マイルス・デイビスは、50年代からジャズ・シーンをリードしてきた象徴的な存在である。すでにコルトレーンを含む55年から59年のクインテットは「The First Great Quintet」として伝説になっていたが、64年にウェイン・ショーターが加わり「The Second Great Quintet」と呼ばれる第二の伝説がスタートした。メンバーは、マイルス・デイビス(トランペット)、ウェイン・ショーター(テナーサックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラム)である。ちなみに、64年の時点でマイルスは42歳、ショーターは31歳、ハンコックは24歳、カーターは27歳、ウィリアムズは19歳である。このバンドの特徴は、ウェイン・ショーターの魔術的な魅力とともに、リズム・セクション(ピアノ、ベース、ドラム)の技術が高く、個性的であることだろう。

 

 このアルバムは、マイルスにとって最後のアコースティック・アルバムとなった。これ以降、マイルスのバンドは、新しいサウンドを求めて電気楽器(キーボード、ベース、ギター)を積極的に導入していく。ジャズに「アコースティックの楽器で演奏される音楽」というイメージを抱いている人は多いと思うが、70年代にはその枠からはみ出した音楽がたくさん生まれる。「フュージョン」と呼ばれる音楽のことで、電気楽器の利用とともに、8ビートや16ビートなどロックのリズムも取り入れている。このアルバムはそんな季節の到来の一歩手前に作られたものであり、これを持ってジャズが終了したともいえる、大きなターニングポイントとなったアルバムだ。

 

「アコースティック・ジャズの到達点」と呼ぶに相応しいアルバムで、作曲も即興演奏もとても高いクオリティだ。ミュージシャン同士の音楽的対話に溢れているが、それはスポーツのような競争ではなく、一緒に質の高い芸術を生み出すためのコラボレーションになっている。演奏のレベルがあまりに高いために、独特の緊張感があり、それがアルバムの第一印象となるが、丁寧に聞いていくと各曲に凄い仕掛けが隠されている。

 

 一曲目の「Nefertiti」はウェイン・ショーターの曲だ。16小節のメロディを、テナーサックスとトランペットがユニゾンで延々と繰り返す後ろで、リズムセクションが伴奏を変えていく。それまでの即興というのは、独奏者が何か面白いことをやるのを鑑賞するものであったが、ここでは「独奏者」「伴奏者」という概念が消えている。ラヴェルの「ボレロ」のように、背景の変化を見守ることを楽しむ音楽である。

 

「Fall」もショーターの曲だ。はっきりとした旋律はなく、4小節ごとにリフレインがあるだけだ。ショーターの曲らしく、魔術にかけられているような、謎かけをされているような気持ちになる。マイルスに続いてハンコックの即興が始まるが、スキルをアピールするというよりは、何かを生み出そうと実験しているかのようである。「The First Great Quintet」はエッジなエンタテイメントだったが、「The Second Great Quintet」は芸術の実験場だった。

 

「Hand Jive」はトニー・ウィリアムズの曲だ。短い旋律を2回繰り返して演奏した後は、フリーで演奏している。このクインテットのフリーの演奏は、オーネット・コールマンのバンドとは全く違う。もっと思索的で、その場で作曲をしている緊張感がある。それこそがマイルスのやりたかったことだ。マイルスは、新しい音が生まれる瞬間に立ち会いたかったし、それを聴衆と分け合うことが最も刺激的だと考えていたはずだ。そうした即興の追求は、ウェイン・ショーターやアーマッド・ジャマルがずっと続けており、2000年代に凄い収穫を得ている。興味がある人はウェイン・ショーターの「Without a Net」を聞いてみてもらいたい。残念ながら、この曲(「Hard Jive」)では何か凄いことは起きていないが、それでもマイルス、ショーター、ハンコックがお互いの音を最大限に聞きながら、次に何を演奏しようか考えている様子を聞き取ることができる。

 

「Madness」と「Riot」はハンコックの曲だ。ハンコックらしく、凝った旋律が作曲されているが、その後の即興パートはどちらの曲も少し単調だ。この当時のハンコック自身のアルバムを聞くと、即興パートも楽器ごとにちょっとした工夫がされていること(リズムを変えたり、誰かが演奏しないなど)が多いが、さすがにそうしたディレクションはマイルスのアルバムではできなかったのだろう。

 

 最後は、ショーターの「Pinocchio」で締め括られる。これも凄い曲だ。3連符を含むモチーフが展開されていくのだが、予想外の方向に展開されながらも、なんとなく腑に落ちる。どうして、こんな旋律を書けるのかも不思議だし、それよりも何で魅力を感じるのかすら分からない。このアルバムは、ショーターの作曲家としての才能を広くプレゼンテーションすることになった。それと同時に、モードやフリーによる演奏も臨界点を迎えたことを印象付ける。すべての演奏が素晴らしいが、ミュージシャンが新鮮さを感じていないことが伝わってくる。以降、マイルスはロックに接近していく。