おまたせしました。アメリカーニッシェ・フロイントさんからの動画情報の時間ですよ―!フロイントさん、ありがとうございます!!

ではまず恒例のフロイントさんのコメントからどうぞー!!!


「1本目は、「張孝全 JOSEPH CHANG 2012年 總回顧」という、多分台湾のファンの方が作った7分あまりのファンビデオです。手際よくCMやプロモーション関係の画像も含めて2012年の張君の活躍をまとめています。やはり張君にとって2012年は「女朋友。男朋友(GF*BF)」の年だったんだなと思いました。」



そして


「2本目は「Hello My Love-Korean Movie Trailer-movie.heavengay.com」という2分ほどの予告編です。2009年に韓国で公開されています。
主人公の女性・ヒョジョン(アン・ジョ)はラジオ局の構成作家兼DJをやっている。10年来の恋人ウォンジェ(オー・ミンセク)がフランス留学から戻ったら結婚する約束をしている。彼がフランスから戻ってくるとき、彼は見知らぬ青年ドンファ(リュ・サンウク)を連れてきた。ある日、彼女は二人が友達以上の関係であることを知ってしまうが……というお話のようです。」




そして最後にもフロイントさんの気持ちのこもったコメントを

「ゲイが世の中に存在しないかのようにドラマが進んでしまう日本のストーリーよりはましかなあと思います。僕は、手塚治虫原作の映画化「MW」で、原作にあるゲイのプロットを無くさないと資本を出さないと言った制作委員会をまだ怒っているんです。」

これは本当に共感!!!
「MW」はまず『ゲイ』がテーマであったはずです。手塚治虫は絶対そこを描きたくてあの作品を描いたのです。
というのは自分の考えなのですが、あの頃、少女マンガでは少年愛をテーマにしたマンガが次々と描かれていて衝撃的でもあり読み応えもあったのですが、男性の手塚氏としてはやはりもっと現実的な同性愛を描いたものを描けるはず!として描かれたのではないかなと私は思ってるのです。
その通り、手塚治虫の『MW』は手塚作品らしいSF要素も含む素晴らしい出来映えになっていて同性愛描写もきちっと描かれています。日本のメジャー作品において多くの場合、同性愛の描写は『匂わす程度』だったりするからなのですが。
それを『匂わす程度』でもなく完全に無いものにしてしまったあの映画には何らかの価値があるんでしょうか?あの作品にとって主人公の二人が肉体関係を持っていたことは単なる飾りなどではなく、それこそがテーマなのであり、それだからこそタイトルが『MW』=男女(性)なのではないでしょうか。
この作品の核となるテーマを『無し』にして映画が作られてしまったことに手塚作品をずっと愛読してきたものとしては憤りを何度も繰り返しています。あ~あ。もう一度、誰かこの作品をきちっと映画化してくれないでしょうかね~~~~!!!

追記:いやほんとに手塚さんはきちっとしてた。ゲイの配役として女形の結城は普通考えそうだけど、その相手役を賀来にしたというのが!生真面目なマッチョ体形の賀来。あの役者さんじゃなくて見たかったよー。男らしい肉体を持ち温厚な神父でありながら、結城の魅力(魔力)にどうしても惹かれ肉体を結んでしまうという賀来、今見ても素晴らしい造形なんですが!