私が、悲劇のヒロインになってしまったって、思うようになったのは、小学校6年生の3学期の、あと一ヶ月ちょっとで卒業式っていう頃に、突然、起きた。
それは、卒業式の練習をしていた時に、起きたの。多分、私が、ちょっとだけ気の強い子だったら、そしてちょっとだけひょうきんな子だったら、どうということもなくやり過ごしてしまうような、本当にくだらないことだったの。
その、私、卒業証書を受け取る練習をしていた時に、失敗をしたの、ちょっと上手く歩けなかったの、要するに手と足が上手く交差できなくなって、なんば歩きみたいに、手と足が一緒になってしまって、そしたら、みんなが笑い出したの。私は、人に注目されるのが、苦手な子だったの。これは、言い訳になるんだけれど、5年生までの担任の先生は、そんな私のこと知っていてくれたから、何かみんなが自分のことを、注目したりするような時には、
『大丈夫よ、落ち着いて。回りは、みんな、かぼちゃだから』って、声かけてくれていたの。だから、なんとなくゆっくりだけど、頑張って出来ていたの。けど、残りあと1年っていうところで、先生が、突然学校を辞めてしまったの、どうしてか、分らないんだけれど。私には、すごく良い先生だったんだけれど。
それで、6年の時の担任の先生は、きっと私のことをよく分からなかったんだと思う。だから、この時も、先生は、笑いながら、
『今野、練習でそんなに緊張すると、卒業式には、歩けなくなるぞ』って、
先生のその言葉で、みんなは、またどっと笑い出して、私は、その場で頭の中が真っ白になって、その後、どんな風に歩いて自分の席に戻ったのか、良く覚えていない。先生は、きっとその場を、上手く収めた積もりだったと思うの、みんなの笑い声に、満足していたみたいだから、私を除いて。
それで、もうすぐ卒業式っていうことで、みんなも暇になっていて、何か面白いことをきっと捜していたんだと思う。そこに、ビンゴしてしまったの私。その時から、みんなが私の前を歩く時、手と足を一緒にして、くすくす笑いながら歩くようになった。
私は、それまでどちらかというと、目立たない子、そう、卒業アルバムを見たときに、こんな子、自分のクラスにいたって、思うような本当に目立たない子だった。
成績も、可もなく不可もなく、問題があるとしたら、運動神経を少し、生まれるときに、母のお腹の中に忘れてきたことくらい、でも、これって、すごく大事なことに繋がるんだけれど。
嫌なことが重なるときって、重なるもので体育の時間に、また失敗をしてしまった。二人三脚を五人ですることになったんだけれど、私、どうしても上手く出来なくて、みんなと歩調を合わせられなくて、すぐに転んでしまって、私が転ぶと、他の子も転んで・・・もう、最悪で、
『ごめんなさい』って、謝ると、私のせいで一緒に転んだ子が
『最低』って、一言。
そして、この『最低』って言った子が、私にとって最低の子になっていく。
つづく