アントラーの日 その2
連休だというのが信じられません、仕事続行中。この週末に仕上げて週明けから新しい原型です。
いきなり涼しくなって秋の気配ですね。深夜、肌寒さを感じます。苦手な夏が過ぎるとちょっと寂しいのは恒例です。
必死に暑さに立ち向かったため過ごしやすいと気が抜けてドッと疲れが出ます。季節の変わり目が苦手なみなさん、ご自愛下さいませ。
さて9月11日はガボラ、その前の週、9月6日が多々良島5大怪獣でした。しなしながら、まだまだアントラーの続きです。
1966年の夏休みのことは<ゲスラの日>でも書きましたように新番組「ウルトラマン」の商品がデパートに並びました。
この年の上半期はこんなラインナップです。
1月 「ウルトラQ」TBS╱円谷プロ
4月 「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」「大魔神」大映
5月 「ウルトラQ大会」(ゴメスとペギラ再放送)
7月 「マグマ大使」フジ╱Pプロ
「ウルトラマン」TBS╱円谷プロ
8月 「大忍術映画ワタリ」東映
「海底大戦争」東映
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」東宝
「大魔神怒る」大映
これで怪獣ブームが起きないわけがありません。
夏の間ずっとフォノシートを聞いて、怪獣の絵を描いて、ソフビでだぁだぁやって過ごしました。5歳の園児だからそれで良いのです。
親も夏休みだから無理して江ノ島や多摩川園へ連れて行ってくれましたけど、嬉しいのはデパートでした。目当ては怪獣コーナー。
マスコミはこぞって怪獣ブームを話題にしました。
景気のよい昭和でも二・八はダメと言われて2月と8月は売れ行きが芳しくなかったとか。でもデパートだけは、時ならぬ怪獣ブームのおかげでこの8月は潤ったはずです。
子供が夢中になって手を掛けないで済むなら親もしぶしぶ認めざるを得ません。高度成長期の親たち働きづめでしたから。
「ウルトラマン」の商品はものすごい量となります。1つ売れると次々と出ます。「ウルトラQ」で人気の出たフォノシートやソフビ人形はそのまま継続。
ショウワノート、シスコが参戦。朝日ソノラマはソノシートの豪華版を画策中。タカトクが未就学児童向けに水物、水遊びを出しました。これは既成の型にウルトラマンと怪獣を印刷すれば済むの季節物ですから速攻で発売されたんでしょう。
「少年マガジン」や「ぼくら」が「ウルトラマン」で大人気だったため、秋から怪獣図鑑の類が出ます。挿し絵画家たちは大繁盛だった事でしょう。
成田さんの描き起こしの現代芸術社「ウルトラマン 怪獣カード」は9月発行ですから、もしかすると8月末には書店に並んでいたかもしれません。残念ながら成田さんはアントラーを描いてないんですが藤尾毅のアントラーは重みがあって好みでした。
怪獣ブームの最大の盛り上がりは66年末です。年末商戦の規模がものすごい事になりました。
小学校高学年以上が喜んだ電動歩行怪獣の大きなプラモの箱はブームの花でした。
翌67年の秋、「ウルトラセブン」が始まります。残念ながら68年はブーム終焉となりました。
ちょうどぼくは小学生になって怪獣を卒業させられます。卒業と言う名の下に怪獣の人形や図鑑を捨てられた人は多いです。
それなのにぜんぜん中身は成長なんかしないん。興味が次に移るだけでした。
東京オリンピックと大阪・日本万国博覧会の間にあった事が「ウルトラマン」をヒットさせた原因の1つでしょう。
子供の数がいまと比べものになりません。映画の時代が終わってテレビの時代になりました。
店頭にカラーテレビが並びます。そうはいってもまだ、70年代になるまで庶民にカラーテレビは届かない高嶺の花。電気屋さんでカラー番組を見るとすごいなと思います。
新聞のテレビ欄に、<カラー番組>ないしは<カラー>と冠のつく番組が増えていきます。「ウルトラマン」はカラーでしたから、なんとしても、色つきの「ウルトラマン」を子供たちは見たかった。
その想いをかなえたのは、67年夏の劇場で「長篇怪獣映画ウルトラマン」の公開でした。映画は円谷一監督の編集版だったから、ぼくの好きなアントラーは登場しませんでした。
それからしばらく立ちます。怪獣熱が再燃するのは中学生を経て高校の頃。
77年に「実相寺昭雄監督作品ウルトラマン」が公開されて大人気を博します。今度は実相寺監督の番だから、次は飯島監督の編集版かな。野長瀬監督の編集版はいつになるのだろう? 楽しみに待ちました。
その機会はありませんでしたが、いまやっと「ウルトラQ」の高画質上映会があるので、野長瀬さんが生きていたらさぞや喜んだろうなと感慨深いです。
66年の夏休みに話を戻しますと、デパートは「ウルトラQ ウルトラマン」のコーナーがありました。
