幻覚症状のあるクライエントがいました。その五十代の主婦は当初、子供の不登校の相談ということで私の相談室にやってきました。
子供についての相談のつもりが、私はその方の表情を見て驚きました。そして、どれ程のストレスを受けるとこのようになるのかと思いました。
彼女の顔は、極度にこわばり、そして引きつっていました。もしカウンセリングを行わなかったならば彼女はどうなるんだろうかという思いがふと私の頭の中によぎりました。
また、どれ程の心理的圧力が発生しているのだろうかとも思いました。
不適応症に苦しむ人には、皆例外なく子供時代のつらい被養育体験があります。
彼女の場合もそうでした。母親に愛されているという感触を味わったことが一度もないと言います。それでは自分の子供が愛せない。愛し方を知らないということになり、不登校児の発生へと繋がっていったわけです。
世代間連鎖という用語をつくって分類整理しても目の前のクライエントは救われません。
そこで、私はカウンセリングが必要なのは子供さんの方ではなく、むしろあなたの方ですと言って彼女を先に救うことにしました。
気持ちもほぐれてきたのか、3度目頃の面接で彼女が意外なほどさらっと「幻覚を見ています」と言い出しました。
「いつ頃からですか?」と訊くと、「もう大分前から、10年少し前から。」と答えます。
「今も見えるんですか。」
「ハイ、ずっと見えています。自分の右斜め後ろに子供が立っています。」
「それでその子は何をしているんですか?」
「いつもそうなんですが、今も私に大きな声できつく悪口をなげています。」
「いいんですよ、そのまま放っておいて。それより、カウンセリングを続けましょう。」
話を続けながら私は時折、彼女のいう子供の立っている場所に視線を向けていました。対象がないのに、本人には、リアルに見えているという不条理の世界を、そして、現実と非現実の重なる空間という特異性をよーく考えていました。
彼女が幻覚の事を打ち明けたのは、当然、次の質問の為です。
「こういう状態になってしまった私は、精神病ですか?」
私は先ほどまで考え続けて出した結論を言いました。
「もちろんあなたは、狂ってなんかいません。精神を病んでいないと私は思います。なぜなら・・・」
およそ、カウンセラーならここが切所(重要な場所)と気づかなければいけません。
この後にどういう言葉を続けるべきなのか、そもそもどういう方向へ展開させべきなのか。つまり、カウンセリングの成否を決める場面であると知るべきでしょう。
カウンセリングの実践では対応次第でピンチにもチャンスにもなるような流れが必ず生まれます。これを逃してはいけない、ということです。
私は、彼女の不安の発露を、うまく安心のきっかけに形を変えました。ありったけの説得のレトリックを駆使したのです。その後、心がゆるやかになり、表情も生気を取り戻しました。
その結果として彼女の幻覚症状は消失したのですが、例によって本人は自覚がないのです。
私に「まだ見えますか?」と尋ねられて初めて幻覚消失に気づきました。
人の目はものを見ようとしています。幻覚にもきっと効用があるのです。
ところで幻視の子供の正体は?ということでカウンセリングの中で確かめたところ、なんと小学校時代の本人でありました。
私も彼女も意外な思いに打たれたものです。
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