もちろん椎名林檎のことは昔から知っていた。デビューしたときには面白いネーミングセンスを持った人だと思ったし、東京事変を旗揚げした頃にはクオリティの高いポップスの作り手であることを認識していたし、毎年、紅白のパフォーマンスもそれなりに楽しみにしていた。だけど、アルバムをダウンロードしてちゃんと聞き始めたのは、ほんの過去3、4年くらいのことである。

 

 きっかけは忘れたが、「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」を iPad にダウンロードして、海外出張の際に飛行機のなかで見て、強く感動した。飛行機のなかということが良かったのかもしれない。ヨーロッパへのフライトで電灯が消され暗いなか、ノイズキャンセリングのヘッドホンで、まるで会場にいるかのように集中して見た。椎名林檎は可愛かったし、音楽を凄く楽しんでいるように見えた。アンコールにたどり着いた頃には涙が頬を伝っていた。

 

 何度か見ているうちに気に入った曲もできて、そのなかの一つである「長く短い祭」のPVを見てみたら、とても切ない内容で、50 歳という区切りを目の前にして悩んでいたこともあって、たまに夜中にヘッドホンで爆音で聞いて歌ったり踊ったりするようになった(出張中の韓国のホテルとか)。以下、歌詞の抜粋。

 

 

人生なんて飽く気ないね

まして若さはあつちう間

今宵全員が魁(さきがけ)、一枚目よ

 

永遠なんて素気ないね

ほんの仮初めが好いね

愈々(いよいよ)宴も酣(たけなわ)、本番です

 

一寸(ちょっと)女盛りを如何しやう

この侭(まま)ぢや行き場がない

花盛り色盛り真盛りまだ

 

 

 次の感動は仕事中に訪れた。売上集計か何かの単純作業をしながら、BGMとして「ニュートンの林檎」というベストアルバムを聞いていたら、「丸ノ内サディスティック」の歌詞に雷のように撃たれて脳が痺れた。

 

 

リッケン 620 頂戴

19 万も持っていない

御茶の水

 

マーシャルの匂いで飛んじゃって大変さ

毎晩絶頂に達して居るだけ

ラット1つを商売道具にしているさ

そしたらベンジーが肺に映ってトリップ

 

 

 仕事をしながら、音楽を愛しミュージシャンになりたかった自分の青春が走馬灯のように脳内を巡って、「ああ、もう死んでもいいや」という気分になった。中学生の娘がいる身としては死ぬわけにはいかないのだけど、独身のときは「いつ死んでもいい」と思って生きていた。いや、どちらかというと死にたかった。そんな気分がフラッシュバックしたのだ。

 

「NIPPON」も好きだ。25年くらいサッカー日本代表を見ているが、昔はアジアでもなかなか勝ちきれなくて、欧米の強豪と試合するときなんかは「あんな大きな選手と戦うのは可愛そう」と思ったものだ。それが、さまざまな批判を受けながらも、どんどん強くなっていったし、試合の前に国歌を聞きながらまっすぐ前を見つめている姿は、ただただ頭が下がる。彼らは本気で、自分はなんて中途半端なんだろうと。

 

 

さいはて目指して

持って来たものはたった一つ

この地球上で いちばん

混じり気の無い 気高い青

何よりも熱く静かな炎さ

 

 

 椎名林檎名義のオリジナル・アルバムは6枚あるが、最初の3枚はアーティストとしての作品、後半の3枚はプロデューサーとしての作品に思える。どちらも違った魅力があるが、後半の3枚(「三文ゴシップ」「日出処」「三毒史」)は本当によく練られた作品で、毎秒毎秒が聞きどころになっている。強いていえば、あまりに充実していて通して聞くのが辛いことが、アルバムとしては欠点だろう。まったく息抜きできないのだ。すべての瞬間に充実を求めるのはポストモダンの特徴の一つだし、「どうせアルバムを通して聞く人なんて 1% にも満たない」というのが SNS 世代の共通の感覚かもしれない。