カルトからの解毒体験で見つけた「私の生き方」      『解毒』(角川書店)特設ブログ

私は、2016年1月に 『解毒』 (角川書店) を出版しました。



このブログでは、



カルトからの解毒体験を通して見つけた「女性の生き方と幸せ」について書いています。



当ブログは、拙著 『解毒』 がベースになっています。



『解毒』 をお読みになっていると、



私がお伝えする 「気づきポイント」 がより心に入ってくるかもしれません。







  • 08Dec
    • 【ご挨拶】 読者の皆さまへ

      私にとって2016年と2017年は未知の領域に挑む 「挑戦の時期」 となりました。拙著 『解毒』 は、2つの分野で日本初だったからです。1つ目として、カルトで生まれ育った元女性信者が実名で出版をするということが日本では初めてのことでした。「教団の名称を出すからには、著者自身も実名で」 というオファーでしたから筆名ではなく実名で出版しましたし、顔もお見せする形となったのです。これらは、数日しか悩まずに決定したとはいえとても勇気のいることでした。2つ目に、カルトの教義が原因で家族と生き別れになっている当事者が手記を出版することは日本では初めてのことでした。この生き別れの苦悩を味わっている人は誰もが 「これ以上家族の人間関係が悪くならないように」 との思いからどうしても 「守りの体制」 になります。私自身もかつてはそのように考えていました。しかし、私が 「攻めの体制」 を選んで出版を決意した時私は本当の意味で自立する道へ進むことができました。出版後に、家族模様は混乱した部分もあります。出版の翌年、2017年夏に父が35年ぶりにカルトに戻ったのです。私にとって心の支えだった父が私に 「悪魔」 とか 「不真実な者」 というレッテルを貼り教会に戻らない限り家族としての交流はできないと言いました。7年間、自分の生活を犠牲にして父の介護をしてきたという状況下で悪魔扱いされたことは、とても衝撃的でした。この事実は、頭の中で整理して受け入れるのに2ヶ月ほどかかりました。時を同じくして、私は坂根家のお墓参りをする機会が増えました。墓石の近くにいる間だけ霧のような優しい雨が降った日もあれば別の日には、お寺に着いたら雨が止んで快晴になったりと自分が決して1人ではないことを実感できるようになりました。「悲しい出来事に直面した時は、新しい扉を開く素敵な時期が始まる」という人生のサイクルを理解できるようになったのです。勇気を出して出版をしたことで、素敵な出会いにも恵まれました。それは、拙著 『解毒』 やこのブログを通して読者の皆さまと巡り会えたことです。特にこの特設ブログでは1年という長い期間にわたってご縁を頂くことができました。直接お目にかかる機会がなくても私が発信する文章を通して皆さまとつながれることを心から有難く思い、感謝しております。この特設ブログは、本日で幕を閉じることになりますが皆さまとは、今後も別の作品を通してお目にかかれたらと思っております。今後の活動につきましては、下記のブログにてお伝えしてまいります。作家 坂根真実のブログ2016年と2017年の2年間私は読者の方々とご一緒に「女性の幸せとは何か」 というテーマについて考えることができました。女性の生き方に複数の選択肢が登場した時代において人と比較をせずに 「オリジナルの幸せ」 を見つけるのは簡単なことではありません。だからこそ、自分軸を作り、自分の本心と向き合って答えを出す必要があります。私はこれからも、自分の作品を通して「女性の幸せとは何か」 というテーマで発信していきたいと思います。引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。拙著 『解毒』 、そして 『解毒』 特設ブログを応援してくださり本当にありがとうございました。

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  • 06Dec
    • 本当は誰もが「大切なこと」に気づいている!

      カルトで生まれ育った女性が実名・顔出しで手記を出版するというのは日本初のことでした。そのような事情から、『解毒』という本を読者がどのように受け止めるのかについては私を含め、製作者側は予測がつかなかったのです。子育ての経験がある方や人の痛みが分かる方は「ラストが良かったですね!」 とおっしゃってくださいました。一方で、様々なご批判がありました。「恋愛していたなんて、けしからん」 というご意見は多くありました。著者が表紙になっていることについての厳しいご意見や、著者の容姿についての中傷もありました。(ちなみに、表紙をプロデュースしたのは、著者ではなく編集者です)。このようなご意見は、製作者側にとっては意外なものでしたが率直なご意見をいただいたことで、この特設ブログの企画・制作に役立てることができました。女性たちが何を悩んでいるのかを知ることで、私の発信するべき内容が見えてくるからです。『解毒』出版から2年近くが経ちますが最近、あることをしみじみと考える機会がありました。それは、「親に感謝すること」 についての批判を語る読者がいなかったということです。本当は誰もが「大切なこと」 に気づいているのです。自分を生んで育ててくれた親に感謝するのは大切なことなのだと、私たちは本能的に知っています。ただし、エゴやプライドが邪魔をしてなかなか親に「ありがとう」が言えないというケースが多くあります。しかし、このエゴやプライドを乗り越えないと、幸せにはたどり着くことができません。親に感謝することは、自分の幸福に直結しているのです。読者の皆さまにとって、拙著『解毒』、そしてこの特設ブログが勇気を出して1歩を踏み出すための一助になることを心から願っています。

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  • 04Dec
    • 親が他界した時、多くの人が後悔していることって?

      日本人の平均寿命は、男性が80歳近くになり女性は80代後半になりました。この数宇だけ見ると「自分の親も80歳くらいまでは生きるのだろう」という先入観を持つ人は少なくありません。しかし実際のところ、この数字はあくまでも「平均」ですので平均寿命まで生きられないことは誰にでも起こり得ます。元気だった人が、事故や突然死によってある日突然、何の前触れもなく他界することもあるのです。私たち1人ひとりにとって親との別れがいつ来るかというのは、誰にも予測がつかないことです。そして、親が他界した時、多くの人はあることを後悔します。それは、親に「ありがとう」と言わなかったことです。「いつか言おう」と思っていても、なかなか言えずに別れの時を迎えてしまうということはとても悲しいことです。私自身は運よく、親が元気なうちに感謝を伝えることができましたがまたあらためて父と母のそれぞれに、感謝を伝える機会を作りたいと思っています。そのことによって、自分が心身共に元気でいられるということに気づいたからです。世界で1番大切な人に「ありがとう」と言えることは結局のところ、自分にとってエネルギーの源になるという好循環を生み出します。「そうは言っても、私は坂根さんのように心の整理がつかないから親に『ありがとう』が言えないんです」このようなご意見をお持ちの方も多いことと思います。実は、親に感謝を伝えるための成功パターンについてほとんどの人が正しい順番を理解していません。まず心の整理をして、整理がついたら感謝を伝えるのだと勘違いしている人が多いのではないでしょうか。しかし、この順番は真逆です。先に「ありがとう」と親に伝えることでその後に心の整理ができてくるのものだからです。まずは「言葉ありき」なのです。私が『解毒』278、279ページにある内容を考えた時私の中で完全に心の整理が整理がついたわけではありませんでした。「感謝を伝えるとしたら、こんな内容がいいなぁ……」という理想を綴ったのです。その後、278、279ページの文章を1字1句そのまま便せんに書いて母へ渡しに行く準備をしました。『解毒』出版の少し前に母に会いに行き、その手紙を母に手渡しました。2008年にシェルターから手紙を出した時以降、8年ぶりとなる母への感謝の手紙となりました。不思議なことに、それ以降、様々な形の母への感謝の気持ちが節目節目に溢れてくるようになりました。「心の整理がついたら……」 と思っているうちに親が旅立つことのないようまずは「言葉ありき」 という発想で「ありがとう」を伝えることをお勧めいたします。親への「ありがとう」は、自分の心を解放してくれる魔法のコトバなのです。

