今日、9月19日は私の52回目の誕生日♪


思い返せばガンになったのが2006年


そして今年は2015年  


がんになって10回目の誕生日だったんです。


昨日までは9回目だと思っていたのですが、指折り数えるとなんと10回目!


10年一昔といいますが、長いようであっという間の10年でした。


10年前の誕生日は、大きな手術をして退院したばかりで、満身創痍でしたが「なんとか生きて自宅に帰って来れた!」といった状態・・・


そして、その頃は5年生存率20%前後、10年生存率10%弱と知り、「あと何年生きれるのか?」ばかりを考え不安で不安で仕方がなかったことを思い出します。


「自分が死んだら、家族はどうなるのか?・・・」


当時まだ小学生だった子どもたちの未来のことを考え、会社に復帰しはしましたが以前と立場も環境も変わって仕事に生きがいを感じられなくもあり、バリバリ仕事をやっていた頃と比較して後悔したり・・・・と


そんな時、患者会と出会ったことで、「がんになったからこそ出来る、第2の人生を歩もう!」と決め、がんになって2年後26年間務めた㈱三越をやめる決断をました。


それは安定した未来とがんに至る前の過去を断ち切りるいう決断でした。


そして「先のことを考えるのはやめて、明日死んでも良いと思う生き方をしよう!」と決めた時から私の時間に過去と未来はなくなりあるのは「今」だけ。


未来は今の継続でしかなく、今が終わったら死。


その瞬間がくる直前までどう生きるか?


できない事を嘆くのではなく、できることを感謝し楽しみ、「今やる、すぐやる、必ずやる」


その結果は?


皆さんご存知だと思いますが「あれこれやって、中途半端・・・」


でも、どれだけ生きれるかわからないなかで目標を作って、計画を立てて、じっくり腰を据えてなんてこと私には出来なかった・・・・


それは明日死んでも良いという生き方ではなく、目標半ばで・・・・・


後悔が残る生き方のような気がしたのです。


なので、私は死ぬ直前まで続く、今だけに焦点を当てるようにしました。


でも、ひとつだけ心配が


そんな非常識な生き方をしていて、家族・子供たちはどう思うのか?


定職にもつかず、収入もごく僅か・・・・


「未来を見ないように!」なんていうことは自分勝手で無責任極まりないのでは?


でも、私は自分が子供に残してあげれるのはお金でも財産でもなく「自分の生き方」しかないとそれこそ自分勝手な解釈をつけて今を楽しむ生き方をしました。


でもひとつだけ、子供に記憶として残したかったこと


それは「人を必要とする人より、人に必要とされる人になれば、どんな状況に陥っても誇りをもって生きていける!」ということを言葉としてではなく、実際の生き方として残せれたらということでした。


そんなことを思ってはいましたが、それは“親の勝手な押し付け”そして“解釈”では?とも思っていました。


そんなことを感じながら過ごした2年後(がんになって4回目)の誕生日に当時中学1年生だった娘に貰った手紙で自分のやったことは何らかの形で家族に届いていると感じました。


その私にとって大切な手紙を6年後の誕生日の今日、初めてみなさんにおみせしようと思います。



この娘は今は大学1年


高校・大学と親を充てにせず、自分で決めて今は奨学金とバイトで大学に通っています。


それが良いことなのか?どうかは今はわかりませんが、“自分で道を切り開く”という意味では、私のこんな生き方も少しは役に立っているのかもしれないと思います。


そんな6年前の娘からの手紙で私の迷いはなくなりました。


「今を生きる!」


その瞬間、瞬間が未来も創っていくのです。


死を恐れるのではなく、向かって進むことで今は輝く!


親としての役割より、人としての役割を果たすことで自分の人生は輝く!


命は多くの命によって、死によって繋いできたものだから。


生まれるとはその大きな責任を担ったということ。


だかこそ、生きている今を大切にする。


それが自分だけではなくすべての命を大切にすること。


すなわちこの世に誕生した意味だと思う。