がん余命3週間5年生存率20%以下で奇跡の生還死の淵から蘇る -2ページ目

がん余命3週間5年生存率20%以下で奇跡の生還死の淵から蘇る

悪性リンパ腫Ⅳ期。5年生存率20%でも病気に立つ向かい劇的に克服。8年経った現在一度も再発せず元気な68歳平凡な男の物語

こんにちは。

がん克服術伝道師福岡県太宰府天満宮近辺在住の中村です

 

僕は2008年3月60歳の誕生日目前に

悪性リンパ腫(びまん姓大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫Ⅳ期で緊急

入院しました。

3週間入院が遅れたら生命がなくなる

という危機的状況でした。

 

(症状説明書)クリックしますと拡大できます

 


緊急入院という事態でしたので、治療方法の選択・どのような

薬を使用したらよいか担当医と事前に相談・話し合いを

しましたが、


そんな時間の余裕はないと思い込んでいました。ので

全然耳に入らず、ただ漫然と聞いてました。

余命3週間(20日)(時間にすれば480時間)

すぐにでも治療を!してください。


と担当医に

告げたかったのを”ぐっ”と我慢してました

本当に”怖かった”もう後数十日で命がなくなる。

もう家族にも、友人にも、会えなくなる!

”恐怖の涙が・・・・”こぼれていました。

でも一番真っ先に頭によぎったことは、


家族にも、友人にも、会えなくなるよりも

【仕事ができなくなる・廃業】

【収入がなくなる】

【借金が返済できなくなる】

という恐怖の思いのほうが強かったのです。

相当悪い状況でしたので、


俺が死ねば

生命保険も雀の涙程度、

預金もなし。

後は、借金だけ残る

死してしかばね拾うものなし状態でした。
(ちょっとおおげさです(-_-;)



それならば、絶対生きてやる


生きて、生きて 

このがんと闘い

”勝つ”勝って

ガンを身体から追い出してヤル。

と決心しました。


心に誓った瞬間から

ふっと気持ちも軽くなりました

 

が、しかし

 

現実はそんなに甘いものではなかった。

病気と闘う気持ちも次第に増加し

 

前向きになったり

 

後すざりしたりの繰り返しで

 

少しづつ症状が改善していきました。

その間最悪状態では


※自家末梢血幹細胞移植手術は

もうダメだ!と何度も思いました。

悪夢を見たり、(後ほど詳細な夢お知らせします)

寝れない、

食事ができない。

身体が全く動かない


会話がができなくなり筆談状態。

こういう状態が14日間と続きました。

これを乗り越え無事退院できました。

以後一度も再発入院することなく

現在8年目を迎え

元気に生活できるようになりました。

 

闘病生活中の心の持ち方・行動

家族・患者同士・医師・看護師にどう対応していき


退院後の生活

さまざまな状況をどう乗り越え克服して


退院後8年以上元気で生活してる秘訣お知らせします。

また、自分の闘病記だけではなく、

がんと向き合って闘病していくために、医療の情報は必要だと思います。

ただ医療情報だけでは不足で日々悩んでる知りたい情報

例えば
●家族・兄弟にどう話せばよいか。
●治療費を工面するには公的支援があるのか。

●将来の事不安いっぱいでどう向き合えばよいか。
●休職中の収入は退職は同苗うのか。
●学業はどうすればよいか。
●退院復帰後生活はどうすればよいか。
●本当に辛い時にどう克服したらいいのか。
●治療中の考え方・向き合いかた。
●がんの情報を詳しく知りたいが調べ方がわからない。
●抗がん剤で顕著に現われる副作用で毛が抜ける(脱毛)で頭髪の脱毛を隠したい(特に女性)等。


がん経験者や現在治療中の患者さんだからこそ分かり合える

 

同じがん患者同士、皆さんの

体験談をお聞かせいただきその体験の中から

何に悩んでいるのか・何を知りたいのか


もっとこういう事を聞きたい等

アナタのほんのちいさな事でも共有し

少しだけ勇気を出してメッセージ頂ければ全力でお力に

なりたいと思っています。


ひとりで悩むより。

みんなで共有しあい。

緩和・解消方法などを。

アドバイスしたりされたりで新しい発見もあり。

がんは誰でも克服できるというを分かちあえれば。

この上ない喜びです。

※一部
キシリトールさんのブログ(参考)しています。http://ameblo.jp/xylitol3/




※自家末梢血幹細胞移植手術とは

(概略:自己の骨髄液を全部抜いて一旦冷凍保存し骨髄に抗がん剤を大量投与して

がん細胞を死滅させる治療(がん細胞はゼロにはなりません。ミクロ単位では残る)

治療方法は説明書(画像)でお知らせします。

 

 

 


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※このブログの種々な病気の症状・画像も掲載していますが、事前に承諾・許可を頂いて

います。個人情報に触れる部分は削除・ぼかし又は相手の許可をとり掲載しています。
ブログの記事は本人の判断で書いていますので医療関係者・従事者とは一切関係ございま

せん。又薬の効果・治療方法などの相談・は各個人より異なりますので

各医療関係者にお願いします。

僕が太極拳を初めてみたのは、5年前に市の体育行事で太極拳を見たのが始まりです。

この頃はまだ体調が良くありませんでした。

そうですね~他人から見れば青白い顔で痩せていて元気がない!

