この記事のポイント:

―世の中には、嫉妬という感情とは無縁の、本当に純粋な人もいる

―純粋に人を賛美できる人には愛がある

―嫉妬心でいっぱいなら、自分の中に愛が枯渇している。自分を再び愛せる環境を探して、変化を起こすタイミングかもしれない。

 

「嫉妬」とは感情面の「ケチ」であると前回の投稿で書きました。言い方を変えると、感情面における寛容さ、鷹揚さ、余裕の欠如。私のこれまでのキャリアの中で、一番余裕が無かった時代に「嫉妬」に関して深く考えるきっかけになったことがあります。私は、小さい時から、他人と自分を比較するよりも、自分の特徴や才能に目を向けて「私はこういうことが得意だから、こっちの分野で自分を磨いていく」という風に考えるようにしていました。

しかし当時、職場で一緒だったAさんという女性に対して、何とも言えない感情を抱いていました。彼女と私は、もともと持っている才能もバックグラウンドも何から何まで異なるのだから、本来の私であれば比較なんてしないのに、ついつい、

 

「彼女が持っていて自分に無い決定的な何か」

 

が気になってしまう。それはやはり「嫉妬」という感情でした。

 

「彼女にあって、私に無い決定的な何か」とは?


私が感じていたのは、彼女の「純粋さ」、普通の人とは違う「透明感」、そこから発される美しさ。あまりに純粋で、かつ透明なので「本当なの?」とついつい疑ってみたくなっていました。「実はキャラを作っているのではないか?」「もしかしたら頭が空っぽなのでは?」等と考えたりしました。現代社会に、そんなにピュアなままでいられるの?とどうしても信じがたかった。彼女の透明さを前にすると、自分がとてつもなく汚れた人間の様に思えて、辛かった。

でも、彼女は純粋さを作っているようには思えないし、どうみても賢い。だからこそ、彼女の存在自体が「謎」。ただ、あまり親しく話すタイミングが無かったので、本当のところはよくわからなかったのです。

 

そんなAさんと、ある日ふとしたきっかけでじっくり話すことになり、私は多くのことを学びました。

何と、彼女はいままでずっと、

私が彼女には無いたくさんの才能を持っていて「すごいな」とずっと憧れていた、というのです。才能のみならず、私の外見が、彼女が密かに憧れていたあるハリウッド女優に似ているので「羨ましい、素敵だな」と思っていたと。私こそ、彼女の透明感のある、いかにも日本女性らしい美しさは、私が逆立ちをしても似ても似つかない、手の届かない「美」の様に感じ、羨ましかった。

 

キラキラとした透明な瞳で「本当にすごいです」と伝えてくれた彼女の言葉に、一切嘘は無く、とてもまっすぐな気持ちが伝わってきました。彼女はその天から与えられた才能故か、限りなく透明な存在感のせいか、嫉妬ややっかみで批判されることも多かった。しかし、それを真摯に受けとめて、見えないところで信じがたいほどの努力をしていました。

 

ただ、やはり努力ではどうにも手に入れられない特殊な才能も持っていたこともわかりました。その職業では、現場での次の動きを予測できるととても有利なのですが、彼女には第六感のような、まるで超能力のように研ぎ澄まされた感覚がありました。そして、Aさんが他の人と決定的に違うのは、彼女には「裏表」が無く、本当に「透明」かつ「純粋」であった、ということ。この二つの才能によって、彼女は誰もかなわない特別なポジションを獲得していたのです。

 

彼女の本当の姿を知った私は、「彼女にあって私に決定的に無いもの」の本質は、

 

「愛」

 

だと考えるようになりました。私も彼女も、お互いに対して同じ視線を投げかけていた。それは「自分に無いものを持っている」人への「羨望の眼差し」。でも、彼女の私に対する気持ちは「真摯な憧れ」で、私の彼女への気持ちはもっと屈折した「嫉妬」。彼女の私への気持ちには「愛」があり、私の彼女への気持ちには愛が「欠如」していた。「愛」と「嫉妬」は、反比例の関係にあるのです。

 

当時の私は、仕事面で評価されればされるほどに、周りを信じられなくなり、疑心暗鬼で極度の人間不信に陥っていました。だからこそ、Aさんの純粋さを勘繰りたくなったのでしょう。でも、どんなに汚い環境でも、澄んだ湖面のようにピュアな心を保てる人だっている、ということを身をもって知った。

 

彼女との交流を通じて、私は自分を顧みるようになりました。今いる場所で人を信じられないのであれば、環境を変えて、もっと心を健康にしてくれる居場所を探してみようと思い立ちました。結局、よりグローバルな職場に転身を図り、私のキャリアは大きく拓けました。

 

それから数年後、Aさんが突然亡くなったという知らせを受けとりました。すごくショックでしたが、そのとてつもないピュアさで、多くの人の人生に影響を与えた彼女が、限られた時間の中、この地球で果たした大きな使命に感じ入りました。同時に、Aさんのピュアさは、どこかしら天女や、かぐや姫みたいな高次元の存在と近いもののように感じていたので、天に召されてしまったのも、どこか納得の行くところもありました。

 

彼女と過ごした時間と、交わした会話から私が学んだことです:

 

―愛と嫉妬は、反比例するということ。

―誰に対しても、その人固有の才能を見出し、それを愛でること。他者の中に、自分より優れた何かをみつけたら、純粋に賛美すること。

―純粋な気持ちでいさえすれば、最終的には共感を得ることができること。

―人の純粋な気持ちを信じること。人は純粋でいられるということを心から信じること。

―すべては打算と利害関係で動いているのではない。たとえ周りがそのようにあっても、自分は打算と利害関係で動かないこと。

 

嫉妬の感情がムクムクと自分の中に沸き上がった時には、Aさんのことを思い出し、こんな風に対処しています:

 

ー足りていないのは、まずは自分への「愛」。誰かに対して嫉妬を抱く時は、自分の中での愛のゲージが下がっている時。

ーそんな時は、どんな感情であっても、自分の中に沸き上がってきた気持ちを受けとめてあげることが大事。

ーそして、その時の自分が、疲れているな、寂しいのかな、不安なのかな、と探ってあげて、もしそうなら、「大丈夫だよ」と自分を抱きしめてあげる気持ちで、許してあげること。

 

なぜなら、他の人に愛を送るには、まずは自分自身の中に愛がある必要があるからです。


この記事は、以下の記事の続きです: