相変わらず不眠症で、昨夜は金曜日で仕事も目いっぱい頑張ったので食事を作る時間もないし久しぶりに外食、とホテルの一階のレストランで食事し、ワインも飲んでいい感じでほろ酔い気分になり、パタッと寝たのは良かったのですが、やはり3時に目が覚めてしまいました。夜中に目が覚めると思いはいろいろなところに飛んでいきます。仕事のこと、日本の職場のこと、友人、知人のこと、亡くなった親戚、友人のこと、歴史のこと、文学作品の登場人物のこと、などなど思いは宇宙の果てまで飛んで行き、そういう時、ふと「自分は本当にまだ生きているのだろうか。考えているのはすでに肉体が亡くなった私の魂が、自分が死んだことにも気づかずにこの世を徘徊しているだけなのではないか」と考えることがあります。

 私は人間の意識は死んだ後も残ることを信じているのです。というのも、昔職場で仲の良かった友人が、亡くなった時にあいさつに来てくれたことがあるのです。それは見間違いや気のせいではなかった、という確信があります。

 彼女はヘビースモーカーで、亡くなる5年くらい前に歯茎に癌ができました。その後辛い手術と放射線治療を続け、3年サバイバルしたのですが、またタバコを吸い始め、その後肺癌、最後は脳に転移して亡くなりました。私は同じ職場で働いていた頃はよく一緒に食事に行っていたのでお見舞いにも何度か行きましたが、最後の頃は脳に転移していたこともあり、おそらく私のことは認識できなかったのではないかと思います。

 彼女の死は、ご主人からの携帯電話のメッセージで知りました。「もうそろそろ危ない」と思っていましたが、やはりご主人のメッセージを聞いたときはショックで、平日の午前中だったのでトイレに入って「彼女が亡くなった、亡くなった」と混乱しながら手を洗っていたのです。すると、隣で「○○ちゃん!」といつも私をそう呼んでいた彼女の声が響きました。驚いて顔を上げると、鏡の中で私の隣に立った彼女が私に笑いかけています。

 あまりの驚きで声も出ず、目はこれ以上ないくらい見開きながら、ゆっくりと隣を見ると、彼女は鏡の中の私に向かって嬉しそうに笑っています。子供の頃バレエを習っていた彼女はすらりと背が高くほっそりと美しい人でしたが、姿勢よく、生前のままの姿で立っていました。私は彼女の顔からスカートまでゆっくりと見下ろしました。真っ白のレースの襟無しのブラウスはまっすぐ降ろした手の甲に少しかかるくらいまで袖が長く、スカートも真っ白、タックがとってあるつるつるの生地のすとんとしたロングスカートでした。今でもはっきりと、レースの模様や生地の感じを思い出すことができます。

 スカートを見て、もう一度ゆっくりと彼女の顔まで視線を戻しました。まだ鏡の中の私に笑いかけています。私はそこからもう一度鏡の中の彼女の顔を見ようとしました。しかし、鏡の中に彼女の姿はもうありませんでした。きれいさっぱり、さっきまであんなにはっきりと存在していた彼女は、跡形もなく消えてしまいました。「○○ちゃん!」という声を聴いてから彼女が消えるまで、たぶん数秒だったと思います。一瞬、ではないのです。だから私は、あれは気のせいや見間違いではなく、彼女はたしかに私に最後のあいさつをしに来てくれたのだ、と信じています。

 最後は意識が無かった彼女ですが、人間が死ぬと、たぶん意識は元気な頃に戻り、昔仲の良かった友人やお世話になった人のところにあいさつに行こう、とするのだと思います。その後一体どうなるのかなあ、と時々考えるのですが、たぶん意識とか魂と呼ぶものはずーっと存在するのだと思います。

 彼女がその後私の前に現れることはなく、私が時々彼女を思い出すだけです。でも、たぶんそんな時は彼女の意識が私に語り掛けているのではないでしょうか。そういえば、私は彼女が亡くなった年齢になりました。亡くなったのはちょうど今頃、秋の深い時期でした。

 彼女があいさつに来てくれた話をすると、「えーっ怖い!」という人がいるのですが、全然怖くないのです。むしろ、昔のままの笑顔を見せに来てくれた彼女に、私は感謝しています。脳に癌が転移した彼女の姿に私はとてもショックを受けていたので、あの昔のままの笑顔で、以前のように私の名前を元気な声で呼んでくれたことで、私は「ああ、彼女は苦痛から解放され、元気なころの姿に戻ったんだなあ」と思うことができたからです。だから、彼女のことを今思い出すときの姿は病院のベッドの上で苦しんでいた姿ではなく、私の隣に立って笑っていた横顔や、食事を一緒にした頃のきれいな笑顔なのです。

 私のように出張ばかりしていると旅先でぽっくりと死ぬことも無い話ではありません。その時は、皆さんのところにあいさつに行きますね。ちゃんと気づいてくださいね。ウサギ