門倉獲得には、大きな代償が廻って来たの。
まさか工藤さんを28名のプロテクト選手に入れていないとは
思わんかったぞよ。
賛否両論があろうが、若返りを目指すチームであればこそ、
逆にあのような大ベテランを手本として残してもらいたかったの。
桑田さんが居なくなっただけに、余計にそう思うのじゃ。
しかし工藤さんには本当に感謝じゃ。
桑田さん同様、トップレベルのプロ意識、その投球術、経験。
若手投手には、本当に参考になったであろう。
特に内海や辻内、林といった左投手には大きな影響もあったであろう。
その恩返しを来季は期待しているぞよ。
他球団からの戦力補強で批判にされてきた巨人軍じゃったが、
工藤さんの獲得は、理に適ったものだと思うのじゃ。
当時のチームには先発左腕不足じゃった。
宴会部長の宮本くんが引退、そして歴史的に見ても
左腕不足のチームじゃ。
どうだろう巨人軍の歴史の中で、生え抜きの左腕エースでピンと
来る人がいただろうか?
恐らく新浦壽夫さんぐらいではないだろうか。
そういうチームの歴史的背景から言っても、
実績、経験のある生きた手本として工藤さんの獲得は、
大きな意義があったろう。
その財産を内海、辻内らに引き継いでもらいたいぞよ。
以下は1965年ドラフト導入後、2位指名以上で、
入団した左腕投手。
いかに慢性的に有望な左腕投手の人材を獲得していなかったかが
分かる。
高校卒
70年 湯口敏彦
05年 辻内
湯口事件とも言われる一件から35年もの間、
高卒左腕を上位指名(2位まで)していなかった巨人軍。
そんなタブーに拘っている状況ではもはやないぞよ。
大学・社会人卒
69年小坂敏彦(早大)
88年吉田修司
92年②門奈哲寛
96年②小野仁
99年高橋尚成
03年内海哲也
門奈、小野は2位指名。
しかし約40年の間、高卒も含めわずか8名。
本当に少な過ぎた。
左腕投手を獲得しない⇒育てる経験がない⇒チームの左腕不足
この悪循環を繰り返してきたのだろう。
宴会部長以来、ようやく内海が生え抜き先発左腕として、
一本立ちをした。
これまでの伝統を復活させるとともにこの分野では
新しい巨人軍を作り出してほしいものぞよ。