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  • 02Dec
    • 親を許せないあなたへ

      私はかつて、「親を許せない」 という感情に苦しんでいました。2013年、36歳の時にその思いを変化させる転換点が訪れます。『解毒』 241ページにある出来事をきっかけに両親の尊敬できる資質に目を向けることができたのです。母は、女手一つで姉と私を育ててくれました。私が学校でいじめに遭った時は担任の先生に頼んでいじめっ子の親を学校に呼んでもらい先生同席のもとで会議を開き、問題を解決してくれました。母は、強くて勇気のある人です。父は、昨年大病を患って弱気になるまでは女の細腕で必死に生きる私を励まし、支え続けてくれました。父は、愛情深くて優しい人です。それらのことに目を向けた時、私の中に両親への感謝の気持ちが湧き上がってきました。36歳の転換点の時期に1番嬉しかったのは「親が子どもに無償の愛を与えることはできなくても子どもは、親に無償の愛を与えることができる。そして、その愛は親を癒すことができる」 という話を聴いたことです。この話は、拙著 『解毒』 の中で1番重要な場面だと思っています。私は、その話を聴いたすぐ後に、母を癒す薬を探しに行く計画を立てました。(「薬」 は比喩表現で、実際には心を癒すものを表しています)。その場所には、文字通り命をかけて行かなければなりませんでした。当時、私は37歳でしたが「37歳の若さで死にたくない!」 という強烈な想いに支配されます。私は、そんな自分のことを情けない人間だと思い、とても落胆しました。それまでは自分と絶縁している母を責める気持ちがありましたが母のために命をかけるという状況に直面して、恐怖で全身が震えたのです。(自分は、なんて弱い人間なんだろう……)。自分の中の弱さが見えた時、私は母を責める気持ちがなくなりました。薬を見つけてから1ヵ月後、私がその薬を母に届けたことで母の対応は別人のように変わりました。親子としての縁が戻ったわけではありませんが母は、私を責めたり、子ども扱いすることがなくなったのです。今年5月に母に会った時も母が私を「大人」 として見ていることが伝わってきました。自分が変われば、相手も変わる。私は親との関係を通じて、そのことを学ぶ事ができました。親を理解し、無償の愛を注ぐことは、家族皆の幸せにつながる。そのことを身をもって体験したことで自分の人生観に自信を持つことができるようになったのです。そもそも、人間は親の愛情を求めることに関して貪欲だというのが私の持論です。その持論を持つようになったきっかけは「鮭の産卵」 についての話を詳しく聞いたことです。鮭は、母川に戻って産卵をしますが、産卵後に寿命を迎えます。その後、ふ化した稚魚たちは、川にあるものから栄養素を取り入れて成長しますがその栄養素の一部が 「親の体」 なのです。稚魚たちは 「親の体」 を食事にしながら、たくましく成長していきます。もちろん、人間は魚と違って思考や感情を持っていますし子ども時代には愛情や世話を必要とします。しかし、「足りなかった部分」 をことさらに考えすぎる傾向があると不幸を自分で呼び込んでいるようなものなのです。親は、「本当に」 至らない部分がたくさんあるのでしょうか。自分が乳児や幼児の時にしてくれたであろう世話について感謝できることは1つもない、ということなのでしょうか。自分をこの世に誕生させてくれたことについてはまったく感謝する必要はない、ということなのでしょうか。これらの疑問と真摯に向き合うと「もしかして、自分が貪欲だったのかもしれない」 と気づくかもしれません。私は、そのことに気づいた人の1人です。私自身は、親を含め人を批判できるほど高尚な人間ではなくむしろ弱い人間です。そして、親に感謝できる点は自分をこの世に誕生させてくれたことです。当たり前のようで大切なこの2つのことを理解してからはありふれた日常を 「幸せ」 だと感じるようになったのです。一般的にストレス要因と言われるような職場の人間関係の中にも愛情を感じます。有難いことに、今日も朝から 「普通の1日」 が始まっています。

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  • 30Nov
    • 親子の問題を乗り越えると、理想のパートナーに出会える?

      多くの女性が恋愛や結婚の悩みを抱えるのはなぜでしょうか。それは、「自分が理想としている男性になかなか出会えない」 と感じているからです。最初のうちは、悩んで、もがき苦みながら次の出会いを求めるのですがそのうちに妥協する生き方を選ぶようになる女性は少なくありません。「1人で生きていくよりは、この人でもいいからそばにいてくれたら……」「この人と別れたら今の生活レベルを維持できないから、我慢するしかない……」このような心境で、理想のパートナーをあきらめた場合のメリットを挙げるようになります。しかし実際のところ、女性たちが悩んでいるのは「理想のパートナー」 のことではなく、「自分の親との確執」についてです。父親を憎んでいたり、母親を憎んでいたりあるいは両親2人ともを憎んでいるということもあります。私自身、かつてはパートナーの問題で悩んでいましたので同じ心境で苦しむ女性たちの気持ちがよく分かります。パートナーの問題は、あくまでも表面的なものでしかないことをこのブログを読んでくださっている方々はすでにご理解いただいているかと思います。パートナーの問題で悩むということは、根底の部分に必ず親子の確執があるのです。親子の確執を乗り越えるというのは、時間もかかりますし、体力も必要です。しかし、親を理解し、弱さを受け入れ、大きな愛で包むことができるようにならないとパートナーの問題は解決しません。親子の確執とパートナーの問題は、根っこの部分でつながっているからです。このブログでは、カテゴリーごとに記事を書いてきましたが飛躍的にアクセス数が高かったのは、DVのカテゴリーでした。このことは、多くの女性たちがDVに悩んでいることそして、DV問題の背景にある親子の問題に悩んでいることを表しています。この親子の問題を乗り越えることができればDVをするような不誠実な男性とは出会わなくなります。パートナーの問題で悩んでいる時は、本当の悩みに気づくチャンスです。その段階で親子の問題に向き合うことができれば本来の自分に戻って、自分が理想とする男性と出会うことができるのです。

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  • 28Nov
    • 確執を解消する前に親が旅立ったら?

