こんにちは。
がん克服術伝道師福岡県太宰府天満宮近辺在住の中村です
僕は2008年3月60歳の誕生日目前に
悪性リンパ腫(びまん姓大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫Ⅳ期で緊急
入院しました。
3週間入院が遅れたら生命がなくなる
という危機的状況でした。
(症状説明書)クリックしますと拡大できます
緊急入院という事態でしたので、治療方法の選択・どのような
薬を使用したらよいか担当医と事前に相談・話し合いを
しましたが、
そんな時間の余裕はないと思い込んでいました。ので
全然耳に入らず、ただ漫然と聞いてました。
余命3週間(20日)(時間にすれば480時間)
すぐにでも治療を!してください。
と担当医に
告げたかったのを”ぐっ”と我慢してました
本当に”怖かった”もう後数十日で命がなくなる。
もう家族にも、友人にも、会えなくなる!
”恐怖の涙が・・・・”こぼれていました。
でも一番真っ先に頭によぎったことは、
家族にも、友人にも、会えなくなるよりも
【仕事ができなくなる・廃業】
【収入がなくなる】
【借金が返済できなくなる】
という恐怖の思いのほうが強かったのです。
相当悪い状況でしたので、
俺が死ねば
生命保険も雀の涙程度、
預金もなし。
後は、借金だけ残る
死してしかばね拾うものなし状態でした。
(ちょっとおおげさです(-_-;)
それならば、絶対生きてやる
生きて、生きて
このがんと闘い
”勝つ”勝って
ガンを身体から追い出してヤル。
と決心しました。
心に誓った瞬間から
ふっと気持ちも軽くなりました
が、しかし
現実はそんなに甘いものではなかった。
病気と闘う気持ちも次第に増加し
前向きになったり
後すざりしたりの繰り返しで
少しづつ症状が改善していきました。
その間最悪状態では
※自家末梢血幹細胞移植手術は
もうダメだ!と何度も思いました。
悪夢を見たり、(後ほど詳細な夢お知らせします)
寝れない、
食事ができない。
身体が全く動かない
会話がができなくなり筆談状態。
こういう状態が14日間と続きました。
これを乗り越え無事退院できました。
以後一度も再発入院することなく
現在8年目を迎え
元気に生活できるようになりました。
闘病生活中の心の持ち方・行動
家族・患者同士・医師・看護師にどう対応していき
退院後の生活
さまざまな状況をどう乗り越え克服して
退院後8年以上元気で生活してる秘訣お知らせします。
また、自分の闘病記だけではなく、
がんと向き合って闘病していくために、医療の情報は必要だと思います。
ただ医療情報だけでは不足で日々悩んでる知りたい情報
例えば
●家族・兄弟にどう話せばよいか。
●治療費を工面するには公的支援があるのか。
●将来の事不安いっぱいでどう向き合えばよいか。
●休職中の収入は退職は同苗うのか。
●学業はどうすればよいか。
●退院復帰後生活はどうすればよいか。
●本当に辛い時にどう克服したらいいのか。
●治療中の考え方・向き合いかた。
●がんの情報を詳しく知りたいが調べ方がわからない。
●抗がん剤で顕著に現われる副作用で毛が抜ける(脱毛)で頭髪の脱毛を隠したい(特に女性)等。
がん経験者や現在治療中の患者さんだからこそ分かり合える
同じがん患者同士、皆さんの
体験談をお聞かせいただきその体験の中から
何に悩んでいるのか・何を知りたいのか
もっとこういう事を聞きたい等
アナタのほんのちいさな事でも共有し
少しだけ勇気を出してメッセージ頂ければ全力でお力に
なりたいと思っています。
ひとりで悩むより。
みんなで共有しあい。
緩和・解消方法などを。
アドバイスしたりされたりで新しい発見もあり。
がんは誰でも克服できるというを分かちあえれば。
この上ない喜びです。
※一部
キシリトールさんのブログ(参考)しています。http://ameblo.jp/xylitol3/
※自家末梢血幹細胞移植手術とは
(概略:自己の骨髄液を全部抜いて一旦冷凍保存し骨髄に抗がん剤を大量投与して
がん細胞を死滅させる治療(がん細胞はゼロにはなりません。ミクロ単位では残る)
治療方法は説明書(画像)でお知らせします。
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※このブログの種々な病気の症状・画像も掲載していますが、事前に承諾・許可を頂いて
います。個人情報に触れる部分は削除・ぼかし又は相手の許可をとり掲載しています。
ブログの記事は本人の判断で書いていますので医療関係者・従事者とは一切関係ございま
せん。又薬の効果・治療方法などの相談・は各個人より異なりますので
各医療関係者にお願いします。