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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

バーンスタイン

最後のコンサート

 

曲目/

ベンジャミン・ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」 – 4つの海の間奏曲 Op. 33a

1.(03:42) No. 1. Dawn
2.(04:01) No. 2. Sunday Morning
3.(05:01) No. 3. Moonlight
4.(05:26) No. 4. Storm

ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92

5.(16:19) I. Poco sostenuto – Vivace
6.(09:48) II. Allegretto
7.(10:26) III. Presto, assai meno presto
8.(08:39) IV. Allegro con brio

 

ボストン交響楽団 – Boston Symphony Orchestra
レナード・バーンスタイン – Leonard Bernstein (指揮)
録音: 19 August 1990, Tanglewood Music Center, Lenox, United States

P:ケアリソン・エームス、リチャードL・カイエ

E:ルイス・デ・ラ・フェンテ

 

DGG 4791047-16

 

 

 バーンスタインの経歴はボストンで始まり、ボストンで終わりました。バーンスタインは幼少時代から大学(ハーバード)にかけてボストンに育ち、BSOと密接な関係を保った割には、BSOとの録音は数えるほどしかありません。彼が生まれて初めて生で聴いたコンサートがアーサー・フィードラー指揮のボストンポップス(曲は「ボレロ」だったようです)で、生まれて初めて指揮をしたオーケストラもボストン・ポップスでした。BSOの指揮者だったクーセヴィツキーに見いだされ、生涯最後のコンサートも BSO、と音楽家としてのキャリヤをBSOと共に終えた、ということができると思います。そして、この録音がバーンスタインの最後のコンサートと言われ、1990年8月19日にタングルウッドで行われたボストン交響楽団との野外コンサートでした。しかも、この演奏をDGのスタッフが録音していたというのも奇跡に近いものがあります。

 

 曲はブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」、そしてベートーヴェンの「交響曲第7番」で、このベートーヴェンの7番が、記録に残る5種類の録音の中でも異常に遅いテンポで演奏されているという事です。ちなみに5種類の録音は以下のようになっています。ボストンと2種類、ニューヨークフィルと2種類、そしてウィーンフィルとの録音です。

 

  1 2 3 4
NYP-1958 12:27 9:43 8:23 7:27
NYP-1964 14:31 9:06 9:27 9:00
VPO 14:15 8:46 8:59 7:04
BSO 16:19 9:48 10:26 8:40
BSO-1957 11:32 7:59 6:48 6:37

 

 カラヤンが亡くなったのは1989/7/27で、バーンスタインは1990/10/14に亡くなっています。何もカラヤンの跡を追わなくてもよかったのにと今更ながら思われます。バーンスタインは1990年のパシフィック音楽祭を早々と切り上げ、その後のロンドン交響楽団との演奏もキャンセルして帰国しています。奇しくもプログラムはこの最後の演奏会と同じプログラムでした。

 

 

 前半のブリテンはキレキレのテンポで洗練された近代的な響きを楽しませてくれます。日本からの帰国以降も体調はあまり良くなかったようで、新しいプログラムには挑戦していません。ベビースモーカーであったバーンスタインは、自らが肺癌であった事を悟っていたのでしょう。上の音楽祭でのメッセージも、これからは指揮でも作曲でもなく、残された時間を若者を育てる事に注力していくと語っています。

 

 

 当日ボストンは、8月だというのに冷たい土砂降りの雨で、長袖トレーナーでも寒いぐらいだったようです。タングルウッドも似たような天気だったらしく、演奏会の途 中でバーンスタインは腕の振りも止まってしまい、3楽章ではハンカチを取り出して咳き込み、みるからに消耗していたらしい。(同年の「音楽の友」バーンス タイン追悼特集記事にこの演奏会の写真とレポートが載っていました)この演奏会、ボストンの放送局の TV放送で、4楽章のフィナーレの部分だけ、すこし放映したのを見ることができます。確かに腕は胸のあたりまでしか上がらず、客席からすごい拍手がわいた後 もバーンスタインは本当に疲れ切った顔をしていました。文字通り命がけで最後までやった、という感じだったのでしょう。彼自身、これが最後だという予感があったのでしょうか?その演奏の姿が、一部だけ公開されていてYouTubeで見る事ができます。それが下の映像です。

 

 

