎日をもうちょっと上手に遊ぼう!と思い立った昨日です。

ある記事の100日というワードが目に飛び込んできました。

 

それで、浮かんだのが『100日間毎日ブログ更新』。

 

なにかと修行的なモードになりがちな私です。

振り返れば過去、幾多の継続プレイをしてきました。

ピラティスだったり、雑巾で床をふきふきしたり、真夏にダイナミック瞑想をサウナのような部屋で毎朝したり…。数限りなくいろいろやってます。英語の勉強もやったな。

だが、最後はいつも【必殺☆自縄自縛技】をかけ、

「ワン、ツー、スリー、パンパンパン!!」とリングを叩き、

「もう勘弁して!」と途中で放り投げるのが得意技の私です。

ちなみに毎日ブログも数年前に一年間やった。

 

今回は暇つぶしならぬ、自分を遊ばせる玩具としてブログを使おうと思います。

テーマとかないです。

日々の出来事や考えをただただ書いていくだけです。

なんだ!今までと内容変わらないじゃん!!ってことでございます。

 

だが、しかーし!この継続100日には懸念材料が一つ。

今月途中からお外でお仕事を開始するのですよ。期間限定ではありますが。

仕事をしながら毎日ブログを書けるのか…甚だ自信がありません。

たいてい帰ってくると疲れてウグゥ~となって寝ちゃうし。

なので、やっぱりダメだった!という可能性も十分ありうるわけで…。

「じゃぁ、こんな風呂敷広げるなよ!」とツッコミがはいるわけで…。

 

でも思いついたから風呂敷広げてみたくなりました。

というわけで、おつきあいいただければ幸いです。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

では、また明日!

 

1/100

 

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