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久間防衛相の原爆投下やむなし妄言に対して、アベは「それはアメリカでの一般的な考え方を伝えたもの」とフォローアップしました。アベのことだから、妄言には妄言でカバー、これは予想内とはいえ、驚愕しています。

時事ドットコム 2007/06/30-19:48

久間防衛相発言、問題視せず=「米国の考え方を紹介」-安倍首相
 安倍晋三首相は30日、遊説先の香川県丸亀市内で記者会見し、久間章生防衛相が米国の広島、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したことについて、「詳しいことは聞いていないが、久間氏は米国の考え方について紹介したと承知している。同時に原爆の惨禍にあった長崎の被爆地としての考え方にも言及されたと聞いている」と述べ、現時点では特に問題視しない考えを示した


asahi.com 久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」
2007年06月30日22時23分

 久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。原爆投下を正当化する発言とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。


 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。

 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。

 久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。

 安倍首相は同日夜、遊説先の香川県丸亀市での会見で久間氏の発言に関して「自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるとの被爆地としての考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている。核を廃絶することが日本の使命だ」と述べた。

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【久間氏の発言要旨】

 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

原爆投下が終戦を早めたなどというのは、歴史トンデモ本や、日本の武装を推進したい向きがご利用なさる洗脳思想なのですが、アベ氏、そのまま飲み込んでいます。

わたしが高校生時代ですら、原爆投下が終戦を早めたわけでないのだから、史実に反する俗説には気をつけろと、社会科の先生から習ったものです。

中高生レベル相手の初歩的な指摘を総理大臣という人にしなくてはならないのだから、嘆かわしいにも程があります。

真の問題は、総理の資質などではなく、その背後で、彼にボタンを押させる力であることに今日も言及しなくてはなりません。


また、きっと、久間罷免もせず、「広島、長崎の方の感情を害して申し訳なかった」などと矮小化して謝罪するのでしょうね。

そうです、選挙前に!!


とらちゃんの、晴天とら日和

『「マンハッタン計画」&「ハイドパーク協定」秘密協定から Q間に真剣に反論!』

では、すばらしい情報収集と分析をされています。

(毎度紋切り型のご紹介でごめんなさい。でも本当にそうとしか言いようがなくて)


原爆を投下するまで日本を降伏させるな―
        トルーマンとバーンズの陰謀 (単行本)

に関する部分などをよくお読みください。


また、社民党の抗議談話をご紹介します。


2007年6月30日 久間防衛大臣の原爆投下を肯定する発言に強く抗議する(談話)

社会民主党党首 福島みずほ

 本日、久間章生防衛大臣は千葉県内の大学で講演し、「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べた。

 久間大臣の発言は、広島と長崎の原爆によって亡くなった多くの人々と、いまなお後遺症に苦しむ被爆者に対する思いがまったく感じられず、許しがたいものである。これは、安倍総理と閣僚の従軍「慰安婦」問題についての発言と同様に、安倍内閣が戦争被害者に対して冷酷であることを示している。

 核兵器は非人道的な兵器であり、日本は核軍縮と核兵器の廃絶に全力を挙げなければならない。とくに政府の責任と役割は、非常に重い

 社民党は、安倍総理が久間大臣を直ちに罷免することを求める。最終盤を迎えた通常国会において、厳しく追及していく。

以上

国際社会での信用失墜、それは、為政者の失言という観点だけでなく、世界の非核リーダーを求められる立場としての理性をかなぐり捨てる国家としてのそれとして、大ダメージとなるでしょう。


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先日の、『沖縄慰霊の日、昨日から小田実さんの『中流の復興』を読み始めて 』から、原爆に対するアメリカ軍人の捉えかたを示した『中流の復興』の関連箇所を再掲します。

『中流の復興』より

 戦争は広島、長崎ですべてが終わっていたはずです。なのに、彼らは、原爆も特殊な爆弾に過ぎないとしか思っていなかったから、空襲を継続した。

【略】

 そのような精神構造というか、頭脳構造を考えてみると、アメリカ合州国の軍人たちにとっては原爆は決して歴史のどん詰まりに位置するようなものではなかった。通常兵器の一つの特殊な形態に過ぎなかった。だから、原爆をもうちょっと「きれいな」爆弾にしたり、あるいは小型化して、戦略核兵器を戦術核兵器にして誰でもどこでも使えるようにするということを、その後せっせとやった。その変形が劣化ウラン弾です。今、劣化ウラン弾を平気で使うのは、要するに兵器だから。特別なものでも何でもないからです。

【略】

 「歴史は、アウシュビッツ以降とアウシュビッツ以前に分かれる」と論じた人が、たくさんいます。極端に無茶苦茶なことが起こったから。しかしどうもそれは思想的に考えすぎであって、そういうことを言っているのはわれわれ民間人や思想家だけで、当事者はあまり考えていない気がします。大事なのは、過去の問題としてだけでなく、私たちの現在の問題として考えることです。昨今のイスラエルのレバノン空爆だって、それがずっとつづいているものとして考えざるを得ない。つまりアウシュビッツで歴史は終わっていない。新しい歴史が始まったはずなんだけど、現実には始まっておらず、そのまま続いているんです。

