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 山小屋

 

 



 俺達は渓流釣りに来てる。
 ここら辺は熊が出るらしいから危ないどころの騒ぎじゃないんだが。
 鮎を食わせてやると意気揚々の相棒にそそのかされてここまで来ちゃったぞ。
 喰われるのは俺達の方じゃないだろうな。
 でもまあ鮎だ鮎。
 鮎美味しいよね。
 だけど釣れない。
 釣れてない。

 そろそろ帰ろうよ

 深い溜息をついて俺はぼやいたんだが、ご機嫌斜めの相棒はなかなか帰途につこうとしてくれない。
 何だか博打で負けが込んで引くに引けない馬鹿野郎とそっくりなんだが。
 でもまあ、埠頭釣りの俺だって同じようなことはあるあるだから相棒の気持ちもわからないではない。
 だから俺は言ってやったぜ。

 気が済むまでやってくれ、それでも駄目だったら麓の何処かで鮎の塩焼きおごってくれよう

 相棒はむすっとした顔で鼻息荒く頷いてみせた。
 まったくどこまでもガキみたいな野郎だな。
 だけどだな。
 日が暮れる前には帰らなきゃいけない。
 いや、これじゃあ、もう帰りは夜だな。
 もはやあれだ、日が傾き始め夕日が差し、ありとあらゆる影が長く伸び始めている。
 まるで俺達のいる空間が切り刻まれるかのように影が、周囲の風景に黒い傷跡を刻んでいく。
 と、急に雲がたれ込み始め夕日を遮る。
 驚くほど急速に暗闇がたれ込み始める。
 そして、あまりにも唐突に、空からの水滴達が降り注ぐ。
 突風を伴いながら。
 突然の嵐だ。
 これはたまらんし、とてもまずい。
 相棒の方へそろそろ諦めろと視線を向けると、さすがに奴もまずいなという顔で竿をたたみ始める。
 だが時すでに遅しというところか、激しい風雨で視界が奪われる。
 俺達は雨に打たれ、下山しようとしたが、迷った。
 俺達を見舞う、ありとあらゆるものが視界と感覚を狂わせた。
 あの状況ではぐれなかったのが奇跡みたいだ。
 俺達は歩き続けた。
 登っているのか下っているのかすら判然としない。
 足が痛い。
 滑る。
 泥濘に足を取られる。
 体が冷え始める。
 それがますます俺達の気力を削いでいく。
 冗談じゃないぞ。
 こんな所で野垂れ死になんてまっぴらごめんだ。
 遭難っていう二文字が脳裏をよぎるが諦めてたまるか。
 だんだん行き足が鈍ってきてるが、それでも俺達は歩き続けたんだ。
 森の中を。
 俺の前を行く相棒がふらつき始める。
 声をかけてやりたいが俺ももう限界だ。
 だけど山の神様は俺達を見捨てなかった。
 見捨てないでくださった。
 視界が開けた。

 こりゃあ、いったい

 いったい何の冗談だ?
 薄気味悪いっていうのが俺の正直な心証だった。
 俺達は、打ち捨てられた集落に辿り着いたんだ。

 

 

 


  ほとんどが倒壊して屋根が落ち、傾いだ柱があばらみたいに絡み合っている。
 俺達は途方に暮れたんだが、少し歩くと外見はともかく雨風がしのげそうな家並みに出た。
 ここの集落が凋落をみせるぎりぎりの所で建てちゃったんだろうって感じだけど、あれかな都会から移住して家も建てたけど馴染めませんでしたっていう・・・まあ、いろいろあったんだろうねここも。

 おい、あそこなんか良いんじゃないか

  相棒が悲鳴のような声であちらを指さす。
 
 うおお、こいつは・・・
 
 その中でもひときわ大きい・・・けっこう飛び抜けててでかい・・・程度の良さそうなロッジに俺達は飛び込んだ。
  こんなお化け屋敷みたいな所で雨宿りかよ、なんて思わず我が身を呪ったもんだけどさ。
 こればかりは仕方ないよね。
 そうだ、俺達は仕方なく、この打ち捨てられた廃屋に身を寄せることにした。
 点したライトのおかげで少し落ち着いたが、雨の湿気のせいか強烈な腐敗臭が立ちこめむせる。

 水くれよ

 と相棒。
 俺は自分のザックから水の入ったベトボトルを取り出して相棒に渡す。
 
  コーヒーでも飲んで暖まろうぜ

 そう言って相棒がザックからキャンプ用のミニコンロを取り出してお湯を沸かし始める。

  ああ、ありがたいな

  俺は店内を見回した。
 なんて言うか、雑貨店兼食堂でしたって感じだ。
 店内の食堂の端に、場違いなくらい立派なピアノがおいてあるぞ。
 廃屋にピアノなんて見事にホラーしてるんだが。
 俺達は顔を見合わせるが敢えて沈黙を守る。
 言いたいことが同じだって事はわかってる。
 ちょっとここはヤバそうだなって言いたいけど言ったらなおさら怖くなるので口に出せない。
 
 んなわけあるかい!

