今回の上京は「法事」だったので、日中まともな時間がありません。
そこで翌日早朝、宿泊したホテルの周辺で気になった場所に行ってみました。
清澄通りを地下鉄都営大江戸線両国駅方向へ進むと、蔵前橋通りとの交差点右方に横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3-25)があります。

ここは「観光地」という類ではありませんが、東京にとっては忘れられない二つの出来事のメモリアルパークの性質を持っています。
まず一つは関東大震災。
もう一つは東京大空襲。

 


上の写真は公園内にある「東京都復興記念館」。1931年の建物で、大震災と大空襲の資料などが展示してあるそうです。入館は無料でしたがなにぶん早朝の為、中を見る事は出来ませんでした。この建物の横には溶解してしまった当時の大型産業器具などが展示してあり、当時の被害の大きさを伺わせています。

 


この写真は「東京都慰霊堂」。築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太の設計により、1930年に創建され大震災と大空襲の犠牲者163000もの遺骨が納められているそうです。
この日は8月31日。
そう、この翌日は9月1日、10万人以上が死亡・行方不明となった関東大震災発生日。
翌日の慰霊大法要の準備が進められていました。
横網町公園は大震災当時、多くの罹災者の避難場所になったそうです。しかし周囲からの火災が迫り、この場所だけで38000人が亡くなったとの事。

写真はありませんが、横網町公園には他にもすぐ目につくもので「東京大空襲犠牲者追悼碑」などがありました。

 


公園内の日本庭園エリアの中にひっそりと石碑がありました。
東京大空襲での石原町(この付近)の犠牲者追悼碑です。ここでの犠牲者の遺体の状態はすさまじく、多くが炭化していたそうです。

10万人の民間人を焼き殺した東京大空襲の指揮官だったカーチス・ルメイに戦後、日本政府は「航空自衛隊育成に協力があった」との名目で、事もあろうに勲一等旭日章を授けました。この話は有名なので多くの人が知っている事ですが、元産経新聞記者で帝京大学教授でもあった高山正之氏によるとその背景には、当時のジョンソン大統領が「米国の無差別殺戮に謝罪も賠償も要求しない事を形にしろ」と要求されたからだそうです。
本当だとしたら情けないですね、こんな要求を勲章授与という形で表すなんて。
この地で焼き殺された人たちの無念の想いをバカにしたような話です。
東京大空襲についてはこちらの記事→「東京大空襲の記録」(2016/03/18)を参照して下さい。

さて横網町公園を後にして、梅之助は都営大江戸線両国駅へ向かいました。


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