エスカレーターで上がっていくと子供の黄色い歓声が聞こえてきて、いやがおうにも興奮します。新宿のデパートも大井町のデパートも同じように親子でごった返していました。
この頃流行ったデパートの夏休み企画に、怪獣以外にもう1つ、人気の高かったものがあります。田舎の人は驚くでしょう、昆虫大会と言うもの。
昆虫図鑑や百科事典をなめ回していましたぼくはものすごく興奮しました。
特設会場は金網で小屋を作ってあり、中にカブトムシやクワガタ、カミキリなどを放し飼いにして、採取して1点いくらとお勘定するわけです。
甲虫は人気者です。あっと言う間に角のあるオスたちは売れます。カブトムシでもクワガタでも、メスは可愛いのに、角がないため子供には不人気なんですね。
そのちょっと複雑な現実も「ウルトラマン」と対の思い出でした。むろん虫好きだからアントラーが別格だったのです。
あるとき。怪獣をいったん卒業した(させられた)小学校の2年くらいだったか、近所の子が商船乗りの親の土産だと、ヘラクレスカブトムシを見せてくれました。
これは羨ましかった。カブトムシとクワガタが束になってもかなわない。
でも悔し紛れでもなんでもなく、ふと、幼稚園の時に好きだったアントラーの方がイイと思ったのでした。それなのにもうマルサンの人形は手元になくて、寂しい思いをしたものです。
その頃マルサンは倒産していて、ブルマァクがマルサンの型を使って再販と新商品を出していました。
妹が出来たので、怪獣卒業のままでしたが、物心ついた妹は怪獣人形を欲しがるようになって、以前ほどでないにせよ、ブルマァクの怪獣が増えていきました。
しかしぼくが選んだのはアントラーの再販でなく、バンダイが出したゼンマイのプラモデルのクワガタでした。もう少し知恵があればアントラーに改造もしたかもしれませんね。
アントラーは昆虫型怪獣の傑作だと思います。
よくあのデザインは、カブトムシなのかクワガタなのか見た目から言う人がいます。たしかに、カブトムシやクワガタからヒントをもらってきていますが、この世にない形です。
成田さんは、ノーベル書房怪獣大全集4巻「怪獣の描き方教室」でこう書いています。
「怪獣が格好良くて、身体が変形されているのは、生きるための武器で、強くはげしいのです」
子供には分からない言葉でした。怪獣の同人誌を始めた高校生の時に改めて読み返したら胸に響きました。
強く激しい存在、それが怪獣デザインの本質であると。
たとえば、カブトムシ怪獣のアゴン(赤影)やテントウムシ怪獣(ピドラ)に、ぼくはそんなに惹かれません。そのマンマの形ですからね。
成田さんは抽象画は嫌いと言いつつ、怪獣の独創性を描くのに抽象的な表現は不可欠だと言いました。半抽象です。
具体的なものをいったん自分の中で攪拌して再構築します。
イソギンチャクをブルトンにしたり、タツノオトシゴをバニラにしたり。
その翻訳の仕方がぼくには面白くて、商業誌の成田さんの記事や挿し絵を集めました(68年「セブン」以降はほとんどないです)。
デザインを形にする造型の高山さんも、度々メディアに登場しては技術だけでなく、人物像の紹介もされていました。
高山さんは前衛絵画の団体に居た人で、アントラーのメイキングを報じた「アサヒグラフ」(66年5月27日発行)では、売れない絵描きがバイトで始めた怪獣の仕事で日の目を見たと言う逆説的な成功譚にスポットが当たっていて、むしろ高山さんの本音が出ていました。
大人の頭になってきた自分は、そういう記事の1つ1つに学校の勉強どころでなくなっていったものでした。
そのような思い出を遡ると「ウルトラマン」は66年の夏に最初のピークが来ています。
アントラーはたまたま夏休み向きだったのかもしれません。
「ウルトラマン」が始まって、「少年マガジン」の表紙や口絵、巻頭グラビアでウルトラマンや怪獣が採り上げられます。アントラーも何回か表紙になりましたが、単体じゃありません。ベムラー、レッドキングらと一緒です。人気怪獣が出揃った時期です。
薬局でもらった武田薬品工業の宣伝用シールや5枚1組のブロマイドにアントラーを見つけると嬉しくなりました。
テイチクが出したフォノシートも放映前に買ってもらって何度も聞きました。アイロンプリントが付録でした。1回勝負なのに失敗してゴミになった残念な思い出があります。
朝日ソノラマのソノシートは、他社よりも作りが豪華です。「ウルトラQ」ではナメゴンとゴメスが戦いました。もちろんオリジナルのキャストがセリフを喋ります。
「ウルトラマン」では怪獣が1つ増えて、ネロンガ、アントラー、ラゴンです。怪獣トーナメント戦ですね。
金城さんの脚本で多々良島が舞台。測候所員の前にネロンガとアントラーが取っ組み合いを始める。SOSを受信して科特隊出撃。
