おとなの世界とこどもの世界

その境界線はどこにあるのだろう。

 

その境界線は、

どのような形をしているのだろう。

 

生まれて、ひと同士関わって

だんだんと坂をのぼるように伸びているのか。

 

はたまたある日、ひょいと飛び越えるのか。

 

 

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私には愛着障害というものがあるらしい。

こどもの頃、家庭環境、学校環境が

私にとっては厳しすぎて

自分の殻に閉じこもった。

 

小学1年~5年の途中まで。

中学1年から20歳まで。

 

この殻に閉じこもったことで

私の人生は大きな穴がある。

 

そして

 

この大きな穴について

知りながらも、目をそらした時期がある。

 

一番最初は中学2年。

体育会系の部活の「先輩」になったときに

「先輩らしいふるまい」ができない自分に気づいた。

 

だが

 

「先輩だからと尊敬しない後輩が悪い」と

自分が先輩らしくできていないことに顧みず

そのまま中学三年、高校生と

進んでいった。

 

ところが、高校三年になって

いよいよ上に先輩がいなくなって

本当に苦しい毎日がはじまった。

 

部活は合唱部。

個人競技ではないから

後輩を引っ張れなければ

実績がついてこないという

思い返せば、

私にとっては手厳しい競技だ。

 

 

とにかく、私に後輩がついてこない。

 

私が指導する瞬間になると

場の空気が崩壊していく。

 

私は誰よりも部活が好きな自信があった。

少なくとも私が知る限り

私ほど、部活への出席率が高かった生徒はいない。

NHKの全国大会に行きたい。

 

なのになぜ。

どうして後輩がついてこないのか。

ずっとわからないままで

卒業を迎えた。

 

**********

 

私には、障害をもった息子がいる。

彼は今年、小学一年生。

一人で長時間学校にいることがむずかしく

現在、私は一日3コマ

学校で息子と過ごしている。

 

 

私は、これまで

沢山の力を借りてきた。

 

担任の先生の力

息子の同級生の力。

 

息子と一緒に教室にいるなかで

過去には

ハラスメント被害に遭う時期もあった

 

5月中旬、

まだ私が息子のクラスメイトと

距離があった頃から。

 

もともと相手がだれであれ

ハラスメント被害に遭いやすい体質の私。

 

24で結婚してから10年間

不思議とハラスメント被害がぐんと減っていた。

セクハラに関してはゼロだった。

 

なのになぜ。

30代も半ばだ。

それに、人の親だ。

 

そしてその被害は

10月中旬まで続いた。

 

 

担任の先生からここで

改めて息子の同級生たちから

距離をとるように言われた。

 

 

私が被害に遭わないように

 

それから

子どもたちが私と関わると

手を止めてしまうから

 

と。

 

 

ところが。

距離を置いても、置いても

 

「忘れ物をした、先生に言えない」

と、泣きにくる子がいる。

 

「怪我したけど、先生に言ったら怒られる」

と、暗い顔をした子が、くる。

 

 

これはもはや

私のモンダイではない。

 

 

 

私は11月のあたま

担任の先生に直談判した。

 

 

 

 

 

 

先生、顔、こわい。

クラスのこども全般との

関わり方を、変えてほしい。

 

 

 

先生は、変わった。

泣いている子を放置しなくなった。

 

それどころか自分から声をかけるようになった。

 

忘れ物についても

今までよりは淡々とした対応になった。

 

 

 

 

そして、この日をきっかけに、

私へのハラスメント被害はなくなった。

本当に、ゼロになった。

 

 

この記録、三週間だ。

 

そして、子供たちからの

切実な訴えも、ほとんどなくなった。

 

 

※唯一あったのは、

担任の先生が突然休みだった日。

 

 

 

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だけど

 

 

 

 

昨日

 

 

 

 

 

先生

 

「お母さま。

ここ2週間の様子、

みてました。

 

クラスの子とのかかわり方

 

はっきり申し上げて

どうみても、いち保護者には

見えません」

 

 

 

 

 

私の中では

ハラスメント被害がなくなったことと

 

子どもからの切実な訴えがなくなったことで

 

 

私とクラスの子との問題は

すべて解決していた。

 

ついでに先生が危惧していた

「こどもの手がとまる問題」

は、

 

私がこどもたちからくる

 

「みてみて~」

 

という現象に対して

 

 

「おお、すごいね」

 

から

 

「すごいね、で、次は先生何やるって言ってるの?

 

 

と言ったり

 

授業が始まる時には

 

はい戻ってー

 

 

 

朝の支度・帰りの支度で

ごちゃごちゃしているときは

 

支度できてる?

 

 

と、言うようにしていた。

 

 

 

プラス、

この2~3週間、割と息子が学校で安定していたのだ。

 

これで

なんの問題が?

 

 

 

 

ここで冒頭の話に戻ります。

 

 

そもそも、先生の言う

「いち保護者ではない」とは?

 

先生に聞いてみた。

 

 

私の予想通り

 

私とクラスの子たちが

ともだちのように

みえているというのだ。

 

 

 

 

 

 

先生が私を問題視するとしたら

 

 

子どもの世界線と

大人の世界線が違って

 

 

私が子供の世界線のまま

生きているからではないかと予測。

 

 

 

一時、クラスの子たちと距離をとって

その時知ったのだ。

 

こどもの世界線の上に立たないと

見えない世界がある。

 

先生はその世界線の外の人間だから

平気で「うちのクラスのこどもたちは、わけわかんない」

と、言えてしまうのだ。

 

私も、あの距離をとった数日間は

こどもたちに対し謎が一気に深まったのだ。

 

 

そしてこどもたちと同じ世界線に立つことで

私と息子には、

実は死ぬほどメリットがいっぱいある。

 

 

・子供たち同士の空気感がわかる

・クラスでなにが起こるか予想ができる

・息子がどう思われているか知ることが出来る

 →次の手が適切に打てる

 →先生に的確な相談ができる

・息子が何をしたのかフラットな目線で教えてもらえる

 →次男のここがずるいとか。特別扱いされているとか。

・息子が頑張ったこと、できたことを、一緒に喜んでもらえる。

・息子の成長を、教えてもらえる

・クラスメイト自身の強みがわかる

 →息子が困った時に、お友達の誰に頼ればいいかわかる

 

ここまでで十分。さらに挙げるなら

 

・単純に付き添いの苦が軽減される

・こどもたちの賢さを知り、安心して手を離せる

 

 

 

さて、

この問題、どうしようか。

 

 

先生の言葉を全面的に受け入れて

 

付き添い登校をやめるのか

子どもの世界線を離れて、苦しみながら付き添いを続行するのか。

 

どちらにしても

私にはキツすぎる。

 

 

どちらにしてもキツイのなら

息子を優先して

 

苦しみながら付き添いを続行する方向に舵をきるのが正解だが。

 

…と、考えつつも

 

こうしてメリットを列挙してみると

一旦、このメリットを先生と共有しても

いいのかもしれないと思った。