 敢えてのテンポ。この演奏は本当に生々しいライブで、一発どりの恐ろしさが記録されています。それまでのライブと違いリハでの修正の音源は使われていません・そのため、第1楽章の冒頭から金管がバランスを欠いていますし、揃っていません。この映像を観てこの演奏を聴くとまた印象がガラリと変わります。これが最後かもしれない。信頼するボストン交響楽団のメンバーと、自分を育ててくれたタングルウッドの地の聴衆と共に、ベートーヴェンをギリギリまで慈しむように演奏しているようにしか聴こえません。その気持ちはオーケストラも聴衆も一体だったのではないでしょうか。終演後の喝采からもその日のタングルウッドの熱量が生々しく伝わってきます。

 

     1    2    3    4
NYP-1958 12:27 9:43 8:23 7:27
NYP-1964 14:31 9:06 9:27 9:00
VPO 14:15 8:46 8:59 7:04
BSO 16:19 9:48 10:26 8:40
BSO-1957 11:32 7:59 6:48 6:37

 

 バーンスタインは、ピアノを習い始め夢中になって行きプロの音楽家を夢見るようになりましたが、父親は猛反対だったそうです。

それでもハーバード大学の音楽専攻課程で、指揮と作曲を学び1939年に卒業します。翌年、タングルウッドの音楽家のためのサマースクールに参加しました。ここで当時ボストン交響楽団の音楽監督を務めていたセルゲイ・クーセヴィツキ―と出会い、師事することになったのです。

 

 クーセヴィツキ―に気に入られたバーンスタインは、助手を務めながら作曲家になるか指揮者になるか模索している時にクーセヴィツキ―の世話で1943年にニューヨーク・フィルのアシスタント・コンダクターとなりました。直訳すれば副指揮者です。といっても雑用係で、オケを指揮する機会もリハーサルの下準備を時くらいで当然コンサートを振ることもありませんでした。この辺りのことを2023年に公開されたマエストロ・その音楽と愛とでは描いていました。一部の映画館では公開されたようですが、小生はNetflixで鑑賞しました。映画はここから指揮者デビューするまでを描いています。ただ、タイトルのように妻となるフェリシアとの恋愛模様をメインに据えていますから電気映画として見ると少々かったるい部分もあります。

 

 しかし、チャンスが巡ってきた1943年11月14日のこと、その日の指揮者ブルーノ・ワルターが急病となり急遽副指揮者のバーンスタインが指揮することになったのです。これがラジオで放送され、無名の青年が一躍全米に知れ渡ったことになったのです。つまり、タングルウッドはバーンスタインが著名な音楽家になるきっかけになった場所だったと思います。そして結局最後のコンサートとなった若者を教育する場のタングルウッドでの1990年8月19日の演奏はなにか因縁めいているとも言えます。

 

 

 

 

 

東海学生オーケストラ連盟

第44回合同演奏会

 

 

 

 昨年は仕事の関係でパスしましたが、今年はスケジュールがあったので出かけてみました。毎年、この時期に東海の大学の桶の面々が一堂に集まっての合同演奏会です。まあ、編成が大きいので大曲ばかり演奏しています。この麻辣の交響曲第6番など44回の定期で3回目の登場となります。

 

 このコンサート開場は17時でしたが、開演は18時と1時間の余裕がありましたということで、その間にステージを使ってアンサンブルのミニコンサートが2組ありました。

 

 最初はダンツィの木管五重奏変ロ長調作品56-1よりアレグレット、その次にイベールの、木管五重奏のための3つの小品という作品が演奏されました。

 

 

 

 

 さて、今回のステージ構成です。左にはハープ2台、ピアノ、チューブラーベルズ、チェレスタなどの打楽器群が並んでいます。

 

 

 前半は初めて耳にするフランツ・シュレーカーの作品です。編成も規模もほぼ同じという事ででカップリングされた曲でしょう。

 

 曲はリヒャルトシュトラウスを彷仏させるオーケストレーションでなかなか派手な音色がします。編成も大規模でハープが2重そして打楽器類も豊富で、シンバルが2個使われるのも珍しいところです。この曲はシュレーカーの代表的なオペラである「楽印をされた人々」が作曲されるのに、並行して、その序曲や作中の素材を用いた独立した管弦楽曲として作曲されています。オペラの完成よりも前の1913年に発表されています。ですからタイトルのあるドラマと言うのは、その後に完成された楽印を押された人々のことを指していて、その予告編のような意味を持った曲と言えるものになっています。

 

 

 