      あまり考えたくないことですがどんなに元気な親も、いつかは先に旅立ちます。親子の確執を解消する前に親が旅立つということもあるかもしれません。その場合、『解毒』 247ページにある宿題はどのようにこなすのでしょうか。親が他界した後に宿題をこなしたという当事者、そして治療者から伺ったお話をご紹介します。手順は、以下のようになります。■ 親への手紙を書く。■ お墓に行き、墓前でその手紙を朗読する。■ その手紙を燃やす。お墓に行って墓前で手紙を読むというのは、ハードルが高いのか低いのか私には想像がつかない部分がありました。私自身は、父と母が元気だった時に宿題をこなしていますが母のリアクションの厳しさを想定していたので、母に会うことはハードルが高いものでした。「母に否定されたら生きていけない!」 という気持ちでいっぱいだったのです。『解毒』 を書いた後、もしも親が他界していたらどうだったのかと考えてみました。墓前で親への手紙を読んでも、親から否定されることはありません。キツイ言葉を浴びせられることもないでしょう。手紙を朗読する自分の声がその場に響き渡るだけです。先入観で、その宿題はそれほど難しいものではないのではないかと思っていました。ところが、あることをきっかけにして親が生きていても他界していてもこの宿題はハードルが高いのだということを知ることになります。今年5月、退院を目前にした父に、この宿題の話をした時のことです。父は、31年前に他界した祖父への恨み言を口にしていました。「お父さん、退院したらおじいちゃんへの手紙を書いて、一緒にお墓に行きましょう。その手紙を墓前で朗読してから燃やしましょう」私がそう提案すると父の表情がこわばり、父が質問をします。「手紙を読むのはどうして? 読むとどうなるの?」「治療です。この治療をすれば、親子の確執がなくなります」私が断言すると、父は黙ってしまいました。その時以来、父が祖父への恨み言を口にすることはなくなりました。私の前でその話をすると「お墓に行きましょう」 と言われるので自粛しているのかもしれません。恨みつらみを言っている間は現実逃避をすることができますが確執を解消して現実と向き合うことは、心地よいとは限らないのです。すでに亡くなっているとはいえ、自分の親と向き合うというのは案外怖いことなのかもしれないという印象を持ちました。実際に墓前で手紙を朗読して燃やしたという体験をした人の話を聴いてもお墓に行くことに大きなためらいがあったということが分かります。親が健在でも、他界していてもこの宿題をこなすことは、難易度が高いということに変わりはありません。宿題にチャレンジすると、自分を支えてきた大きな柱が崩れるような状況に直面します。柱が崩れた後に、別のものを新しく建てなくてはいけません。「崩れる」 という体験と、「新しく建てる」 という2つの作業が待っていることが薄々分かっているのでこの宿題はしんどいのだと感じます。宿題に挑む本人が、元気で体力のある状態であることが理想的です。私の場合は勢いだけで宿題をこなしましたが今振り返ると、あの勢いも重要だったと思っています。

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  • 26Nov
    • パンドラの箱を開けた後、何をしたらいいの?

      『解毒』 出版後に知ったことなのですが『解毒』 241ページの出来事のようにパンドラの箱を開けた後何をしたら健康的になれるのかが分からないと悩む方が多いとのことです。これは、専門家の方から直接伺った内容です。重要な点として、パンドラの箱を開けた直後に、奇跡的に何かが変わるわけではありません。もしも、「これであなたの人生は激変します!」という触れ込みがある場合それは、何かの詐欺や新興宗教の勧誘である可能性が極めて高いと言えます。今までの人生観を整理し、自分軸を作っていくという作業は一朝一夕にして完了する作業ではないのです。パンドラの箱を開けた後は、「新しい価値観」という建物を建設するような地道な作業が必要になります。その作業について、ここでは2つのことをご紹介いたします。まず1つ目ですが、「生き方モデル」 を見つけるということです。子ども時代に支配的な大人に囲まれて育った人にとって尊敬できる器を持った人を見つけて、その人の人間性から学ぶ事がとても重要です。私自身、親世代や祖父母世代の人たちの中から「生き方モデル」を見つけて人間性を向上させるために必要な部分を勉強させていただきました。そのおかげで、人間関係のストレスも以前に比べて少なくなっています。2つ目に、「夫婦間や親子関係が上手くいっている人と仲良くする」という取り組みをしています。私のようにカルトを脱会した人というのはなかなか「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」を抜けられず家族仲が良くない人たちと交流することが習慣になっている人が多くいます。しかし、私は自分の中の固定概念を捨てるためにも夫との仲が円満な女性や、両親と仲良くしている女性とお付き合いするようにしてきました。その結果、「家族っていいなぁ」 というイメージが持てるようになりました。今現在、親きょうだいと家族としての交流が復活したわけではありませんが親きょうだいのことを考えると心も体もポカポカと暖かくなります。私自身が愛を体現する存在になることで家族に対しても、そばにいる人たちにも愛を伝えていく。このような生き方が、パンドラの箱を開けた後の人生に必要だと思っています。新しく学んだ愛は、じわじわと周りの人に広がっていく。これが私の信念です。

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  • 24Nov
    • 自立って、親を捨てることなの?

      「あなたは、親を捨てるつもりなの?」ドラマのようなこのセリフは、カルトの世界では現実に耳にすることがあります。カルト信者は、子どもたちが精神的にも経済的にも自立しないように育てます。そのような環境であっても、半数くらいの子どもたちは「自立への道」を選ぶのです。その時、親は「私を捨てるつもりなの?」と聞いて、子どもの側が罪悪感を持つように釘を刺します。そこまで過激なアプローチではなくても親が子どもに依存するあまり、自分の世界を持てないというケースは一般の家庭にもよく見られることです。では、子どもの側は、どのように捉えたらよいのでしょうか。まず、親の本心について紐解いてみたいと思います。親は、言葉や態度では寂しさを表すかもしれませんがそれを真に受けて子どもの側が精神的にも経済的にも自立できなかったらどうなるでしょうか。高齢者になった親が中年の子どもをお世話するという家庭が残るだけです。それは、親の望むことではありません。親は、子どもを縛り付ける言動とは裏腹に本心では 「子どもに自立して幸せになってほしい」と願っているのです。口に出してそう言わずとも、それが親の願いです。子どもの側は、そのことを認識し「自立した自分は、親孝行をしている」 と何度も自分に言い聞かせる必要があります。たとえ親が子離れできないとしても子どもの側は、腹をくくって親離れをすることがお互いの幸せなのです。5年、10年、あるいは20年ほど、自立のための努力をしているうちにほとんどの家族には親の介護をする時期が訪れます。親の介護をする時期まで、自由で充実した時間を経験していないと優しい気持ちで親の世話をすることが難しくなります。介護が始まるまでの間、親には親の幸せがあり子どもには子どもの幸せがあります。たとえ介護が始まっても、上手に自分の時間を作ることはとても大切です。私は、最近父の容態が落ち着いてきたので、少し自分の時間が増えました。この状況がいつまで続くかは分かりませんが今は「自分の世界を持つこと」を大事にしたいと思っています。

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  • 22Nov
    • 自立のプロセスで大切なことは?

