すごいよ大林宣彦さん

テーマ:

バリから帰ってきました。

格安航空会での7時間のフライト。

 

正直に言えば辛かった。

お尻の縫い目がジンジンと痛み出し、今も続いてます。

 

バリ島での経験は写真を撮り溜めしており

別の機会に整理がてらアップしたいと思います。

 

現地での体験というわけではありませんが

日本に住む友人とラインでやりとりしました。

(ラインはバリでも驚くほど普及してます。このツール大したものです)

 

テーマは映画監督の大林宣彦さん。

 

最新作は花筺(はなかたみ)。

去年の12月に完成披露の舞台挨拶がありました。

 

驚くべきは、クランクインの前に肺がんの罹患が分かり

余命3ヶ月と宣告されていたことです。

 

映画製作は大勢の人間が関わり

現場においては監督の一言で全てが動きます。

 

その監督が余命3ヶ月。

 

それでも撮影に入った。

 

普通ならありえない話です。

一体どうしたらそんなことができるのか。

 

その事が頭から離れず友人とラインでやりとりをしたわけです。

 

友人は映画人です。

彼の意見は

「大林映画は黒澤映画や成瀬映画と違って後世には残らないよ」

と言うもの。

 

なるほど

映画人からみればそういう印象を持つかもしれません。

そこには、撮影半ばで倒れた場合のリスクを押し切った監督への

批判めいたものすら感じました。

 

けれど私の思いはそにはありません。

友人は映画人としての観点から大林さんを見ている。

私はがん患者の視点から見ている。

 

感じ方の違いはそこから来るものでしょう。

 

調べてみると監督はクランクインの前から余命3ヶ月であることを公表していましたから

周囲も相応の気遣いと準備をして撮影に臨んだはずです。

 

そして宣告を乗り越えての完成。

 

どういう気持ちで映画制作をこなしていたのか。

それを想像し、自分に当てはめてみると

気が遠くなります。

 

単に宣告された3ヶ月を超えたと言う話ではありません。

そんな状況において映画制作という知力体力を要求される仕事を

やり抜いたということにただただ驚くばかりです。

 

何故にそんなことが可能なのでしょうか。

同じ人間なのに。

 

一つ思うのはメンタリティー。

 

がん患者であろうと強いメンタルさえ持てれば

大概のことは乗り超えられる。

 

それが私の信条であり、このブログでも何度も書いてます。

 

時間を見つけては絵を書いたり旅行をしたりしているのは

ストレスに傷ついた心を癒して

強いメンタリティーを得るためです。

 

もちろん一朝一夕にできるものではなく

いろいろあがいております。

 

けれど大林さんには私が理想とする何かが備わっていた。

私が強いメンタルと表現している何かです。

 

勝手な想像ですが

大林さんにとって必ずしも映画が全てというわけでも

なかったろうと思います。

 

それは独特の撮影スタイルにも現れています。

 

カメラを覗かないんですね。

 

絵作りはカメラマンというプロに任せておけばいい

というのが監督の持論で

現場ではもっぱら芝居の演出だけに集中していました。

 

絵作りは映画制作の醍醐味の一つですから

それを放棄する監督はほとんどいません。

 

思うに監督の興味というのは映画というより

人間そのものにあるのではないかと思います。

 

映画技術の前に人ありき

です。

 

本当は「人間大林宣彦」と名乗りたかったのかもしれません。

それを言えば岡本太郎さんの二番煎じになるので言わないだけです。

 

そう考えてくると余命宣告を受けたにも関わらず

映画作りに踏み出した理由もわかるような気がします。

 

人として生きる。

 

監督が求めたのはそういうことではなかったのでしょうか。

 

映画が完成を見たのは結果に過ぎず

その生き方にこうべを垂れます。

 

凄すぎますよ。

大林さん。