みたいな感じでした。

いわゆる半病人でがんの後遺症があるような無いようなそんな感じでしたね

それでなに運動しないでいるとよけいに悪くなるのではないかと思い

思い切って講習会に参加することにしました。

 

直接陳老師から指導を受けているところです。

左が僕です。右が陳老師です。

 

陳老師から本にサインをして頂いたときの写真。

 

講習会の参加メンバー

真ん中が陳老師

2段目の左から3番目が僕です。(顔はぼかしてます)

 

陳氏太極拳協会ホームページ

動画は今年東京で太極拳の交流会が開催されて模範演技

をしてる時の動画です。(2016 全国太極拳交流大会用 一路)の動画です。

 

あっと@演技者は僕でないですよ。(-_-;)

こんなに上手にできるまでには

10年はかかります。

陳氏太極拳一路小架と高架で演舞されてます。

初めて太極拳を見られる方へ

動画の速さは標準です。スローモーションではありません。

 

そ~なんです。

中国のニュース等で公園や広場で太極拳をやってますよね

あれです。動きがものすごく遅いですね。

 

 

下の動画は陳沛山老師です。

陳沛山老師 (小架式20世) は陳氏太極拳一路小架です。

陳沛山老師 が太極拳の元祖と言っても過言ではないです。

 

陳氏太極拳の直系の子孫の先生です。

 

陳氏太極拳協会ホームページ  (ご参照)

 

 

現在福岡の大学の教授の傍ら全国の太極拳教室の講習や

 

全世界の陳氏太極拳連盟国の指導にも尽力されています。

 

 

ただ毎週地元の講習会ではこの陳氏太極拳一路小架を練習しています。

 

型が85あるんですよね。

 

85ですよ。

 

すべて中国語で漢字を紙に書いてその漢字を講師が中国語で

 

発音しながらですよ。

 

シャンハイとかタイジー、

 

イアルサンスウリュチパチシー

 

、トナンシャーペー

 

このくらいしか知りません。

 

ちなみに

 

太極拳一路一部ご紹介します。

 

1 予備勢(ユーベイシー)

 

2 金剛??(ジンガンダウジー)

    ↓

    ↓

    ↓

11上三歩(サンシャンブー)  

    ↓

    ↓

    ↓    

    ↓

    ↓

    ↓

71単??(タンビエン)

    ↓

    ↓

    ↓

84金剛??(ジンガンダウジ)

 

85太極収勢(タイジーシュウシー)

 

(※??は日本漢字にはありませんので??にしてます)

 

 

わかるわけないじゃん。(-_-;)

 

それも早口でドンンドン。

 

ですので言葉を覚えるより先生の真似をしながら

練習しています。

 

 

陳氏太極拳 教室案内

の福岡県内のまどか太極拳クラブに所属しています。^^

 

太極拳の練習をしてる動画です。

 

僕が撮影してるので映ってません。😢

 

動きはスローモーションではありません。

 

すごくゆっくりした動作ですので最初は2秒もできませんでしたが

 

今では85型(約8分)通しでできるようになりました。

 

場所をと選りませんので、畳2畳くらいでできます。

 

パソコンやゲームをした後にもできますので、疲れが取れますよ^^

 

きょうもお読みいただきありがとうございます。(^^♪

 

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こんにちは

がん克服伝道師福岡県太宰府天満宮近辺在住の中村です

肉親がガンで余命3週間しかない患者には、

優しいく接するのが普通ですが、

私の兄63歳(当時)は、病室へ入るなり。

「お前はなーがんになったのは、

今迄の生活が不摂生を繰り返し、

親や兄弟に迷惑をかけていったんで、

ガンになったんだ」!!

と病室(個室)で怒鳴り始めたんですよ。

「はあ何言ってんの?狂ったんじゃないの?」

俺が迷惑かけた?

「はあ~迷惑をかけていたのは兄の方ではないか!」

兄貴も親や弟に毎年冷たい仕打ちしてきたんではないか!」

病気の私に対して、つめいたい仕打ち、なんなの兄貴ぶって、

10年以上も関東に行って全然帰省もしない。」

たまに電話があれば「~しろ!」「~だ!」「わかったか!」調

あんたの部下ではないと。

と言いたい気持ちを口に出すのをグッと我慢していました。

それを知ってか知らずか、

だんだんと言葉が荒くなり、病室(個室)

さらにヒートアップ!

で延々1時間以上怒り散らかしていたんです。

私はさすが大学の先生!口はうまい!と思いながらじっと”忍”

大学の教授は世の中では聖職者で名誉がある人物です。

しかし教授もいろいろ。

この時思いましたね、こういう専門家はいわゆる、

専門バカ。

世間一般の事を知らないって。

逆に哀れな人間だと思いました。

もう見舞いに来なくてよいと二度と来るな!

と心の中で叫びました。

そして兄は怒りながら病室を出ていきました。

でも怒られいる時は不思議なことに

がんの事は全然考えていませんでした。

しばらくして悲しくて悔しくて泣きはらしました。

しかしこの出来事が後々に感涙する事になるんです。


きょうもお読みいただきありがとうございます。(^^♪

 

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