      2世信者にとって、カルトを出ようと思った時に1番大きな障害になることはセーフティーネットを持つことができないケースが多い、ということです。セーフティーネットとは、信者ではない父親のことです。父親が一般の人の場合は、子どもの進学や就職について積極的に支援をしてくれます。しかし、父親と母親の両方がカルト信者だった場合あるいは元々母子家庭で母親が信者だった場合に子どもは何の後ろ盾もないままに教団を出なくてはいけません。そのような場合、大きなハンディを背負って社会に出ることを覚悟するのと同時に健康管理に気をつけることが最重要課題になります。これは、私の経験から実感していることでもあります。読者の方を含め、いろいろな方々から 「あなたは強い」 と言っていただきますが私がカルトを脱会し、数多くの危機を乗り越えられたのは健康管理に気を配ってきたからです。健康さえあれば、必死に仕事をして食べていくことができる。その一心で、今まで生き延びてくることができました。この健康管理は、とてもシンプルなことですので親離れをするすべての方に知ってほしいと思います。私が心がけているのは、「物事を簡単に色付けして判断しない」 ということです。「いい人、悪い人」 とか、「いい事、悪い事」 という判断の仕方をしていると自分の視野が狭くなって対人関係にストレスを感じるようになり自分に対しても厳しくなりすぎて心が疲弊してしまいます。心と体はつながっていますのでグレーゾーンを持って生活していた方が、健康にはプラスになるのです。そして、1日の終わりには、頑張った自分に「はなまる」をつけて褒めるようにします。その方が、次の日ものびのびと自分の能力を発揮することができるという好循環になります。どんなに辛いことがあった日でも、翌朝目が覚めたら「昨日は晴れだった。今日も良い朝を迎えることができた」 と思うようにしています。その意識が、精神と体の健康を作り出しているということに気づいたからです。もう1つ、とても大切なことを生活に取り入れています。それは、ライフワークを持つということです。仕事や家庭という2つの居場所しかないと、気持ちが行き詰まることがあります。第3の居場所をライフワークで作ることによってカルトを出た意義も見えてきますし親に与えられた人生ではなく、自分で選び取った人生を歩んでいる実感を持つことができるようになります。私は、脱会直後から11年間続くライフワークに支えられてきたので苦しいことや悲しいことがあっても乗り越えることができました。仕事や家族も大事ですが、ライフワークを見つけて維持することも重要です。私は脱会直後にライフワークを見つけたので人生の大転換点とも言えるような苦しい時期は逆にチャンスなのだと思うようになりました。追い込まれて、悩んで悩み抜いている時に「本来の自分」が見えてくるものだからです。もし自立に悩んでいる方がおられるならその悩んでいる時期こそが最大のチャンスです。私は、涙が枯れるほど泣いた時期に、ライフワークに出会いました。いまだに、親の勧誘や説得を振り切って「外の世界」で生きていられるのもライフワークがあるからです。これは、四面楚歌の状態になっていた私を励ますためにご先祖様が与えてくれたものなのかもしれません。人は、孤独なように見えて、決して孤独ではない。そう実感する毎日です。私は、仕事、家族、ライフワークのすべてに感謝しています。

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  • 20Nov
    • 親から受け継いだものを活かす方法って?

      私のように親と絶縁状態にある人はその絶縁のことに気持ちが集中する傾向があります。確かに、お盆もお正月も、家族の誕生日もクリスマスも顔を合わせない電話もメールもやり取りができないという状況は、とても悲しいことです。(もっと普通の親だったらよかったのに……)。私と似たような境遇にある人は、少なからずそう考えることでしょう。しかし、どんな家族関係であったとしても親やご先祖様から受け継いでいる宝物があるはずです。その部分にフォーカスして、自分の才能を社会のために役立てること。そのことによって得られる充実感や満足感があれば親子の確執について考える時間は少なくなります。私の母は、かなり早い段階から私の将来について「芸術の方向がいいのではないか」と考えてくれました。父方の曾祖母、祖父、そして父が芸術系の仕事をしていたからです。私が24歳になった時には、アートと福祉を融合させた仕事場を私のために作ってくれました。母の見立ての通り、私は芸術の道に進むことになります。2006年以降は、母に代わる別の師匠やコンサルタントにご指導いただき2016年には、作家デビューの夢を叶えることができました。作家の大先輩からいただいたコメントを、私は生涯忘れることはないでしょう。「あなたの才能は、後天的に身に着けたものではなく生まれつきのものです」その方は、そうおっしゃいました。私は、父と坂根家のご先祖様に感謝し、敬愛の念を持っています。この家に生まれたからこそ、今の作家としてのお仕事があるからです。もう1つ、親やご先祖様から教わった大切なことがあります。それは、「宗教と文化との関連性に関心を持つ」という姿勢です。我が家のお寺は、臨済宗妙心寺派(りんざいしゅう みょうしんじは)です。坂根家のお墓参りをする際は臨済宗妙心寺派(りんざいしゅう みょうしんじは)のお寺に出向くことになります。父が35年ぶりにカルトに戻ってからは「父が捨てた臨済宗とは、どんな宗教なのだろう」 という興味をより一層持つようになりました。その探求心が、意外な事実に行き当たります。日本でも多くの人が愛用しているアップルの携帯端末やパソコンが日本の仏教の禅から強い影響を受けて生まれたものだということを知ったのです。スティーブ・ジョブズは、出家も考えるほど仏教に傾倒していて自身の結婚式も仏教式で執り行っています。(アメ車とアメリカン・ポップスが大好きでその流れでキリスト教に入ってしまった父のようだわ……)。それまで批判的に見ていた父の生き方は世界的な流れから見ると決して珍しいことではないと感じました。スティーブ・ジョブズが仏教に傾倒していた事実はキリスト教に傾倒した父への偏見を取り除く効果があったのです。私自身は仏教を調べることに注力したいのですがアメリカ文化に憧れた父の気持ちも大切にしたいと思っています。明治維新の時、そして敗戦後のタイミングで多くの日本人はキリスト教に入らずともアメリカ文化に憧れ、アメリカを超えようと必死になりました。その近現代史を振り返り、学びを得ることで親世代への理解を深め、自分の課題を見つけることができるのです。親子の確執、そして宗教の問題があったからこそ私は、宗教と文化との関連性に関心を持つことができました。このことも、親に感謝している点です。

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  • 18Nov
    • 「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」から卒業、その後の人生設計は?

