お盆に決行した一人旅は

本当に摩訶不思議な旅でした。

かなり長文ですw



今回の旅の目的は親父の葬式以来

10年以上会っていなかった

半分血の繋がっている生き別れの

兄と生まれて初めて肩を並べて

ふたりでじっくりと酒を飲む事と



想像を絶する生活環境と陰湿極まる

虐待を受け続けてきた幼少期に

暮らしていた旧家と生まれてから

数年間暮らしていた孤児院など・・


過去の軌跡を巡る事でした。



僕が生まれて数年間を過ごした
奈良の児童養護施設「養徳院」。
創立は明治43年だそうだ。



そのため動きやすいバイクで

東京→奈良の予定だったのだけど

不安定な気候状況や対面鑑定を

希望される方のスケジュール調整、

故郷とはいえ、様変わりした街を

バイクで移動しての行動はあまりに

不安要素が多過ぎるということで

今回はルーツを辿る旅を断念(涙)



しかし・・3年ほど前に知人を介して

SNSで仲良くなった奈良出身の友人と

仕事の合間に初対面を果たし、何気なく

事情を話したら、車を出してくれるって

話になり、急遽、過去を辿る旅を決行♪




30年以上前に住んでいた古家なんて

もう姿形さえ無いかもしれない・・

そう覚悟しながらも、当時住んでいた

旧家があった場所に向かった。


目的地の近くに車を止めてもらい

なんとなく記憶に残る道を

息を詰まらせそうになりながら歩く。


暫くすると目の前に、孤児院から

移り住んだ当時のままの姿の

小さな旧家が姿を現した。


様々な過去の記憶が一気に

フラッシュバックしていく。


家の前でしゃがみ込んで

嗚咽するほど号泣した。



今もまだ人が住んでいるようで

玄関の壁に少しだけ触れ、深呼吸。


軽く頭を下げて、その場を立ち去った。



友人に車の中で過去の話を

ポツリポツリとしていたら

流れで実姉の話になった。


すると話を聞いていた友人が

突然、車を止め、真剣な顔で

僕に様々な質問をなげかけてきた。




当時15歳だった僕の姉は

親父の陰湿な虐待から逃れるため

友人の家を転々としながら、

少しずつ大きくなるお腹を

かばいつつ、人目を偲んで

お好み焼き屋で昼夜を問わず

がむしゃらに働いていた。


そんな姉貴の壮絶な生活に同情した

ある男性が姉に無償で部屋を提供。


なんと車を出してくれた友人は

その男性の子供だというのだ。



母親と離れて暮らす友人を

家族以上に可愛がってくれた

大好きだったお姉さんがある日

部屋を血塗みれにしたまま失踪。


※色々あったので詳しくは割愛。



父親があの優しいお姉さんに

何かしたのではないか?


少なからずそう思っていた友人は

以降、ずっと、一度も忘れる事なく

姉の行方を心配していたそうだ。



姉を救ったその父親も数年前に他界、

結局、真相は闇の中だったのだと。



姉から当時の話を聴いていた僕は

友人にその時の全ての経緯を説明、

姉に変わって心から謝罪をした。



父親の潔白も含め、全ての理由が

ハッキリした事、大好きなお姉さんが

今は幸せに暮らしている事が嬉しいと

友人は暫く泣いていた。


つい先日、父親の墓参りに行った時に

あの時の事の真実はどうだったのか?

と墓前に問いかけていたそうだ。



偶然、巡り合ったふたりが実は

これほどまでに複雑な運命で

繋がっていた事に心から驚いた。



本当に人は出逢うべくして出逢う。


この出会いは、お互いの過去の

トラウマと決別するためにきっと

大きな力により、用意されたのだ。





友人と別れ、大阪での仕事を済ませ、

バタバタと兄のところへ。


真剣な話をしたかったのだけど

ただただ兄貴と酒を呑む時間が

楽しくて、兄貴もとても嬉しそうで

気付けば、たわいのない話をしながら

6時間以上、飲み続けてた(笑)


それは12年間という長い歳月を

埋めるようなとても楽しい時間だった。



次回につづく♪



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