第3回名古屋国際音楽祭 1980 | geezenstacの森

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第3回名古屋国際音楽祭

1980-1

 

 今年も2026年の名古屋国際音楽祭が開会されています。今年のプログラムも半ばを過ぎ月末にはハンガリー国立歌劇場の「魔笛」が上演されることになっています。この1980年の第3回の名古屋国際音楽祭でも当時は東ドイツに所属していたベルリン国立歌劇場が来日してオトマール・スゥイトナーの指揮で「魔笛」と「セビリアの理髪師」を上演していました。たしか、1977年に次いで2回目の来日公演だった記憶があります。この年の名古屋国際音楽祭のプログラムは以下のようになっていました。

 

3/19(水)

ケルン放送交響楽団

指揮:若杉 弘  ヴァイオリン:ウルフ・ヘルシャー

 

モーツァルト:歌劇 「後宮よりの逃走」 序曲 K.384

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219 「トルコ風」

マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

名古屋市民会館大ホール

 

3/29(土)・3/30(日)

ベルリン国立歌劇場オペラ

指揮:オトマール・スイットナー

管弦楽:ベルリン国立歌劇場管弦楽団

合唱:ベルリン国立歌劇場合唱団

3/29

歌劇 「セビリアの理髪師」 2幕   ロッシーニ作曲

演出:ルース・ベルクハウス   美術・衣裳:アヒム・フライヤー

3/30

歌劇 「魔笛」 2幕   モーツァルト作曲

演出:エアハルト・フィッシャー   美術・衣裳:ヴィルフリート・ヴェルツ

名古屋市民会館大ホール

 

4/12(土)

ナショナル交響楽団

指揮:ロストロポーヴィッチ

バーンスタイン:序曲 「スラヴァ!」 (ロストロポーヴィッチに捧げる)

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

名古屋市民会館大ホール

 

4/19(土)

アレクシス・ワイセンベルク  ピアノ・リサイタル

シューマン:子供の情景、謝肉祭

ムソルグスキー:展覧会の絵

シューマン:子供の情景、謝肉祭

ムソルグスキー:展覧会の絵

名古屋市民会館大ホール

 

4/22(火)

サルヴァトーレ・アッカルド ヴァイオリン協奏曲の夕べ

指揮:尾高忠明

演奏:名古屋フィルハーモニー交響楽団 

ニコライ:歌劇 「ウインザーの陽気な女房たち」 序曲

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

名古屋市民会館大ホール

 

5/10(土)

パリ管弦楽団

指揮:ダニエル・バレンボイム

フランク:交響曲 ニ短調

ドビュッシー:交響詩 「海」

ラヴェル:「ダフニスとクロエ」 組曲 第2番

名古屋市民会館大ホール

 

5/28(水)

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ チェロ・リサイタル

ピアノ伴奏:エレーナ・ロストロポーヴィチ

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009

シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821

ドビュッシー:チェロ・ソナタニ短調、  ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ ニ短調

名古屋市民会館大ホール

 

 当時はまだ愛知県芸術劇場が完成していないので公演は全て金山にある「名古屋市民会館大ホール」で開催されていました。この1980年の公演の中では、若杉弘とバレンボイム、それにベルリン国立歌劇場の3公演のパンフレットが手元にあります。まずケルン放送交響楽団の公演です。

 

 

 

 指揮の若杉弘は、ずっと読売日本交響楽団の常任指揮者だと思っていたのですが、彼が滋養認識者を務めていたのは1972-1975年の4年間だけだったんですなぁ。しかし、若杉氏は1959年に二期会のオペラ「フィガロの結婚」で指揮デビューして、1963年に芸大を卒業するとN響に指揮研究員として入団しています。そして、1965年に読売日響の専属指揮者になっています。当時読売日響は常任指揮者がいませんでしたから実質常任みたいなものだったのでしょう。で正式には1972年から常任になったというわけです。で、1972年秋からヨーロッパのオーケストラとも共演をはじめ、その流れの中で1977年2月にはベルリン放送交響楽団を率いて香港フェスティバルに参加しています。同じ年の9月からはこのケルン放送交響楽団の主席指揮者となり1988年まで勤め上げて、ガリー・ベルティーニに引き継いでいます。

 

 ということでこの時代はその主席指揮者の立場で凱旋公演しています。このケルン放送交響楽団は現在では「ケルンWDR交響楽団」と呼ばれています。もともとは戦後ドイツ北部がイギリスによって統治されその放送局は北西ドイツ放送協会(NWDR)でしたが、活動の拠点がハンブルクとケルンにおいており、このケルン側に誕生したのがこのオーケストラでした。初代の指揮者はジャン・メランとリュぼミール・ロマンスキーでしたが、その後放送局が分割され、1964年からはクリストフ・フォン・ドホナーニ、1970年からはズデニエック・マーツァル、そして1977年からは若杉氏が就任していることになります。

 

 

 このコンサートではモーツァルトのヴァイオリン協奏曲が演奏されていますが。ソロはウルフ・ヘルシャーが担当しています。当時から活躍していたドイツはバイエルン出身のヴァイオリニストで現代音楽についても積極的であったことから若杉氏とは息があったのでしょう。

 

 日本では当時のケルン放送交響楽団はまだそれほど認知が高くなかったと記憶しています。ドイツでは放送局所属のオーケストラがかなり活躍していたのですが、なかなかわかりにくかったというのもあります。まぁ、今ではすっり名前が変わってしまっている団体が多いので余計わかりにくくなっています。ちょうどこのパンフレットに当時の西ドイツの10大オーケストラのリストが上がっているので記入してみます。これは1970年当時の評価です。

・ベルリン・フィル-カラヤン

北ドイツ放送交響楽団-テンシュテット

ケルン放送交響楽団-若杉

バイエルン放送交響楽団ークーベリック

ハンブルク国立フィル-チェッカート

・バンベルク交響楽団-ローラン

・ミュンヘン・フィル-空席

・ベルリン放送交響楽団-空席

ケルン・ゲルツェニッヒ管弦楽団-アロノヴィッチ

フランクフルト放送交響楽団-インバル

 

注1---ベルリン放送交響楽団はリアス放送、自由ベルリン放送と業務上の契約で純粋の放送交響楽団には分類されていない

注2---ハンブルク国立管とケルン・ゲルツェニッヒ管弦楽団はオペラのオーケストラに分類される

 

 また、若杉氏の当時の活躍については、日本では1976年から1986年まで京都市交響楽団の主席客演指揮者であり、ヨーロッパではこのケルン放送響が年間100日、さらにベルギー国営放送管弦楽団とデンマーク放送管弦楽団の常任客演指揮者として仕事をしており、この年にはさらにフィンランド国営放送、ベルリン放送響、北ドイツ放送響、バイエルン放送響、ザールランド放送響、スウェーデン放送響、さらにはニコライ・マルコ記念国際コンクールの審査員としても活躍していたということで、多分岩城宏之氏とヨーロッパでの活躍を2分していたのではないでしょうか。ところでパンフレットにはメンバー表も載っているのですが、この当時この楽団のオーボエパートには主席としてハンスイェルク・シュレンベルガー氏の名前も確認することができます。彼は1971年このオーケストラのオーデイションに合格し1975年に首席になっています。また、客演したカラヤンの目に止まり1977年からベルリンフィルの演奏にも参加していました。この1980年の来日は彼の最後のケルンでのシーズンでこの年の秋からは正式にベルリンフィルに移籍しています。そして、ケルンの後任首席奏者には宮本文昭が就任しています。シュレンベルガー氏は名古屋フィルでのも時々敷台に立っています。

 

 

 

 

この項目続きます。