      カルト信者2世の親たちは現実逃避をするためにカルトというアディクション(嗜癖)にはまってしまいました。子どもたちがこのような環境で育つと、アディクション(嗜癖)を持つことが当たり前になってしまいます。アディクション(嗜癖)という現実逃避に居心地のよさを感じてしまうのです。それが、「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」の怖さでもあります。心の傷を舐め合う環境である「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」から出られないとしたら親の負の遺産を受け継いでいることに他なりませんし自分の人生を創造することをあきらめていることになります。人生の主人公は自分自身です。その意識と自尊心を持つためにもアディクション(嗜癖)を抱えた親のもとで育った人たちは「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」を出ることについて真剣に考える必要があるのです。カルトを脱会した元2世信者の人たちは「自分と教団に残っている2世信者は違う」と思いがちですがたいていの場合、脱会した元2世信者と教団に残っている2世信者は共通の問題を抱えています。その共通の問題とは、疾病利得を抱えていることです。人生観の基礎の部分に「可哀そうな自分」がいてそれを根拠に「成長しなくていい」と自分で自分に許可を出しているのです。この疾病利得を手放すのは簡単なことではありません。かつて自分たちの親がカルトに逃げていたように自分たちも、カルトを脱会した後にカルト脱会者のコミュニティに依存してしまうのです。もちろん、カルト脱会後にカルト脱会者とのかかわりが必要な時期もありますが何年も、何十年もそこから出られないとしたら結局は、現実逃避をするという親の生き方を継承することになってしまいます。カルト脱会者のコミュニティに身を置き、傷を舐め合うだけで人生が終わるのは大変にもったいないことです。カルトを脱会した人たちの多くはSNSを含む脱会者のコミュニティにいることで「私を見て!」 とか 「私を愛して!」 というメッセージを発信し続けています。これは「大人になりたくない」 という気持ちの表れでもあります。しかし、年を重ねるにつれて「このままではいけない」という気持ちになることもあるのです。年相応の成熟した人生観を持ちたいと思う場合はどのようにして「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」を出たらよいのでしょうか。それは、アディクション(嗜癖)と決別する際の基本でもあるのですが半年後、1年後、という形で期間を区切り、卒業の日を決めて実行するということです。SNSのコミュニティも、顔を合わせるリアルなコミュニティも集団になっているものからはすべて卒業するという覚悟が必要です。自分自身の中に「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)を卒業する」という覚悟があって初めて新しい人生を作り出すことが可能になります。空いたスペースには、「本来の自分」 に本当に必要な人間関係が生まれてきます。新しい人間関係の中で、愛を与える側になった時カルト脱会者は初めて 「人生を創造する」という体験をすることができます。生まれ育った環境に関係なく、すべての人には2つの選択肢しかありません。愛を欲する生き方をするのか、愛を与える側になるのか、という選択肢です。私は、「愛を与える側」 になることを選び取りました。そして、心穏やかな日々を送ることができています。

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  • 16Nov
    • 「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」の怖さとは?

      『解毒』 249ページにある性質を親が持っていた場合その親に育てられた子どもは、自分を守るための手段として「親子関係は上手くいかないものだ」 と自分に言い聞かせるようになります。そして、親子関係に問題を抱える人とだけ積極的に付き合うようになります。その結果、「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」を無意識に作り出すのです。親子間に確執を抱えた人とばかり交流することが自分の中で当たり前のことになっていきます。心の痛みを避けるための行動ではあってもこのような形で 「コンフォートゾーン」を作り出していくことは、とても怖いことです。なぜなら、「自分は可哀そうな人間なんだ」 という価値観から抜け出せなくなってしまうからです。カルトという環境で育った2世信者たちは脱会後にこの問題を抱えてる人が多くいます。しかも、カルトを脱会してから数年、数十年単位で脱会者同士のコミュニティから抜けられなくなってしまうのです。その背景には、「自分たちは特殊な環境で育った」という「特殊感」があります。一般社会の人たちに対して心を開くことを難しく思い元カルト信者と集う時は「我が家に帰ってきた」という錯覚すら感じます。これは、「コンフォートゾーン(居心地のよい場所)」から抜けられない状態であり脱会して「外の世界」に来た意味がなくなってしまう、と言っても過言ではありません。本名を名乗らず、ニックネームで交流する人が大半なので「本来の自分」とはほど遠い存在の自分がそこには存在します。そこまでしてカルト出身者同士で何年も、何十年も傷を舐め合う関係を続けてしまうのはなぜなのでしょうか。その理由は、たとえ脱会しても「外の世界が怖い」という気持ちがあるからです。カルト出身者であることのデメリットばかりに目が向いているので自分がかつてカルトにいたことも「暗い過去」として秘密にしている人が大半です。ただし、カルト出身者同士で集まること自体が問題なのではありません。「外の世界に踏み出すための離陸準備として活用する」という着眼点が大切です。そのためには、半年、あるいは1年と期間を明確に区切って自分で決めた期間の終わりにはコミュニティから離れる決断をする必要があります。期間を決めないと、いつまでも「カルトの世界」から抜けられなくなってしまうからです。では、「カルトの世界」から抜けた後は、何をしたら良いのでしょうか。その点については、次の記事で考えていきましょう。

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      テーマ:
  • 14Nov
    • 「親へのキモチ」は、仕事や恋愛に影響する?