 後半はメインプログラムのマーラーの交響曲第6番です。全曲演奏するのに80分も要する対局となっています。この曲でいつも話題になるのは第4楽章で使用されているハンマーでしょう。ステージにも右の広報にハンマーが用意されています。このハンマーの打撃、従来の楽譜では2回の打撃になっていましたが、録音されたバーンサインのものなのでは3回打撃が確認されます。交響曲第5番から7番はマーラーの作曲意欲が1番充実していた時ですが、この第6番においてはいろいろ悲劇が付きまとったということで、3回目の打撃をカットする演奏が従来は主流だったようです。ということで、今回の演奏会でも打撃は2回と言うことになっていました。また、学習の順番についても、第二楽章と第3楽章を入れ替えるということが従来行われてきていましたが今回の演奏会ではこちらも現在の主流となっている第二楽章に、アンダンテモデラート、第3楽章に、スケルツォと言う形での演奏が行われました。ウィキのこの曲の紹介では、このアンダンテとスケルツォは逆になっていますから、定説では無いようです。まぁ、指揮者の判断によってここら辺は変わってしまうと言うことなのでしょう。

 

 

 さて、今回はマーラーの交響曲第6番の3回目の上演となる演奏会でしたが、第1楽章から熱の入った演奏で、どっぷりとマーラーの世界に浸ることができました。オーケストラも中部地区の大学の精鋭たちが集まっているということで、アンサンブルも実に見事でした。金管楽器も、しっかりと練習を重ねてきたのでしょう。破綻もなく、充実したマーラーサウンドを響かせていました。今回もコンサートホールでは3回席を利用しました。ここの方が全体の音がブレンドされて、上方に登ってきた音がきれいに響くからです。 

 

 第二楽章のアンダンテモデラートも、マーラーの「なき子をしのぶ歌」との関連が指摘されているように穏やかですが、半音階的な進行は十分に不安を駆り立てるものになっていました。フルートやオーボエなどの各楽器に歌い歌い、継がれ、曲は静かに盛り上がっていきます。弦の見事なアンサンブルと途中で加わるハープチェレスタ、そしてホルンが見事にこうして音楽を盛り立てていました。

 

 第3楽章は、ここではスケルツォになっていて、チェロとコントラバスの低弦と、ティンパニーのリズムに乗って、バイオリンが快活な主題を演奏していました。それにしてもコントラバス10挺は迫力があります。ティンパニーが二台使われているのも珍しいところで、大編成の一端を伺わせていました。指揮の中村氏は、細かい指示を与えて適切なタクトでオーケストラをまとめあげていました。

 

 第4楽章も指定としては、アレグロモデラートということで、結構賑やかな音楽になっています。ここでは金管楽器がコラール風の主題を演奏して全体を盛り上げていました。そして、問題となるハンマーの打撃ですが、思ったより効果がないなぁと言うのが第一印象でした。個人的にはマーラーが練習の過程で、3回目のハンマー打撃を削除し、代わりにチェレスタを追加したことが知られていますが、全てを2台のティンパニとチェレスタで演奏しても問題は無いような気がしました。

 

 どちらにしても、力の入った演奏会で最後の方向の後の静寂は結構きちんと守られ、観客も固唾を飲んで死因と見守っていました。指揮者のタクトが振り合振り降ろされると同時に万来のブラボーが響き渡り大拍手に包まれたのはこういう演奏会ではなかなかないことで、そういう意味では、大作を聴き終わったと言う充実感がありました。

 

 

 

 

ジュリーニ/ベルリンフィル

ベートーヴェン/第九

 

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125『合唱』

1. Allegro ma non troppo, un poco maestoso    17:06

2. Molto vivace    12:57

3. Adagio molto e cantabile    18:33

4. - 1. Presto    7:21

4. - 2. Presto - "O Freunde, nicht diese Tone"    19:43

 

指揮/カルロ・マリア・ジュリーニ
ソプラノ)ユリア・バラディ
メゾソプラノ)マルガリータ・ツィンマーマン
テノール)ライナー・ゴールドバーグ
バリトン)ジークフリート・ローレンツ
エルンスト・ゼンフ合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音/1989/2/15.16、1990年 フィルハーモニー、ベルリン

 

DG 4792225

 

 

 この一枚も「ベルリンフィル・グレートレコーディング」という8枚組のセットに含まれているものです。再発売という事で市販のCDのようなデジタル録音の表示はありません。まあ、1990年代の録音で今更アナログ表示もないでしょう。それにしても、ジュリーニがDGにベルリンフィルを振ってこんな録音を残していたとは知りませんでした。ジュリーニはすでにロンドン響とベートーヴェンの第九を録音していたからです。そして、この録音は1989年から1990年に録音されているという、まさにベルリンの壁の崩壊とリンクしている録音でもあるのです。ベルリンの壁の崩壊は1989年の11月9日でした。また、カラヤンが亡くなったのは1989年の7月だから、その前後、ということになります。

