■夏井いつきさんの立ち位置
毎日放送テレビのプレバトという俳句の番組があり、とても楽しい番組でわたしもよく見ています。ここで俳人の夏井いつきさんは二つの作風の違いに対してどう対応されているのでしょうか。
番組で出演者の提出された俳句を評価、添削されていますが、それをみると、どちらかに偏らないで折衷した対応をしているようです。文語の句もあれば口語の句も認めるという感じです。プレバトの場合はバラエティーでもあり教養番組でもあるので、いわゆる現代俳句のような難解な句は出てきませんが、用いる言語として文語口語両方を認めるという形になっています。
滂沱たる風鈴の音や市の朝 梅沢富美男
忘れ物を探しに菜の花を行く 立川志らく
金魚鉢金魚のいなくなる屈折 藤原敏史
雛壇を静かに登る老いた猫 千原ジュニア
座席五度倒しアイスの蓋剥がす 皆藤愛子
サイフォンに潰れる炎花の雨 村上健志
メールピコンピコンシャワー中だってば 森口瑤子
初富士は青しケサランパサラン来 森迫永依
ズル休みさやか駅前純喫茶 横尾渉
しかし、夏井さん自身の俳句の作風はつぎに揚げるように現代俳句の系統です。ここでも部分的に文語が使われてはいますが統一されてはいないようです。たとえば「洗い・けり」「躰・てふ」など。分かりやすい句もありますが、やはり現代俳句だなと思われる難解な句もあります。「水に根のひろがる夜の時鳥」「ガーベラは立つて便器はまつ白だ」「夜は伏せる鏡に響くほととぎす」などは難しい。
水に根のひろがる夜の時鳥
ガーベラは立つて便器はまつ白だ
きのうの夕虹だつたこんぺいとういかが
夏の雨描くための筆洗いけり
夜は伏せる鏡に響くほととぎす
緑さす躰てふ豊かな器
春宵のきつねうどんを吸ふぷちゆん
動く雲だけが子馬の目に映る
プレバトの俳句は二つの系統のどちらも認めるという折衷的な立場です。しかし俳句をしっかり学びたいというのであれば、やはり文語を使った伝統俳句的作風を選ぶべきでしょう。や、かな、けり、という文語の切れ字を用いて、一句全体も文語で統一するのです。その方が俳句の形を身につける近道だと思います。文語を使うと言っても切れ字以外はそれほど文語にする必要はありません。ただ表記のしかたが歴史的仮名遣いになるだけという場合が多いです。そしてもし文語を使うのが古臭いと感じるようなら、そのときはいつでも現代語の俳句に戻れるわけですから。
ちょっと余談になりますが、滋賀県には柿本多映さんという現代俳句(前衛的な俳句)の著名な俳人がいらっしゃいます。1928年大津市の名刹三井寺の生まれで現在九十五歳。毎日新聞の記者の妻で四十歳ころから作句を開始。七冊の句集があり、これらの句業に対して2017年には第十七回現代俳句大賞が贈られました。
近所の図書館に柿本さんの句集が数冊ありましたので、失礼ながら暇つぶしに全冊に目を通してみたことがありました。その結果一冊の句集にどうにかわたしにも理解できる句が一句はありましたが、その他は超がつくほど難解な句ばかりで過激な前衛俳句でした。そして理解可能なその一句は砂漠でオアシスに遭遇したように脳に染み入る感じがしましたが、内容的にはごくごく普通の俳句でした。ネットで検索したらつぎのような作品が挙げられていましたが、このように代表作として紹介されるような句は、さすがにまだ分かりやすい方の句が選ばれているなとわたしには感じられます。
天体や桜の瘤に咲くさくら
立春の夢に刃物の林立す
水平に水平に満月の鯨
人の世へ君は尾鰭をひるがへし
末黒野をゆくは忌野清志郎
おくりびとは美男がよろし鳥雲に
誰の忌か岬は冬晴であつた
真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
国原の鬼と並びてかき氷
蟻の死を蟻が喜びゐる真昼
暁の鐘兄妹いまも蛇泳ぎ
身重しと水に入りけり御所の蛇
人体に蝶のあつまる涅槃かな
共寝して覗く牡丹のまくらがり