      親との関係性は、仕事や恋愛と根っこの部分でつながっていますが多くの人はそのことに気づいていません。1番深刻なのは、10代で反抗期がないまま大人になった場合です。それなりに健全な家庭であれば、子どもは反抗期を経験することができるのですがそれは、親の側がセーフティーネットとなって支えてくれる場合だけです。戦場のような家庭で育った場合は「生きているだけで精一杯」 という状態のまま社会に出ることになります。反抗期がないと、他者との距離の取り方が上手くいかず境界線を踏み越えてくる相手を拒絶できなかったり反対に自分が他者の境界線を踏み越えて傷つけてしまう、ということが起きるのです。私の場合、10代で反抗期がなかっただけではなくカルトの中で 「絶対服従が当たり前」 の環境で生まれ育ったというハンディがありました。その後運良く、20代から反抗期が始まります。母への反抗期は、24歳で実家に出戻った時から5年間続きました。その時期に、人生で初めて母と激しく言い合いをして最後には引っ越し先の住所を告げずに家出をすることまでしました。父への反抗期は、33歳の時から始まります。父との間では、母よりも深刻な揉め事の繰り返しでした。母に比べると、父の方が価値観の合う部分が少ないので落としどころのないケンカをたくさんしました。最近では、母は私のことを認めてくれるようになりましたが父はいまだに、「教会に戻れ」 の一点張りです。その話題が出る度にケンカになってしまうのです。振り返ってみると、24歳からの16年間両親に対しては、後悔がないくらいに 「自分のキモチ」 を伝えてきました。もちろん、感謝の言葉は何度も伝えていますが意見が異なる部分については落としどころがなくても、言いたいことをすべて伝えてきたのです。両親は 『解毒』 を読んでいませんが『解毒』 に書いてある大事なポイントは、この数年の間に2人に話すことができています。そんな長い反抗期を経験する中で私の仕事運や恋愛運が良い方に変化し始めました。人間関係での苦労が少なくなり人とかかわることに自信が持てるようになりました。遅めの反抗期を通して、私が得たものがたくさんあるということに最近あらためて気づいています。意見が合わない人との関係も、上手く調整していくことができるようになりました。人間関係において大切な 「さじ加減」 を反抗期を通して学んだのです。私が今、充実した人間関係を築くことができるのは両親が遅めの反抗期を受け止めてくれたからだと感じます。成人後に会得した人間関係の 「さじ加減」 を今後も活用したいと思います。

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  • 12Nov
    • 子どもは親を選んで生まれてくる?

      私の父は心根の優しい人ですが、愛を受け取るのが苦手な人です。実の娘たちが多くを犠牲にして父に尽くし、世話をしてもその動機が「愛」であることをなかなか理解してくれませんでした。その背景には幼少時代の苦労があります。父が5歳の時、父の両親が離婚し、父は母方の祖母に預けられます。母親が子どもを引き取れば良かったのでしょうが母親は若い男と駆け落ちをしてしまいました。父は、周りの子どもたちから 「親のいない子だ」 といじめられ自分を捨てた両親を憎んで育ったのです。小学校5年生になった時、父親が迎えに来て一緒に暮らすことになりますが父親には新しい家族がいました。父親は息子がいるという事実を隠し初婚のフリをして再婚していたのです。後妻さんは、ある日突然夫から「実は息子がいるから引き取りたい」と打ち明けられます。後妻さんは4歳になる娘がいましたし夫のことを愛していたのでしょう。小学校5年生の男の子を引き取ることを承諾します。「愛する人に騙された」という怒りや悔しさは夫の連れ子に向けられます。そのような環境で育った父は、人を信じることができなくなりました。あまりにも辛い子ども時代を過ごすと愛情を向けられても愛情を感じ取ることが非常に難しくなります。姉も私もたくさんのものを犠牲にして父に尽くしてきましたが父は、「いつか娘たちは自分を捨てるだろう」という疑念を払拭できないでいたのです。当然、親子のコミュニケーションが難しくなります。私には「親に捨てられた」という経験がありませんのでブラックホールのように愛情を吸い込んで消してしまう父のことをどうしても理解できなかったのです。そんな父が、昨年の12月、私の手を握って泣きました。父は当時入院していて、病室での出来事でした。「星の数ほど親がいる中でパパとママのところに生まれてきてくれてありがとう」子どものように泣く父に声をかけながら、5歳で親に捨てられるということはこんなにも深い傷を人の心に残すのだということを考え、悲しくなりました。血縁の家族を信じられるようになるまでに65年もかかるのです。その時以降 、「子どもは親を選んで生まれてくる」 という話は本当なのだと確信するようになりました。姉と私は、父を癒すために父の子どもになったのですね。若い時は、私たちにそんな使命があるとは気づきませんでした。最近は、私と父の間に少しばかりの溝ができてしまいましたがこれからも、父を選んで生まれてきたことを思い出して父に接していきたいと思います。

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  • 10Nov
    • 「無償の愛」が持っている無限大のパワーって?

      私は11歳の時、幼心にあることを決意します。それは、 「母の心の傷を癒す」 という決意です。その流れに大きな変化が起きたのが、11年前のことでした。2006年、私と母は師弟関係を解消したのですがその直後から、私は母の「心の傷」に関して取材活動を開始したのです。地道な取材活動の中で粛々と事実を積み重ね執筆した原稿は10万字にも及びました。母のために開始した取材と執筆でしたが私の内面にはある変化が訪れます。宗教は、母の抱えている問題を全く解決することができないと気づいたのです。「神様は、母の『心の傷』を癒すことができない」「神様は、いない」取材で深掘りすればするほど、その想いは確信へと変わりました。これが、私がカルトを辞めた大きな理由の1つです。その後 『解毒』 241ページにある出会いは私に希望の光をもたらします。「親が子どもに『無償の愛』を与えることができなくても子どもから親へ『無償の愛』を与えることはできる。そして、その愛は親を癒すことができる」11歳の時から25年間探し続けた答えがそこにあったのです。これが、自費治療での最大の収穫となります。私は、あえて「どうしたら『無償の愛』にたどり着けるのか?」という質問を先生にしませんでした。それを自分で見つけてこそ母を癒す「薬」を作ることができると考えたからです。「薬」というのは比喩表現ですが、この「薬」の開発には100万円以上の費用がかかりました。その「薬」について解説した際の報告書の字数は1万8千字となり2014年7月、私はその報告書や他の「薬」を宅配で母に送りました。自費治療の終了からわずか半年しか経っていませんでした。この年の出来事は、私にとって生涯忘れられない感動をもたらします。母のために始めた作業でしたが、私自身にとっても心の癒しとなりました。「これからは、愚痴や弱音を吐かず、自分の運命を受け入れよう」そう心に決めて腹をくくることができたのです。子ども時代に「泣き虫みー太郎」というあだ名で呼ばれていた私はもう存在しませんでした。この時期、私はたくさんの知人や友人から「家族想いの優しい人だ」 というお褒めの言葉をいただくことになります。私はその都度「母の教育が良かったんですよ」とお答えしていました。親として、そして師匠としての母の姿を思い出しながら笑顔でそう言っていました。もはや「排斥」というカルトの除名制度は私にとって足かせにはならず、何の影響力も及ぼしていなかったのです。その後、2015年の春から新たな創作活動に取りかかりました。「親を癒すこと」をテーマとして小説を書き始めたのですが10万字に達したところで筆が止まります。筆が止まったところで、人生最大の転機が訪れたのです。2015年夏、母娘2人で追いかけてきた夢が現実味を帯びてきました。それは、「作家デビュー」 という夢です。2016年1月、『解毒』 発売日の少し前に私は母に手紙を手渡して、出版の報告をしました。手紙の内容は 『解毒』 278ページに載せた文面でした。母はその時以降、私を批判することはなくなりました。もちろん、「悪魔」などのレッテル貼りをすることもしていません。今年の訪問では、久しぶりに15分という長い時間母と顔を合わせて話をすることができました。その前の年が15秒ほどの対面でしたので私にとっては、大きな進展に感じられました。母の人生も、私の人生も、まだ道の半ばです。私はこれからも母に捧げる無償の愛について模索していきたいと思っています。憎しみからは、負の遺産しか生まれません。凍り付いた心を溶かすのは無償の愛である、というのが私の中にある信念です。

