「もう少し芝居が上手かったらいいのになぁ。」

虚構の劇団の東京公演が終わり、打ち上げの場で鴻上さんからもらった言葉が強く刺さっている。  




どーも、ゲキバカ劇団員の伊藤今人です。
今日はなんか長いです。すんません。
ゲキバカの事にとどまらず、梅棒についてもたくさん書いています。



さて、冒頭の話に戻りましょう。


演出家が俳優の技術について指摘するのって、ものすごく覚悟のいることだ。

「こうしてみたら?」「こっちのやり方はどう?」など、演じ方についての意見交換はよくあれど、「上手い」か「下手」かに言及するのはとても勇気がいることなはずだ。



鴻上さんとの稽古


今回、客演として参加をするにあたり、当初鴻上さんは俺の事を「今人さん」と呼んでいた。まずは「今人」と呼んでもらうようお願いすることから稽古場での関係が始まった。

客演ゆえの敬称を廃し、遠慮なく演出をぶつけてほしかったから。

俺は虚構の劇団の劇団員ではないから、鴻上さんに俺を役者として育てる義務はない。そして俺は客演として呼ばれているわけだから、育ててもらうモチベーションで参加をしてはいけない。
外部からわざわざ呼ばれているわけだから、それだけの仕事をしなければいけないのだ。

だから、「育ててもらう」ではなく「全てを学びとる」覚悟で臨んだ。

事実、鴻上さんの演出と立ち振舞いからは学べることが多すぎた。近代日本の演劇史の財産を少しでも持ち帰らないと、と、自分の稽古場での集中力は高かった。

稽古序盤で早々に人間性を見抜かれ、「茶化さずにはいられない、過剰なサービス精神に頼らないこと」を求められた。そうじゃないと黒マントの立場とあのポエムを完遂できない。


1月の末までゲキバカがあった事により、虚構の劇団への稽古参加は誰よりも遅かった。
台詞を入れるのも若い頃に比べたら遅くなった。
しかし本番初日に俺なりの黒マントを完成させることができたのは、黒マントという役を与えてくれた鴻上さんの英断と、稽古場での的確な取捨選択のおかげだ。


そして、「鮮度を失わず!とはいえ揺るがずに!」
17日間20ステージ。黒マントを演じきっての東京公演での打ち上げで、鴻上さんからもらった

「もう少し芝居が上手かったらいいのにな。」という言葉。

自分に沸き上がったのは、2種類の気持ち。



3割の悔しさと、7割の感謝


3割は悔しさだ。
というのは、もちろん、演出家にそんなことを言わせてしまった自分にとっての腹立たしさだ。

俺がもう少し芝居が上手ければ、稽古場で鴻上さんに違った刺激を与えることができ、
更なる高みへの挑戦を促せたのかもしれないからだ。本来なら挑戦させたくとも、俺が未熟だったがゆえに、諦めさせた何かがあったかもしれない。

つまりは、もう少し俺の稽古参加期間が長く、かつ鴻上さんとの関係性が深まっていれば、もっと役に立てていた可能性があった。


そして、再度の言及になるが、
育てる義務のない客演の俺に、わざわざ技術について指摘するのって、ものすごく覚悟のいることなわけで

それを口にしてくれた鴻上さんへの7割の感謝。


言われて刺さったということは
上手くできていると自分で思っていたからだ。自分の芝居が上手いと思っていたからだ。

この歳で自惚れと自分の可能性に再び気づけるのは大きい。



演技力向上の鍵


演技力向上の鍵は、良い演出家との出会いだと思う。

22歳の頃の俺の芝居は最低だった。
下手だった。
何より罪なのは、それがわかっていないことだった。



そこから自分が影響を受けた演出家は主に2人。


ゲキバカの柿ノ木タケヲは、「あえて口にしない演出家」
こうしろ、これはやめろ。とは言うが、それがなぜなのかは口にしない。俳優自身が考え、答えにたどり着く必要がある。


アマヤドリの広田淳一氏は、「全てを口にする演出家」
俳優の意図を見抜き、丸裸にし、演出の意図を告げて論破する。
俳優とぶつかることをいとわない。

この正反対とも言える演出を交互に受け続けたことで、自分の芝居が変わっていった。

さらにそこに、ダンスアライブという両国国技館でのダンスイベントの司会経験が加わる。

20代半ばの未熟なMCが、強制的に10,000人に四方を囲まれた状況に置かれ、それを毎年経験できたことは、劇薬として作用した。


そうして、自分の芝居、パフォーマンスを第三者的に捉えられるようになり、与えられる役も変わってきたことで、演技力の向上を実感し、30代を迎える。


ここから演出をする機会が増え、俳優として舞台に立つ回数は減っていく。

それは自分の団体である梅棒の活動が本格化し、そこを大きくすることを何より優先する使命感があったからだ。



そこに来て今回の鴻上さんからのオファー。
久々の、一人の俳優としての、客演。
鴻上さんのもとで芝居をすることで、演出家として学べるものがたくさんあるはずだ!

そして今、
再び見えなくなっていた自分のパフォーマンス力の現状に気づかされ、しょうもない自信を打ち砕いてもらえたわけです。


なにが演出家としてなにかを学ぶだ。その前に、俳優としててんでまだまだ未熟だろうが馬鹿。って話ですよ。まったく。恥ずかしい。



そして今、何を目指すのか



名選手であり名監督である野村克也氏は、野手しかやっていない人間が、名監督になるのは難しいと語っていた。

自身が捕手で、現役時代に投手と野手のどちらの目線にも立って野球に触れてきたからの発言なのだろう。



俳優の気持ちを知ってる演出家は、必ずそれは強みになるはずだ。

これから先、演出をする立場になっていくにせよ、俳優として芝居が上手くなることは絶対に必要なことだ。

そしてなにより、俺は俳優になりたかったんじゃないのか。





昨日、レキシさんのミュージカルを観に行った。

そこでその想いはよりいっそう強くなった。

梅棒のメンバーがアンサンブルとして輝いていた。とてもがんばっていた。
これで、俺以外の5人のメンバーが、すでに赤坂ACTシアターに立ったことになる。和也は帝国劇場をはじめいろんな大劇場を経験している。


一方で、俺が大舞台で俳優として勝負できる存在であれば、梅棒や、はたまたゲキバカの状況も変わってくるのではないか、と思う。


梅棒のメンバーがそれぞれ独力で輝いているのを目の当たりにし

40歳までは、俺はそこを磨きてぇ!と思ったのだ。

「俺は、もっと芝居が上手くなりてぇ!」


そうしないと、中途半端な立場だけ手に入れて、下手でも周囲が誰も言ってくれない、裸の王様になっちまう。

ごめんだろう。そんなの。



なにより、その気付きをくれた鴻上さんに感謝です。




下手糞の 上級者への道のりは

己が下手さを知りて一歩目




安西先生!

…いや!鴻上先生!
芝居が…したいです!




さて、その一歩目は
虚構の劇団の大阪公演、愛媛公演。

しかし、そんな突然沸き上がった想いで今のパフォーマンスを無理矢理変えることはしない。稽古で培ったものはそのまま
クオリティーを、上げる!


よっしゃあ!
いくぜ!