 

 第1楽章の第一主題の前提示の五度の和音から非常に細かに神経を尖らせていて、かなりリハーサルをしてから録音に臨んだことがわかります。最近はこういうどっしりとした響きの演奏がほぼないですからねぇ。ゆったり目のテンポでありながら、ブルックナーほどの粘着的なテンポ設定ではなく巨匠風の風格のある進行です。さすがベルリンpoで音の振幅・強弱の幅が大きく、またジュリーニ流レガートもしなやかに取り入れながら芳醇な音楽を奏でています。コーダは圧巻の出来。第2楽章の想いながらも切れのある演奏も見事。
 ピリオド楽器のスタイルの演奏ではこの第3楽章はあっさりとした演奏で何の情緒も感じさせないものが多いのですが、このゆったりとしたテンポの演奏は往年の大指揮者たちの演奏をほうふつとさせます。今の指揮者ではこの音は出せないだろうなと思わせる厳粛さと軽やかさが同居した見事な演奏です。どのオーケストラからも愛されたジュリーニですが、こういう演奏を聴いているとそれは何となくわかります。ただ悠然と音楽を愉しむだけでなく、明確なヴィジョンが指揮者から提示され、それを音にした時の奏者の驚きと嬉しさが感じられる。もともとヴィオラ奏者だったジュリーニで弦楽器の歌わせ方が巧いし、歌心のあるカンタービレがジュリーニの特徴です。

 

 それだけでなく木管楽器の浮き立たせなど楽譜の読み込みも深く、かゆいところまで手が届く音楽づくり。この演奏を聴いていると晩年のクレンペラーの演奏に、イタリア人の熱さと歌を加えるとこんな感じになるのかもと思わせます。ジュリーニはクレンペラー時代のフィルハーモニア管弦楽団との共演も多かったので、老巨匠から学んだことも多かったはずです。ジュリーニの指揮ぶりは意外とアグレッシブで、右手の肘を中心に右左と力を込めて振ります。晩年まで変わらなかったです。

 結構評価が分かれる第4楽章。祝典的に演奏されることの多い楽章を、ただ純粋な声楽曲的でポリフォニックな演奏になっているからです。私はありだと今でも思います。合唱団もかなりレガートで歌わせています。最初聴いたときには確かに踏み外しが無いかなと思ったものでした。今聴くと結構個性的な音楽づくりをしていることに気づきます。重心は依然低く、最後の1音までどの音符もおろそかにしない姿勢を強く感じます。

 

当時のコンサートでのカーテンコール

 

 実演でのこの時の演奏はソプラノのユリア・バラディの声がひときわホールに響き渡っていたという評を呼んだことがありますが、その部分の修正が1年後に行われたと推測します。

 

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 下は1994年RAI国立交響楽団との第九の模様です。実演での指揮ぶりが今では懐かしいですなぁ。

指 揮 者 : カルロ・マリア・ジュリーニ 管 弦 楽 : RAI国立交響楽団 ソプラノ : シャルロット・マルジョーノ メゾソプラノ : ハンナ・シュヴァルツ テノール : ジェームズ・ワーグナー バリトン : ハンス・ゾーティン 合 唱 団 : サンタ・チェチーリア国立音楽院合唱団

 

 

 

 

 

 

ツィマーマン/ラトル

ブラームス/ ピアノ協奏曲 第1番

 

曲目/ブラームス: ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15

1. 第1楽章: Maestoso   23:27

2. 第2楽章: Adagio   15:45

3.  第3楽章: Rondo: Allegro non troppo   12:09


ピアノ/クリスティアン・ツィマーマン
指揮/サイモン・ラトル

演奏/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音/2003/09/07,2004/12/10 スコアリング・ホール、フィルハーモニー ベルリン

P:アーレント・ブローマン

E:ウルリヒ・フェッチ

EP:マリオン・ティーム

DG 4782221


 