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  • 08Nov
    • 「毒親」という言葉を使う資格はある?

      「うちの親は、毒親なんです」こう断言される方々は、20代から40代の方が多いのですがその年代の方々が 「毒親」 という言葉を使うことについて私はある疑問を持っています。それは、「毒親」 という言葉を使う資格があるのかどうか、というものです。他者を非難するからには、子育てという分野で素晴らしい結果を出し自画自賛ではなく、子どもから感謝されていることが大前提となります。社会的にも高く評価される必要があります。しかし、ほとんどの人は子どもを持っていなかったり子育てが終わっていない段階で 「毒親」 という言葉に飛びつきます。それは、精神的な未熟さの表れであり年齢相応に内面が成熟していないことを世間に露呈していることになります。自分が育てた子どもが30代、40代になり、賢さを身に着けた時期に「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」 と言ってくれた場合に初めて自分の親を批判する資格が発生するのです。別の側面として、私たちの親世代が子育てをしていた時代背景も考慮しながら親世代の生き方を見つめる必要もあります。敗戦から数十年の混沌とした時代に親世代の人たちは必死で日本復興のためにもがいてきました。その時代は、核家族化により孤独な人が増えアディクション(嗜癖)という病が増加した時期でもあります。アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存、恋愛依存、性依存など多種多様なアディクションを抱えた人たちが子育てをしていたのです。新興宗教が次々に登場し癒しを求める繊細な人たちを食い物にしていった時代でもありました。経済的には豊かさを手に入れることができたかもしれませんが心の豊かさを追求するところまで戦後の復興が進んでいなかったのが実情です。我が家の場合は、カルト依存というアディクションを両親ともに抱えていました。そうしたハンディなく子育てをできた人は、果たしてどれだけいるのでしょうか。そのことを考えると、私たちはハンディがありながらも子育てをしてきた人たちを容易に批判することはできないはずです。フェアな視点でこれらのことを考える時「毒親という言葉を使う資格はあるか」 という問いの答えが見えてきます。

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  • 06Nov
    • 「毒親」という思想は解決策になる?

      以前、親子関係を特集した番組を観た時に母親との関係に悩んでいる私と同年代の女性が登場していました。その女性と母親が2人で会話している場面を映像で見て私はあることに気づきました。それは、その女性が母親に「変わってほしい」 という願いを持っていたことです。彼女は、子ども時代にどんなに辛い思いをしていたかを初めて母親に打ち明けます。それに対し、母親は娘の言い分を認めようとしません。私は、 『解毒』 255ページにある出来事を思い出しました。そして、その女性が親に「変わってほしい」 と願うことは問題の解決にはならないだろうと感じました。彼女が母親に語りかける口調には覇気がなく年老いた母親のペースに巻き込まれているのが見て取れたからです。自分の人生観を語ることもなく、黙ってうつむいてしまいました。母親に怒られてシュンとなる小さな子どものような姿が印象に残りました。「毒親」という思想にはまる人たちもおそらくその女性と同じサイクルから抜け出せないのではないでしょうか。親に「毒親」というレッテル貼りをすることでしか自分を保つことができないからです。そもそもレッテル貼りをして完結しようとする手法が成熟した大人のやり方ではないので潜在意識の中では常に 「未熟な自分」 に対する葛藤が存在します。親に対しての反抗期がないまま30代、40代、あるいはそれ以上の年齢になりふがいない自分に苛立ちを感じています。遅めの反抗期を迎えることへの羞恥心から「毒親」という便利な言葉に飛びついてしまうのです。しかし、自立のための近道だと思って飛びついた「毒親」という言葉は実は回り道や現実逃避であってなかなか目指している場所にたどり着くことはできません。親に対して拒絶の意思を伝えること、自分の人生哲学を話すこと。親が年老いてきたら、大きな愛で親を包み、 「支える側」 になること。こうした過程を経て初めて人は成熟し、親を超えることができます。安心感や幸福感を得ることもできるのです。そのためには、親子の確執を含めた人生の課題と向き合いしっかりと自分軸を作る必要があります。自分軸を作る過程は、とても時間がかかる作業です。しかし、レッテル貼りの手法とは違って本当の強さや優しさを手に入れることができます。親子の問題を解決するためには「自己変革」 という実直で地道な努力が不可欠になります。他人と過去は変えられません。変えられるのは自分だけです。

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  • 04Nov
    • 「毒親」という言葉に共感してしまうのはなぜ?

      「毒親」 という俗語が日本に浸透してきた時この言葉は、親子関係に悩む多くの人たちから歓迎されました。その理由は、この「毒親」 という言葉を親に当てはめることで「自分を変えなくて良い」 という免罪符が手に入るからです。悪いのは親で、自分は生涯 「可哀そうな子ども」 であり続けることができます。「大人になりたくない」 というピーターパンのような価値観を持った人たちの間で「毒親」 という言葉は、とても便利な語彙として広まりました。拙著 『解毒』 を読んでくださった方の中にはこの本の中に 「毒親」 という言葉が1回も使われていないということにお気づきの方もおられるかもしれません。私は、そもそも 「毒親」 関連の本を読んだことがありません。なぜなら、20代の頃から日本人の文化や価値観を大切にする生き方にシフトしてきたからです。日本で多くの人に知られるようになった 「毒親」 という俗語は日本人の価値観や感性に合ったものではないんですよね。皆さまも違和感を持ったことがあるかもしれません。私のような成育歴を持つ人はすぐに気づくのだと思いますがこの 「毒親」 という言葉は、発祥の地がアメリカです。そして、「毒」 という言葉と 「親」 という言葉を関連付けるというレッテル貼りも一神教の国教を持ったアメリカならではの手法です。いわゆる 「善 対 悪」 の考え方です。2000年以上の歴史を持つ日本にはレッテル貼りをするような安直な文化は存在しませんので日本人の魂を大切にしている人にとって、「毒親」 という言葉はなじまないのです。もし 「毒親」 という言葉に違和感を持ったことがあるという人は一神教の価値観からそれほど強い影響を受けず和の心を大切にする文化の中で生きてこられたのでしょう。私はかつて、親を憎んでいた時期がありますので「毒親」 という言葉に共感する人たちの心境は理解できます。ただし、せっかく日本に生まれ育ったのですから「毒親」 という、一神教ならではの排除型の思想に流されるのではなく日本式の哲学を大切にしたいですよね。私は、このブログを読んでくださっている方々とご一緒に日本人らしい、繊細かつ豊かな感性で「親子の問題」 を考えていきたいと思っています。

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  • 02Nov
    • 親と確執があっても、会った方がいい?

