2018年4月13日にシリア政府軍が自国の反政府軍の勢力エリアに対してサリンなどを含む化学兵器を使用したことに対して仏、英、米参加国でダマスカスの化学兵器工場に攻撃を加えた、とのことで騒がしくなっています。

フェルネーのホテルの部屋では、フランスのインターネットニューステレビであるBFMか、アメリカのCNNか、NHKワールドを流しているのですが、BFMもCNNも14日は一日中この話題一色でした。国連安全保障理事会が開かれているようすもライブで中継したりしています。

しかしこの国連、という組織、自分がその一部で働いてみると、以前よりもずっと身近、というか、むなしいというか、感じるようになりました。今回だって、結局はロシアが拒否権を発動すれば何もできないのでしょうから。戦後70年以上たち、このまま100年たっても、第二次世界大戦の勝者たちが最終的な決定権を握り続けるのか。これから中国がもっともっと力を持つようになったらどうなるのか、懸念は消えることがありません。

とにかくシリアの化学兵器が今の問題です。テレビでずっと攻撃の様子が流れていたりフランスのマクロン大統領やイギリスのメイ首相やアメリカのトランプさんが厳しい様子でシリアを非難し「この攻撃は必要だった」と言っているのを見ると、そうなのだろう、とは思うのですが、このような攻撃の応酬で最終的に問題が解決するのだろうか、と疑問です。ロシアもシリアも「証拠もなくシリアを攻撃するとは国際法違反だ」と言っているようですし、これからいったいどうなるのか、と不安になってきます。

ただ、今朝CNNを見ていたら、最近の衛星監視能力のすばらしさに心底驚きました。非常に詳細に化学兵器工場とその周辺の施設について情報を解析し、正確に工場の建物だけを攻撃し破壊したようすが、工場周囲に停めてあった車がそのまま攻撃後も同じところにあることでわかります。もちろん、米軍の発表を信じるならば、ということなのですが。でも、工場で働いていた人たちはどうなったのかな、ということも気になりました。工場が休んでいる時間でほとんど誰もいない時間だったらよかった、とか、戦争なんだからそんなことも言っていられないのだろうな、とかいろいろと考えました。

ふとチャンネルをNHKワールドに変えると、ニュースで少し触れるだけで、大きな温度差を感じます。

日本のような平和な国に生まれてつくづく幸せ、とあまり積極的な理由ではないですが感じています。私が1989年(平成元年)から留学していたカナダには中東の国々から多くの人たちが移民していました。移民になることを希望しながらまだできていない人たちもたくさんいて、その中にはシリアからの留学生もいました。私の行った大学付属の英語学校で一緒だったので、よくおしゃべりしたのですが、シリアの学生たちは自分の国が大嫌いだと言っていました。当時は今のアサド大統領の父親の時代でした。「大統領の家族や親せきの男がヘリコプターで村に降りてきて、村の女性を誘拐して行ってしまう」、「政府に反対すると逮捕されて拷問される」など信じられない話をしてくれて「選挙なんてあっても得票率98%なんて、冗談みたいな支持率が発表されるんだ」などという、漫画みたいな独裁国家の様子を教えてくれました。英語学校の遠足でみんなで国の国家を歌いましょう、ということになったのですが、彼らの微妙な表情が忘れられません。誇らしくはもちろんなく、無表情というか、本当は歌いたくない、というか、でも国歌はちゃんと歌えるように訓練されている、というか。小さな声で数名で歌っていましたが、目はうつろでした。

父親の方のアサドが死んだというニュースを聞いた時、「ああ、これできっとシリアにも新しい時代が来る」と思ったのですが、息子の方も同じことをやっているようです。これではシリアの若い人たちは絶望してしまうでしょう。革命が起こっても当然です。しかしそこで、ロシアが余計なサポートをしたことでシリアにとって余計に悲惨なことになってしまったように思います。

日本にいるとシリアのことはどこか遠い、地球の反対側で起こったことのように思うと思いますが、イギリスとフランスは中東にいくつも植民地を持っていたのでこれからも中東の問題とは無関係ではいられません。今回のシリア攻撃が今後ヨーロッパにどのような影響を与えるか、用心しながら見ていきたいと思います。

中東に平和が来ることを祈っているウサギ