 手元にあるCDは2013年に発売された「ベルリンフィル・グレートレコーディング」という8枚組のセットに含まれているものです。この演奏は、2006年度のレコードアカデミー賞の銅賞を受賞しています。まあ、名盤と言えそうですが、発売までに2年を要しています。録音データを見ると2003年に最初のセッションがもたれながら1年後に再セッションがもたれています。何か深刻な禍瑕でもあったのでしょうか?実はこの間の2004年5月にはベルリンフィル恒例のヨーロッパコンサートでこの曲が演奏されています。その時のピアノはダニエル・バレンボイムでアテネで開催されています。此は、ユーロアーツからDVDで発売されていますからこちらを所有しています。

 

 

 もちろん、かたやスタジオでのセッション、かたや野外劇場での実況とシチュエーションは大幅に異なり、会場の制約もあってか、ここでは第一、第二ヴァイオリンを左手に並べた通常配置を採っていますが(ツィマーマン盤では第二ヴァイオリンを右手に配した両翼型配置)、強大なパワーとデリケートな細部表現とが共存した見事な演奏は変わりません、低弦の圧倒的な威力、とどろき渡るティンパニの力強さ、第3楽章における胸のすくような機動力の目覚しさ、木管群を中心として味わい深い独奏もあれば、要所要所であふれるような旋律表現の鮮やかさも聴かせてくれるという、ほとんどパーフェクトといいたいその演奏は、ライヴであることを考えれば音質の良さも含めて驚異的です。

下の映像でこの演奏を確認することができます。

 

 

 この演奏に満足したのかラトルは半年後にこのツィンマーマンとの演奏に追加収録を行なっています。詳しいレコーディングデータでは第1第2楽章が2003/09/7、第3楽章だけが2004/12/10の録音となっています。セッションはフィルハーモニーのスコアリング・ホールで行われていますから、比較的編集しやすかったと思われます。日本では2005年11月に先行発売されています。不思議なのはこの当時、サイモン・ラトルはEMIの専属であったため、それまで一枚もDGからラトル/ベルリンフィルの録音は発売されていませんでした。そう、この録音はツィマーマンがメインで、ラトルはあくまでその伴奏をするという位置付けでした。DGとしては是が非でもこのアルバムを売りたくて必死だったのでしょう。DVDの方はユーロアーツの発売ですがちゃんと「Sir Simon Rattle appears of coutesy EMI classics」という断り書きが掲載されていますが、この手持ちのCDにはそういう表記は一切ありません。録音データもいい加減になっており、再発ということでカットされているのでしょう。

 

 さて、クリスチャン・ツィマーマン(1956-)が弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番ニ短調。この盤はツィマーマン20年ぶりの再録音(前録音は1983年バーンスタイン&VPO、こちらも所有していますからいずれ取り上げようと思います)ということと、ラトルがベルリンフィルのシェフに就いた直後の録音ということもあって期待した一枚です。で、日本ではセールス的にレコードアカデミーを受賞していますが、海外的にはどうだったのでしょう。この当時、ツィンマーマン47歳、ラトル48歳という年齢です。

ちなみに、ツィンマーマン盤とこの演奏の演奏時間は以下のようになっています。
Ⅰ:23:33 Ⅱ:14:57 Ⅲ:14:54 Total:53:24(バレンボイム)
Ⅰ:23:27 Ⅱ:15:45 Ⅲ:12:09 Total:51:21(ツィマーマン)
Ⅰ:25:01 Ⅱ:16:41  Ⅲ:13:34 Total:55:16(ツィマーマン/バーンスタイン)

 

 トータルの演奏時間はセッションの方が速くなっています。何度聴いてもブラームスらしさに溢れた渋いコンチェルトです。ところで、ツィマーマンは1984年にバーンスタイン指揮でこの作品を録音して、評判を呼んでいますが、ライナーノートに記されたインタビューでツィメルマンは「録音とはすべて一瞬の記録」といかにも彼らしい思慮深い発言のあと、実はレコーディング用に選んだ楽器が交通事故で届かず、まったく予定外のピアノを弾かされたこと、映像収録も兼ねたセッションだったため照明や吸音材等に取り巻かれていたことなど、そのレコーディングが悔いの残るものであったことを明かしていました。ですからこの曲の再録音には並々ならぬ意気込みを持って臨んでいたのでしょう。レコーディングに厳しく、再録音をあまりおこなわないツィメルマンとしては珍しい約20年ぶりのこの録音では、作品の正しいテンポを考えるために80種以上ものレコードに耳を傾けるなど、いつも以上の入念な準備を経て演奏に臨んだというだけあって、素晴らしい成果が示されています。

 