      親と確執がある場合、親と会った方がいいのかどうか悩むこともあると思います。その確執の度合いにもよるのですがここでは2つの要素を考えてみます。1つ目に、親の側に 「子どもに会いたい」 という気持ちがあるかどうかという点です。私のように親がカルトにいるような場合は親の信念として 「教団を辞めた人とは付き合わない」 というものがありますので親は私に会おうとしません。今年、父が35年ぶりにカルトに戻りましたので父も私を拒絶するようになりました。父は、「教会に行かない人は『敵対関係』 なので会うことはできない」 と言います。このような状況では、親の幸せを願いつつ遠くから見守るしかありません。今後、「子どもと会いたい」 と思うようなことがあれば親の側から連絡が来るかもしれませんしそれまでは、自分の生活に集中するつもりです。母には、年に1度の頻度で会うようにしていますがアポが取れないので、母の家に行くときは連絡なしで朝早く訪問しています。2つ目に、親と会うことで体調面のデメリットがないかどうかを見極めるということです。私のような環境で育っている人は親と会う時に体調を崩す人が多くいます。私自身、母に会いに行く日は、朝から蕁麻疹が出るという時があります。それでも年に1度は会いに行くようにしているのですが自分との約束で 「無理のない範囲で」 と決めています。5年も10年も会わないという状況になってしまうとしばらく会わないうちに親が他界してしまうかもしれませんしその時に後悔しないためにもアバウトですが 「年に1度くらい」 と考えています。このさじ加減は、本人にしか分からないことです。状況は1人ひとり異なるからです。ご参考にしていただけると嬉しいです。

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  • 31Oct
    • 親を許す……、でもその前に?

      「親を許す」 という言葉を聞くと強烈な拒絶感を持つ方もおられるかもしれません。なぜかと言うと、「親を許す」 というのは登山に例えると、エベレスト登頂に挑むようなものだからです。エベレスト登頂を目指すのであればふだんからの体力作りや登山の実践訓練が必要になります。初心者がいきなりエベレスト登頂に挑むことは不可能だからです。そして、エベレスト登頂に挑む時がやってきたとしてもそれは命がけの挑戦になります。プロの力を借りる必要もあるかもしれません。『解毒』 247ページのような場面では素人考えで実行に移すのは危険だということもお伝えしておきます。では、親子問題に向き合うにあたり体力作りや実践訓練はどのように行えばよいのでしょうか。そのことについて考えたいと思います。最初に、「実の親(片親もしくは両親)がいない」 という環境で育ったというケースを考えます。親からの虐待が行政が介入するレベルだったり行政から保護されて施設で育った場合あるいは、何らかの事情により片親または両親のいない状況で育ったという場合です。こうした状況では、親がすでに他界しているとか事態が深刻なために親に会えない状況であったりするかもしれません。大人になって親を探しても手がかりが少なくて見つからないということもあるかもしれません。実の父親や母親、またはその両方を知らないという人にとって親に関する情報は限られていますし、会ったこともないということであれば「許す」 とか 「許さない」 という次元の話は、現実味を感じにくいものです。そういう場合は、実社会の人間関係で苦手な人との関係性の中に課題を見つけその課題を乗り越えていくことで 「親を理解し、許す」 という体験をすることができます。次に、すべての人に共通のお話を2点お伝えいたします。1つ目は、 「自分軸を持ち、自分の生活を大切にする」 というものです。「親を理解し、許す」 という作業はとても体力のいることなのでその作業の前に 「自分軸」 を確立していく必要があります。「自分軸」 と言うと難しい表現に聞こえるかもしれませんが仕事でもプライベートでも自分がワクワクして居心地がいいと感じる人と付き合い居心地がいいと感じることを追求していくということです。「この人と会うとホッとするなぁ」「この場所に来ると落ち着くのよね」「この映画を観ると、心が穏やかになるわ」このような感覚を大切にして人付き合いをしたり日々の生活を送ることで、自分の中にエネルギーを溜めることができます。2つ目は、 「オリジナルの人生哲学を持つ」 ということです。子どもが成人し、親子の問題に向き合う時必ずぶつかるのが 「自分はどんな人生哲学を持っているのだろうか」 ということです。親の生き方や価値観の中には大人になった自分には受け入れられない部分もあることでしょう。そのことが親へのわだかまりにつながっていくこともあるかもしれません。しかし、親の生き方や価値観を否定するだけでは成熟した大人とは言えません。親の生き方や価値観に代わるものを持っていなければただ単に 「駄々をこねている子ども」 になってしまうからです。私は、カルト脱会後に日本の近現代史を学んだことでオリジナルの人生哲学を持つことができました。◆ 過去記事はこちら敗戦後に日本でカルトが増えた背景とは?近現代史を学んで1番驚いたことは敗戦後、占領軍GHQによりウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program) という日本人への洗脳があったことです。私の父が、我が家で800年間も続いてきた臨済宗(仏教)を捨て武家のプライドや歴史も捨ててキリスト教系カルトに入ったのはこのGHQによる洗脳が強く影響していたのです。私は、日本人の文化や魂を大切にするという生き方を選ぶことで地道に人生哲学を作り上げてきました。『解毒』 247ページにあるような挑戦をすることができたのも近現代史を学び、日本人としての人生哲学を構築していたからです。「親を許す」 という段階に入る前に上記のような要素を参考に準備をなさることをお勧めいたします。重要なのは、 「自分軸を持ち、自分の生活を大切にする」そして、 「オリジナルの人生哲学を持つ」 の2つを意識することです。

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プロフィール

坂根真実

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女性
自己紹介:
坂根真実 (さかね まみ) 1977年、東京生まれ。 メーカー勤務、業界紙記者を経て、作家デビュ...

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