 暗闇の中、疲れと恐怖を振り払うために俺達は意味なく大きな声で笑い合った。
 と。
 か弱げな女の声が震えた。
 儚げで足下に纏わり付いて来るような音色だ。
 俺達は悲鳴を上げた。
 俺達の背中に冷たいものが走った。
 逃げたい衝動に駆られ思わず腰を浮かせたんだが。
 ちょっと待て。
 これ幽霊なのか?
 俺達と同じ境遇の誰かがここに辿り着いていても不思議じゃないぞ。
 恐怖を理性でねじ伏せ俺達は我に返る。
 誰かが助けを求めている。
 ピアノの下の脚注の間に誰かがうずくまっている。
 女だった。
 何でこんな所にっていうくらいの美しい女だ。

  あんた、大丈夫か?

 女は白んだ顔に海藻みたく張り付いた髪から水滴をしたたらせ、震えながら頷いた。
 血の気の失せた唇の端が小刻みに痙攣しているのがわかる。
 相棒はまだぬるい白湯をマグカップに注いで女に手渡した。
 女が声を震わせながら礼を言い白湯を飲み干す。
 事情を尋ねると、どうやら俺達がやらかしたのと大差ない成り行きでここへ辿り着いたらしい。
 1人で渓流釣りに来て、俺達同様嵐に見舞われこの廃屋に逃げ込んだのだという。
 えらく無茶な話だが。
 その途中、すっころんで足をくじいてしまったらしいが。
 俺達だって、他所様のことを笑えない。
 置いてく訳にもいかないしな。
 
 どうするかいな?
 
 しかたない、嵐がやんだら俺達でかついで下山しよう。
 
 それで良いかな?
 
 って尋ねると女は痛みに耐えてるんだろう気力を振り絞るように歯を食い縛りながら頷いてみせた。

 ありがとう

 いやいやまったくたいしたもんだぜ。
 1人で渓流釣りって言うのも無茶だけど、良くここまで辿り着いたってもんだよなあ。
 俺達だって命からがらどこをどう突っ走って登って下ってっていう記憶が定かじゃない。
 
 取りあえず気休めだけどさ。
 
 俺はザックの中の予備のタオルを女に手渡した。
 相棒はコーヒーを入れ直し、やはり自分のザックの中から非常用の痛み止めを進呈した。

 ありがとう

 女は少し元気が出たように笑ってくれたものだから俺も嬉しくなっちゃったぜ。

  ああ、何か食べた方が良いかな

  気を良くした俺はザックに手を伸ばしかけたんだが女が唐突に話し始めた。

 この山小屋なんだけどね

 こんな話を知ってる?

 この集落がまだ人で溢れていた頃。
 ある娘がいた。
 娘は町へ出たかった。
 だけど親が許さなかった。
 娘は音楽の先生になりたかったんだ。

  女が遠い目をして話を続ける。
 そして娘はピアノが大好きだった。
 だからこの山小屋の雑貨兼喫茶店でバイトをしたんだ。
 ここのグランドピアノを自由に弾いて良いっていう条件で。
 だが、経営不振のせいか、主人は姿を見せなくなった。
 鍵を預かっていた娘は、それでも店内のピアノを弾き続けたんだ。
 好きに使ってい良っていうのがバイトの条件だったわけだし、娘にしてみれば未払いのバイト代の代償に、その分勝手にピアノを楽しんでやろうっていう気持ちだったのかもしれない。
 だが、程なくして娘も姿を消した。
 周囲の人々はくだんの店長が娘に良からぬ事を、って言う疑念を抱いたんだ。
 けれど。
 春が来て、店内からいやな匂いが漂い始めた。
 不審に思った人達が店内を調べると匂いは地下の食料庫からだった。
 そこには折れた柱に刺さった熊の遺骸。
 そして無残なまでに損なわれた死体が二つ。
 店長と娘だった。
 つまりこうだ。
 冬眠に失敗した熊が店の地下に食料庫があるのを見つけ、山小屋の脇から穴を掘って侵入し、折り悪く地下に降りた店主はそいつと鉢合わせしてしまい食料の仲間入り。
 熊は食い続けた。
 やがて娘が店長と同様の経緯を経て喰われ、散々食い散らかした熊は太ったせいで穴からも地下室の通路からも出られなくなり、ある嵐の夜に地下室で癇癪を起こした挙げ句、地下室の階段から転げ落ち柱をへし折り、そいつで串刺しになってしまい身動きがとれなくなり手負いのまま緩慢な死を迎えてしまったんだ。
 体を動かせなくて、まだまだ形の残っていた娘の食べかけの死体まで手が届かないまま飢え死にしちゃったって訳だよ。