 それと同じようにつながっているのが、たとえば民族「浄化」のコソボの問題です。別にそこで新しい歴史ができたというのではなく、結局つながっている。アウシュビッツから広島、長崎、そして最後にエスニッククレンジングが出て来る。あるいはイスラエルのレバノン空爆が出て来る。平気でつながっていく。その現実について、私たちはもっと考えなくてはいけないと思います。悲しいことですが、それが現実です。


同じく、『中流の復興』から、「正義の戦争」という概念はそもそもない、という視点を引用しておきます。


 歴史上では、「正義の戦争はない」という考え方は、むしろウラの思想だった。オモテの思想は、全世界で古代からずっと「正義の戦争はある」と言う考え方でした。ただ、それには前提が一つあるんです。自分の戦争は正義で相手は不正義だという前提です。

【略】

 それに対して、「戦争に正義はない」「正義の戦争はない」という考え方はごく新しいものです。日本には今平和憲法があるから、そんな考え方は昔からあると主我勝ちですが、実は違う。「正義の戦争はある」というのが古代から二〇世紀までの常識なんです。ときどき、「戦争に正義はない」という人が出て来ますが、それはファナティックな人、狂信的な人と見なされてきました。狂信的な王様がいたりしただけです。

【略】

 最初の爆撃は、植民地に対して行います。殺してもかまわないと、そのままダーッと爆撃する。それをアジアにおいて最初に大々的にやったのは、日本です。満州でやりだした。私は子どものときに、「海洋爆撃」と言って、海軍の爆撃機が海を越えていく絵を講談社の絵本で見ました。どこへ行ったかというと、南京です。南京を空爆し、その後南京が陥落すると次は武漢、そして重慶ですね。そして、それが何年かあとになると「海洋爆撃」はそのまますべて逆に日本に返ってきた。

【略】

 われわれの戦争の歴史では、第二次世界大戦が終わった後に初めて、「こんなことをしていたらダメだ」と、「戦争に正義はない」ことを痛感した。簡単に言うと、そういうことを痛切に感じたのはドイツ、日本です。「正義のない戦争」をして、最後にどんでん返しを食った。どんでん返しはわれわれの「正義の戦争」の結果だけれども、歴史的な過程の中では、「正義のない戦争」です。「戦争に正義はない」ことを立証するような戦争をしたわけです。

 ところが、敵対した連合国のほうは、「正義のない戦争」をやっつけるんだから、逆に「正義の戦争」でしょう。その「正義の戦争」が大空襲をする。原爆を落とす。われわれを殺す。自分たちがしているのは「正義のない戦争」ではない、という考えが日本の側にも連合国側にもある。

 われわれが「正義の戦争」だと信じてした戦争は、それと戦うのが「正義の戦争」だと信じた者たちによって負かされ、結局どちらも「正義のない戦争」なんだと学ぶ体験をしました。。こうして「正義のある戦争」は「正義のない戦争」へと転換したのです。

 これは痛切な体験です。そこからは「戦争には正義はない」という結論しか出てこない。この体験があればこそ生まれたのが憲法九条です。

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ちゃんと書いていませんでしたが、子どもが虫垂炎で手術入院していました(もうすぐ退院です♪)。

介護と看護サンドイッチ状態・・・と言われましたが、まあ変わってもらえるものではないので仕方ありません。


中学生はまだ小児病棟なので、同じフロアに小児がんや難病と闘う小さなお子さんとそのご家族の方も数多くいらっしゃいます。

わたし自身、ドキュメンタリー番組を視たり闘病記を読んで、過酷な状況に置かれた子どもたちとご家族のことを、まるで、「明るくけなげに、ポジティブに努力するがその影で耐えている存在」であるかのような、「わかったつもり」になっていたのでは、と反省させられ恥ずかしく思いました。


現実には、小児病棟では、普通の子どもの生活、普通の親子関係の占める割合が大半であり、闘病はそこに付与された状況である(どこまで自由を行使できるかの条件として与えられたもの。そこに病気による苦しさや悲しさはつきまといますが)、そうしたことを感じることの多かったこの数日でした。(当然ながら、伝える側の問題ではなく、理解するわたしの想像力の問題です)


・・・もちろん、それだって「わかったつもり」になっただけなのかもしれません。


ただ、このことから、上で引用させていただいたように、「戦争」は戦争であり、そこでの正義や不正義などは、ある特定された面から付与された条件である、そう考えていたことと似ているようにも思いました。


闘病という状態や戦争という状態は、天上という視座あるいは管理する側の命名であり、そこに存在する人にとって流れているるのはやはり、それぞれの生命であり暮らしだからです。


原爆投下やむなし発言とそれを擁護するアベの愚かさは、事実誤認の甚だしさに加えて、生命のことには目をつぶるよう「命令」できるほどの戦争の大儀があるとする論理、国民を盾にした上での「効率よい負け方」ができたという想像力ゼロの思い上がりを、あらためて訴えているものなのだろうとわたしは考えています。


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