アントラーはここでは三ヶ月前アラビアの砂漠に落ちた隕石から生まれた宇宙怪獣と言う設定。
放電光線でネロンガの勝利。アキコ隊員の「アントラーは死んだわ」は衝撃的なセリフでした。
エネルギー切れのネロンガが姿を消したのを機にVTOLを測候所の前に着陸させる。所員は全滅していました。
そこへラゴンが登場。アラシがスパイダーショットで応戦するが、ラゴンが逃げ出したのは、たらふく電気を食ったネロンガが姿を現したから。
アキコ隊員の「キャー!」がすごい。アンヌ隊員もソノシートで悲鳴をあげました。演出のお約束なんですかね。
いよいよウルトラマン登場。決死の戦いの末、多々良島は平和な南海の楽園に戻った。
って、事はレッドキングら5大怪獣はこの時は眠っていたんですかね。
これも放映前の発売でした。ジャケットを描いた南村喬之さんの絵は幼心に目に焼き付きました。アントラーは脇役ですがどこか愛嬌があって表情の豊かな絵が忘れられません。
南村さんは「七人の侍」の志村喬さんが大好きで、ペンネームにもじって使ったそうです。編集者は親しみを込めて「なんきょうさん」と呼びました。
ぼくの好みの双璧はもう1人、ミュージックグラフやショウワノートで描いた梶田達二さんでした。アントラーはたくさん描いていて、どの絵も好きです。図鑑の絵のように写実的です。
マルサンのアントラーは何にも増して良かったですね。角が動くソフビは、これ以外は出てません。ポピーのキングザウルスが出た時に角が動かせないアントラーなんて遊べないと思いました。
遊べる反面、壊れます。アントラー、あわれ、片角がどこかへいきました(ナメゴンの片目も)。
夏休みが終わっての9月、幼稚園が始まると、子供はみんな「ウルトラマン」の話です。
多々良島の5大怪獣は大きな話題になりました。
しかし、秋になって発売されたレッドキングのソフビは出来が悪かった。
いまでこそ原型師が違うからだと答えが出ますけど、当時は不思議でした。あの魅力あるレッドキングが人形になるととたんに愛着がわかないなんて。
アントラーの関連商品を集めてみました。たとえば、カマキラスやメガロで、こんな商品展開は出来なかったと思います。金城さん、成田さん、高山さん、やっぱりスゴイ。
【図版】
・放映前に出た朝日ソノラマの本家ソノシート「ウルトラマン 3大怪獣対決 恐怖の怪獣島」から、ネロンガに立ち向かうアントラー。南村喬之の絵。カブトの形はずいぶん違うんですが手慣れた筆致で存在感大。
増田屋の手踊りアントラーはこの絵を参考にしたように感じます。
・ソノラマの一連はすごかったですね。66年10月、ソノシート絵本の豪華版「怪獣大図鑑」からアントラーの項、南村さんの絵。蟻地獄の中からの描写。
・こっちは67年3月、「怪獣解剖図鑑」から、南村さんの絵。チャンドラーじゃなくてペギラなのがミソ。無重力冷凍光線と磁力光線の間でも動じないベムラー。
・「少年マガジン」の二色グラビアから、遠藤昭吾の解剖図。遠藤さんの改造図は、ソノラマの「怪獣解剖図鑑」が集大成です。
・ショウワノートの表紙は梶田達二が続けて描いています。ノートとスケッチブック、それぞれ1キャラクターずつ、ツイフォンくらいまでを描いているようです。
・これはミュージックグラフ系列のカレンダー。描き起こし。梶田さんの絵。アントラーの後頭部から大アゴの先までの流麗なラインにため息が出ます。
・66年末、ミュージックグラフ「きりぬき大怪獣」のアントラー。梶田さんの絵。波線に沿って切り取って裏に桁を貼って、背景のパノラマに配置して遊びます。
・67年3月、ミュージックグラフ「パノラマ大怪獣」のアントラー。梶田さんの絵。波線に沿って切り取って裏に桁を貼って、背景のパノラマに配置して遊びます。
・66年9月「月刊少年マガジン 秋号」から、絵物語「ウルトラマン あり地獄怪獣アントラー」より、梶田さんの絵。
・石原豪人の異彩を放つ怪獣画。前回のゲスラと同じ口絵、肉感的なアントラーは66年「ぼくら 10月号」。
・66年9月、現代芸術社「ウルトラマン怪獣カード」から、藤尾毅のアントラー。
・テイチク・フォノグラム「ウルトラマン バラージの青い石」からTBSビデオサービスプロ(河島治之)の絵。チャータムがいいですね。66年7月。
・マルサンのアントラー。見事な造型です。Q怪獣をつくった河本武さんの手になる仕上がり。これも66年夏の商品で出ていたように思います。
・増田屋の手踊りアントラー。発売がズレたため、現存率が高くないので、あまり売れなかったと思うんです。角に指が入るんですよ。
・33年末商品、こいでのかるた「ウルトラマン」。アントラーは宇宙怪獣です。
その下、ビデオサービスプロの絵によるお財布。磁力でお金を集めるのか、アントラー財布。