 この匂いは人と熊の肉が腐る瘴気
 この湿気は 娘の夢が腐る無念
 冬を越せなかった熊の怨念

  私は町へ降りたかったのに。
 こんな所でペンションなんか始めてどうするのよ。
 そんなだから母さんに逃げられちゃうんだ。
 ねえ父さん

  え?
 今の話って・・・

 女が変容する。
 雪色の肌から鮮血が浸出する。
 音もなく骨格が損なわれ女の体が崩れ始める。
 俺達は悲鳴を上げて戸外に逃げ出した。

 どこをどうやって麓に戻れたのか今も記憶が定かじゃない。
 相棒とはぐれず麓の派出所に駆け込めたのは奇跡以外の何物でもない。
 そして、地元のお巡りさん達はずぶ濡れの俺達に・・・ずいぶん準備が良いな、いつも俺達みたいなのが駆け込んでくるんじゃないだろうな・・・毛布とお茶を振る舞いながら真剣な顔で聞き役に徹してくれた。
 まったく警官の鏡みたいな人達なんだが。
 お巡りさんの1人が言った。

 君達運が良いよ、ついさっき消防から通達があった。

 俺達は顔を見合わせどういうことですかってな顔になっちゃったんだが。

 君達がいた集落跡はさっき鉄砲水で流されてしまった。
 本当に運が良い。
 それにしても、君達が迷った起点の渓流からどうやったらあそこにたどり着けるのか
  
 あそこって?
 今さらながら俺達は尋ねた。
 思わず、あの女の幽霊が話したことを口にしてしまった。
 絶対に馬鹿にされるって覚悟しちゃったんだが、お巡りさんは怒るでも笑うでもなく小さく溜息をつき、そして頷いた。
 
 ああ、そんなこともあったんだよ。

 何とも形容のし難い感慨に浸りながらお巡りさんは頷いた。

 あったんだよ、俺がまだ若かった頃にね
 そうか君達、そんなことがあったのかい
 あの娘に会ったのかい

 お巡りさんは今一度、今度は深く嘆息した。

 そうか
 まだあそこにいたのかい

 俺達は結局お巡りさんの計らいで宿を借りることができたので一泊して命の洗濯をした。

 温泉に浸かりながら相棒と話したのは

 あの幽霊、危ないって思ったから俺達を脅かしたのかなあ。
 あそこから遠ざけるために。
 うんそうだ、きっとそうだ。
 なんだかんだ言って、あの娘もあの山が好きだったんじゃないか?
 山のことだって詳しくなっただろうしな。
 それにさ、あの娘きっと父親のことが好きだったんだよ。
 だから山に残ったんだ。
 あの山小屋のこともさ、きっと大好きだったんだよ。
 親父さんも、それがわかっていたから、あんな立派なピアノをおいてあげたんだよ娘のためにさ。
 うんそうだ、きっとそうだ。
 仲の良い親子だったんだよ。
 ああ、だから音楽の先生になりたいって夢も我慢したんだろう。
 微かな沈黙の後、俺と相棒の声が重なってしまう。

 ああ、良い娘だったんだよなあ

 翌日は晴れた。
 嘘みたいに晴れた。
 橋の所で町の人が数人ざわめいている。
 のぞいてみると見覚えのあるグランドピアノが岸辺に漂着していた。
 鉄砲水で流れてきたんだ。
 
 まったく、たいした娘だよ。

 不覚にも俺は感嘆の声を漏らした。
 
 ああ、あの娘はようやく町に出ることができたんだな。

 相棒が嬉しそうに目を細める。

 おかえり

  俺達は神妙な気持ちになって手を合わせた。
 線香がなくてごめん、って思いながら
 




                                                                完

 

 

 

 


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