 第1楽章を通じて展開される厳格な響きと繰り返されるトゥッティのトリルは、亡くなったシューマンへ恩義と、残されたクララへの恋慕との入り混じったものとされる。作曲当時弱冠23歳の思いのたけが複雑な音楽となって表出している感じがします。交響曲として構想されたということでスケール感があります。ただ、バレンボイムの演奏を知っているだけにこの冒頭のティンパニの打ち込みも重心の低さからいうとちょっと物足りないものがあります。セッションの場所がそれほど大きなスペースでないせいかもしれません。やはり、大ホールの音響空間との違いがあるのでしょう。どうも、バレンボイムと比較してしまいますが個人的には音の捉え方はライブの方が音場が広くもっとスケール感があります。

 

 

 

 ツィマーマンの神経こまやかな表現力は、静謐な第2楽章でより明瞭に聴くことができますが、ここでも毅然とした雄々しさを常にたたえているところが、穏やかな慰安に包まれます。この楽章はラトルの細心をきわめたサポートにも注目で、複雑な味わいを秘めた木管楽器の響きなど筆舌に尽くせません。ただ、テンポはあくまでツィマーマンのテンポで押し切っています。

 

 

 第3楽章は多分この録音の白眉でしょう。ピアノ、オケともに切れ味バツグン。作曲当時26歳だったブラームスの覇気をダイレクトに体現したかのような躍動感が秀逸、カデンツァに相当するピアノ・ソロも、その輝きといいしなやかさといい文句なしです。フィナーレ直前にあらわれるヴァイオリンの主題が左右に飛び交う効果は対向配置の賜物でしょう。後年のブラームスの協奏曲にみられるラプソディックなフレーズに転じ、中盤バロックフーガ風の展開もみせつつも厳しさの底流は変わりません。

 

 

 

 

 

 




 

葉月の散財

 

 コンサートが早めに終わったので時間潰しにレコード店を覗きに行ってまたまた散財してしまいました。もう収納スペースがないのに困ったものです。ただ、今年のイベントの後にプレーヤーとアンプを新調し、カートリッジもオークションで入手していたのでついつい手が伸びてしまったんですなぁ。したが今回捕獲したレコードたちです。相変わらずごった煮です。

 

 

 

 

 アシュケナージはCDでボックスセットは所有していますが、こちらは1978年に発売された2枚組で、4曲のピアノ協奏曲が収録されています。この中でびっくりしたのはアシュケナージは初期にはイッセルシュテットやダヴィッド・ジンマンとも録音を残していたことです。此は知りませんでした。

 

 

 此も珍しい映画音楽畑のクロード・ボーリングとランパルが共演しているアルバムです。びっくりするのはランパルはフルートを吹いているのではなく指揮をしているという代物だからです。そして、共演しているのがイギリス室内管弦楽団ということで2度びっくりです。

 

 

 パイヤールがエラートがRCA翼下に入ってから録音したモーツァルトのフルート協奏曲集です。ここでフルートを吹いているのはあんとセラーシュ・アドリアンですが、ほとんどりゅうつうしていません。不思議なレコードです。1976年の発売のようですが、この当時はやはりランパルの影に隠れていたんでしょうかねぇ。

 

 

 カナダのチェリストのオーフラ・ハーノイを覚えている人はどれくらいいるでしょうかねぇ。RCAに結構録音していたはずですが、今ではほとんど忘れ去られています。これは1984年に録音されてもので、どういうわけか1985年にはポリドールにもう一枚「ヘイ・ジュード」というアルバムも録音しています。

 

 

 スイングル・シンガーズの2枚組のアルバムです。このスポットライト・オンシリーズは1976年にフィリップスから全世界発売されています。もちろん各国で中身は違いますが、このスイングル・シンガーズは全世界共通で発売されています。MJQとの共演のソースも含まれていて、なかなかの内容です。

 

 

 此は今回一番びっくりしたアルバムです。当時発売されていた「スターズ・オン」シリーズの亜流品ですが、こんなものがワーナーパイオニアから発売されていたんですなぁ。まあ、フックト・オン・クラシックがちゃんとしたロイヤル・フィルというオーケストラを使っていたのに対して、こちらは臨時編成の「ネオン・フィルハーモニー」といういかにも安っぽいオーケストラが演奏しています。確かにフックト・音のようなシームレスなアレンジにはなっていますが、このオーケストラはピアニストのマーク・アイザックスがクレジットされていることもあり、ピアノが中心のアレンジになっています。

 

 まあ、おいおい此らのアルバムを取り上げていくことにします。