1978 年、パンク・ムーブメントに乗って登場したポリスだが、最初から音楽性は高かった。デビュー・アルバムにすでに「So Lonely」や「Roxanne」といった名曲を録音している。コーラスとディレイを使い、キーボードみたいな空間性を表現したアンディ・サマーズのギターや、細かいテクニックを使い、プレイフルなスチュワート・コープランドのドラムスは初めから変わっていない。

 

 ポリスはいくつかの点でトーキング・ヘッズと似ていた。リード・シンガーがほとんどの曲を書き、彼らはワールド・ミュージックの影響を受け、バンドの表現能力に満足できなくなって解散を選択した。トーキング・ヘッズを辞めたデヴィッド・バーンがラテン・オーケストラを組んだのに対し、ポリスを辞めたスティングは、オマー・ハキムとダリル・ジョーンズという二人のトップ・スタジオ・ミュージシャンと、ブランフォード・マルサリスとケニー・カークランドというコンテンポラリ・ジャズの旗手を登用してスーパー・バンドを組んだ。

 

 1枚名のソロ・アルバムである「The Dream of the Blue Turtles」は買わなかったが(当時は、すべての曲を聞きたければアルバムを買うのが普通だった)、シングル・カットされた「If You Love Somebody Set Them Free」はテレビなどで耳にすることが多かった。「誰かを愛したなら、その人を自由に解き放つべきだ」というのは正しい言い分にも聞こえるが、同時に「お前が自由になりたいだけなんじゃないの?」と勘ぐってしまう(笑)。

 

 2枚目の「Nothing Like the Sun」は、リリース後すぐにヴァイナルを購入し、数年後にCDを買い直している。最初に買ったのは、新橋のレコード屋のポップを見たのがきっかけだ。小学生のときから蕎麦が好きで、母親と一緒に都内の名店に数多く通ったが、新橋の「本陣坊」もそのうちの一つで、中学生から高校生にかけてよく行った。ある日、新橋駅から本陣坊に歩いている途中で、レコード屋の店頭にこのアルバムが置かれており、「ジャズ・ミュージシャンを起用したスティングの最高傑作」みたいなポップが付けられていた。ポリスの音楽は好きで、ジャズにも興味があったので、後日、別の店で購入した。高校3年生のときのことである。

 

 CDで買い直したのは、アメリカで大学に通っていたときだ。ガールフレンドと一緒にブランフォード・マルサリスのコンサートに行く機会があり、アンコールでステージに呼び戻されたブランフォードがリクエストを募ると、ホールの後ろの方の席から「何かスティングの曲をやってくれ」という声が上がった。ブランフォードはうんざりした顔をしながら、「ああいうポップの曲はシンガーなしで演奏しても意味がないんだ」と言いつつ、「Englishman In New York」のさわりを吹いた。そのときに初めて、「Nothing Like the Sun」でサックスを演奏していたのがブランフォードであることを知った(キーボードのケニー・カークランドも当時のブランフォード・マルサリス・カルテットのメンバーだった)。次の日にサムグッディでCDを購入した。


 改めてこのアルバムを聞き直すと、新橋のレコード屋の親父が「最高傑作」と書いた気持ちがよくわかる。ソロになってからのスティングの曲は少ししらじらしく思えるものも多いのだが、このアルバムは演奏と録音の質が高いせいで、それが気にならない。それはまるで、センスのよいギャラリーに掛けられた絵画がすべてよく見えるのと似ている。

 

 また、ゲストの面子がハンパない。ギターだけで、エリック・クラプトン、アンディ・サマーズ、マーク・ノップラー、ハイラム・ブロック、ファリード・ハークといった充実ぶりだ。曲のバラエティも申し分なく、唯一のカヴァー曲であるジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」も、ギル・エヴァンスのアレンジによって、オリジナル曲以上に新鮮だ。編曲のレベルが高く、ピーター・ゲイブリエルの名盤である「So」や「Us」を彷彿させる。そして何より、ほぼ全ての曲でブランフォードの素晴らしいソプラノ・サックスを聴くことができる。