職場の同僚のロシア系の秘書さん、クリスティーナは、私がジュネーブに行ったころからとてもやさしくしてくれて、職場の地下にあるジムで月曜と金曜に行われている柔軟体操を中心にしたエクササイズがあることも教えてくれて一緒に通っていました。

ところが、この5月にがんが見つかり、それ以来長期病欠しているのです。5月に私がジュネーブにいた際には、ジュネーブから車で1時間ほどのグリュイエールの街に連れて行ってくれて一緒にチーズフォンデュをいただいたのです。それからわずか2週間後、突然のお腹の痛みで職場で倒れ、病院で調べたらすでにステージ3の卵巣がんが見つかり、すぐに胃や肝臓にも飛び散っていたがんを切除する9時間の手術を受けたのだそうです。今は3週間に一度化学療法を受けているそうで、化学療法を受けてしばらくは起き上がれないほど体がだるいので外で食事なんて考えられないのだそうですが、次の療法の前には健康な時と同様に食事もできる、ということで「元気な時期を選んでウサギと食事したかったのよ」と中華料理に誘ってくれました。先週のことです。

実はその方のお嬢さんが日本大好きでこの夏1か月東京に滞在した際に私が食事に招待したので、その時の思い出話も娘さんを囲んでしたい、という気持ちも彼女にはあったのでしょう。

 髪の毛がすべて抜けてしまっているので帽子をすっぽりかぶっている以外は以前と同様によくしゃべり、よく食べていました。

 一通りお嬢さんの日本旅行の話をした後、クリスティーナが言いました。「私の伯母はね、1980年代にアメリカで仕事をしたのよ。そこで日本のカメラを買ったの。『日本の物はなんでも品質が良くてしかも安い』と伯母は言っていたわ。ところがしばらくすると日本の物はどんどん価格が高くなってしまって、今は何でも中国製。品質はあまり良くないけど安くて、皆買うの。そのうちだんだん品質も良くなっていくのよね。私が思うのは、なぜそれをロシアができないか、なの」

 彼女はモスクワで育った人ですが、ロシアは広大な土地のわりに人口は少なく、日本と同じくらいの人口だそうです。「モスクワ市内はいいんだけど、ほんの50キロか100キロ行くとほとんど人が住んでいなくて、トイレも家の中には無い、水道もない、ガスもない、という町がたくさんあるの。ロシアの冬を想像してみて。トイレに行くのに外に出ないといけないのよ。それが共産体制が終わってからも何もかわらないの。まるで100年前のまま、発展しないのよ。信じられる?」

「ふーん。でも今はどのリゾート地に行ってもロシア人だらけよ。この間フランスのニースに行ったけど、ホテルにはロシア語ができるスタッフがいるしレストランに行っても周囲からロシア語が聞こえてくるの。私は『ロシア経済はとてもうまくいっているんだな』と思ったのよ」

 「そんなわけないじゃない。ロシア製のものなんて見たことないでしょ?」

 「ううっ。そういえば、ロシア製のものなんて見たこともないしあっても買わないかも。なぜなの?」

 「それはね、プーチンの取り巻きだけが潤う仕組みになっているからよ。産業を興そうとする人を国が広く応援するのではなく、プーチンの言うとおりにする者だけが利益を奪い合っているのよ。今はあぶく銭で成金が増えて、海外で遊びまわっているの。だからロシアは日本や中国や韓国のように輸出できる製品をつくるような企業は決して育たないわ。報道の自由もないに等しいし。プーチンの悪事を暴こうとしてジャーナリストが何人も殺されているの。北朝鮮と変わらないわ。景気が良いように見えるのは一時的なもので、いずれプーチンが持ってきたわずかな利益なんて無くなってしまう。その時いったいロシアはどうなるのか、本当に希望はないわ」とクリスティーナは一気にまくしたてて「ふーっ」とため息をつきました。

 「日本がうらやましいわ。日本は戦争ですべてを失ったでしょ?昔の写真を見たけどすべて焼き払われて、広島、長崎に原爆まで落とされて、世界中の人が日本はもう終わりだ、と思ったはずよ。でもほんの数十年ですばらしい経済成長をしたでしょう?国の指導者たちが賢かったし正しかったのだと思うわ。ロシアにはそんな指導者たちがいなかったのよ」

 うーん。そうかあ。日本にいるとあまり感じませんし、昔は貧しかったという話はよく聞くので時間をかけて成長してきたのだと思うのですが、たしかに他の国から見ると、日本の発展は目を見張るものだったでしょうね。

 クリスティーナの病との戦いはまだ始まったばかりで、本当に回復するまでには長い時間が必要だと思います。でもまだお子さんも学生だし、なんとか健康に戻ってほしいものです。

 ロシア人の友達がいるなんてすごーい、ウサギ