私は13年前の7月、26年間勤めた(株)三越を辞めて、この8月から晴れて無職(夢職)

になりました。


当時、私は44歳で子どもは2人とも小学生で自宅の住宅ローンも残っていました。


これまでたくさんの方から、そんな状況でよく辞めれたものだと言われます。


今、思い返すと、自分でもよくやめれたものだと思いますが、今日は当時を振り返って辞めれた理由を書いてみようと思います。


私たちが何かを始めようとしたとき、1日は24時間と限られていますので、その中で

今の限られた時間内でできるのか?

どのように時間を使っていくか?

何をやって何をやめるか?

そんなことを考えてしまい、なかなか始めることができないなんてことはありませんか?


そんな時、そのことではなくその内容や目的によって優先順位をつけることが大切だと思います。

私はその優先順位を
「緊急性」と「重要度」にわけてつけるようにしました。


①緊急性があり、重要度が高いこと
 
②緊急性はないが、重要度の高いこと

③緊急性はあるが、重要度は低いこと

④緊急性もなく、重要度もひくいこと


私はこの中の
②に入ることの優先順位を高くつけました。


本を読んだり、具体的な用もないのに人に会ったり、身体を鍛える時間を作ったり、ボランティア活動をしたりと。家族との時間を持つ。早寝早起き。

すべて昔は時間がないという一言でやっていなかったことです。

そのためには、③や④の時間を極力減らしたり、工夫をしたりしました。

テレビを見ない。


新聞を読まない。


無意味な人付き合い。


ギャンブル・・・・・

そして最後には仕事を辞めました。


この優先順位は、時間がたつにつれて変わってきますので、1回つけたら終わりではなく3ヶ月に一回は優先順位の組み換えをしたほうがいいと思います。
 
仕事をやめる決断ができたのもこの優先順位をつけたからです。

私は会社に復帰して3ヶ月くらいで、会社や周りの人が私のことを「可愛そうだ」「あいつももう浮上できない」と思っていることはとても解ったし、自分自身大きな手術もして身体も以前とは違ってしまったので同じようには働くことができないことが解りました。

病気になる前が「上昇志向抜群(笑)」のサラリーマンだったので、会社にいてもそんな自分が情けないやら惨めやらで「辞めたい!」と思うようになっていました。

しかし、家族のためには働かなければという気持ちがあり辞めるなんてことはできません。

そして、癌で死ぬこともできないので、生きるために徹底して先ほどの優先順位をつけて生活スタイルを変えました。

その結果徐々に今までとは違った、あたらしい生き甲斐らしきものがでてきました。

それが患者会のボランティア活動です。


②の時間を増やしたことで、知識や実践力も体力も相当つき、こんな私でも人様の役に立てることが解ってきました。


すると更に辞めようか、でも辞められない・・・・頭の中はもうグチャグチャです。

そこで、②の優先順位のなかで仕事をしていても、これだけは崩さないというものを作り、それができなくなったときは迷わず辞めると決めました。

すると何故だかすっきりして、仕事もプライベートも充実して楽しくなってきたのです。

しかし、その8ヵ月後会社の上司から
「もうそろそろ今までどおりの勤務に戻って貰わないと他の社員に示しがつかない」と言われました。


私は、癌になった生活スタイルを改める為、会社は百貨店なので20時閉店で交代制だったのですが、時間はライフスタイルの基本なので、会社に再発をしないためにとの理由で勤務時間を9時~18時する申請をして受理されていました。

しかし、会社は「8ヶ月以上も続けるのは甘えだ!」というのです。

こっちは命がかかっているのに・・・・・

そのとき、なぜかすぐに「では辞めます」という言葉が出てきました。


慌てたのは上司です。

それから「辞めろとは言っていない」とか「辞めて食っていけるのか?」などと翻意を促されましたが、もうすっかり気持ちは出来上がっていたので淡々と退社手続きを取ってやめてしまいました。

どうしてか?今でも不思議なのですが、
たぶん、優先順位を決めたとき既に決断もできていたのだと思います。

家内は開いた口がふさがらない状態でしたが、優先順位をつけるとその話しもしてあったので理解はしてくれたようです。

優先順位を決めたことで、私は身体も心も変わることができたのだと思います。


時間の使い方を変えたこと、家族・自然・食べ物・身体・自分に心の大切さが本当によくわかりました。


大きな決断もできました。

今思うと、私が決めた優先順位には「根拠も答え」もなく、ただ「今一番大切だと思ったことを最優先」にしました。


ここで、色々考えたらこうはならなかったと思います。

これが「自分に聞く」「自分の声に素直になる」と言うことではないかと思います。