1961年に横浜の在日コリアン家庭に生まれた姜信子の『日韓音楽ノート――「越境」する旅人の歌を追って』(1998年)より。

九三年冬。わたしはソウル江南の小さなホテルのコーヒーショップの片隅で、ひとりのアーティストと向きあっていた。
金昌起(キム・チャンギ)。韓国の若者たちの心象風景をアコースティックな音にのせて描きだす歌を歌いつづけて、大学生を中心に広く人気を集めているグループ〈動物園〉のリーダーだ。


〈動物園〉(동물원:カタカナ表記するとトンムルウォン)は、1988年にデビューしたフォーク・バンドです。
大学の音楽サークル仲間で結成された、このバンドの音楽的リーダーがキム・チャンギ。軍人の家庭に1963年に生まれ、デビュー当時は延世大学医学部の学生でした。

先に文章を紹介してから話を始めましょう。
「最近、村上春樹の小説をよく読んでいる」。
そう語る彼は、アーティストであると同時に、現役の精神科医でもある。
「僕は村上春樹の描く七〇年代はじめの日本の状況が、いまの韓国の状況ときわめて似ていると思っている。日本でも六〇年代末に東大紛争とか、激しい学生運動があったよね。韓国でもオリンピックまえの八七年の学生運動はそれは激しいものだった。それは、ある意味では「父親」を殺そうという試みだった。でも、まだ韓国のエディプスコンプレックスは克服されていない」。
すべてを上から押さえこむ社会があった。権威や権力を持つ者たちがつくった制度内だけですべてが決まり、それは違うと声をあげたら不利益が降りかかる状況があった。状況が見えなければいいのに、見えてしまう。しかし、見たこと、感じたことをそのまま語る自由はなかった。その状況の中心に殺したい「父親」がいた。
「でも、九〇年代のいま、僕らは殺したい「父親」を乗り越え、成熟した自己にたどり着けただろうか?」
微かな微笑とともに、彼は首を横に振った。
彼がよく読むという作家である村上春樹は、日本のある雑誌のインタビューで、こんなことを語っている。
「僕らが最後にノオと言ったのは一九七〇年です。……〔いままで〕状況は僕らに対して何度もノオと言っている。石油ショックだとか、ドルの不安定だとか、産業構造の変換だとか、アフリカの飢饉だとか、チェルノブイリだとかね。でも僕らが状況にノオと言ったことはたぶん一度もない。……単純にノオと言えなくなってしまった。誰に対してノオと言えばいいのかもわからない。……何かに石を投げるとそれがワープして、こちらに戻ってくるのです」(「総特集・村上春樹の世界」『ユリイカ』一九八九年)
村上春樹が感じとった高度資本主義社会=日本の現実は、金昌起が生きる高度資本主義社会=韓国の現実と響きあっている。
おそらく、医大生兼ミュージシャンであった金昌起も、八七年の状況にノオと言ったのだろう。そして、それ以降、漢江の奇跡と民主化とをへて高度資本主義社会に突入した韓国社会で、ノオと言えなくなった自分を彼もまた見つめることとなった。
わたしの心には、〈動物園〉が九三年に発表したアルバム『動物園5‐1』に収められた歌のなかでもらした呟きが、切ない思いとともに刻まれている。

どう生きていけばいいのか 何のために生きているのか
答えの見つからないことが多すぎる
だけど どんどん先を行く世の中を追いかけて
僕らも慌ただしい足どりで生きているじゃないか
もどれないことは分かっている
どんなにきれいごとを言っても やり直す勇気などない
少しずつ諦めとともに生きることを覚えていく

 (「僕らが世間に染まりはじめて以来」詞・曲・金昌起)
殺したい「父親」と格闘した八〇年代を過ぎたいま、彼は静かに歌う。
「僕らが信じていた新しい世界という夢は、もう時代遅れの話らしい」。
この歌を聴くと、このころから韓国社会にさざなみのように広がっていた「喪失の時代」という言葉をわたしは思いおこす。それは韓国で話題を集めた村上春樹の『ノルウェイの森』(講談社、一九八七年)の韓国語版のタイトルでもある。
しかし、実をいえば、金昌起は自身が思わずもらした呟きにも似たこの歌が、あまりに感傷的に思えて好きではない。彼がもっとも気に入っている一曲としてあげたのは、『動物園5‐2』に収められている「すべてのものを手にすることはできない」という歌。彼はそこで、「僕は最善を尽くして自分の生を守っていくだけ、いまの僕はかつての僕とは違う」と歌う。
ふたたび村上春樹の言葉。
「僕らはもう共闘することはできないんですね。それはもう個人個人の自分の内部での戦いになってくる。というか、もう一度そこの部分から始める必要がある。……そこに共闘というものはないですね。シンパシーを感じあうことはできる。でも共闘はできない。……孤独な時代だと思う」。
高度資本主義社会に生きる「個」が、みずからの内面にふり向ける眼差し。わたしはその孤独な眼差しを〈動物園〉の歌にも見出す。そして、その響きのなかにもまた、村上春樹が小説『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社、一九八八年)のなかに書きつけた、高度資本主義社会を生きる者たちにかけられた呪文が潜んでいるのを聴きとる。

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ……。

いったい誰が演奏するどんな音楽で? どんなリズムで? どのくらいの速さで? 誰といっしょに? それともひとりで?
「自分のステップでとびっきり上手く踊れ」と、さらに村上春樹はいう。しかし、目に映るのは喪失感の突き動かされるようにして踊る人びとの群れ。それまで多くの人びとの生において大きな意味を持っていた純粋なる理念が、突如として力を失った。そして、人びとは殺したい「父親」の姿を見失うと同時に、新しい世界への夢をもなくした。自分には帰るべき故郷などないことを思い出した。それでも立ち尽くすことなく生きていくために、自分以外の誰かがつくった最新の音楽に心をゆだね、自分以外の誰かがつくった最新のステップで踊る光景がくり広げられる。
踊る人びとの胸に巣くう喪失感は、それを埋めるためのまた別の純粋で美しい故郷幻想を呼び出すのだろうか。それとも、誰もが喪失感を噛みしめているいまこそ、純粋であるために駆り立てられるようにして闘いつづけてきた人びとが描いてきた世界地図を描き直す、最良の機会をわたしたちは手にしているのだろうか。
と、ここまで〈動物園〉と村上春樹についての一文を紹介してみました。

どうして、この文章を思い出し、紹介してみようかと考えたのかというと、最近、韓国の社会状況を説明するのに〈86世代〉とか〈586世代〉という言葉を目にするようになったから。
この韓国における世代名は、もともと1990年代に使われていた〈386世代〉に由来します。「90年代に30代で、80年代の学生運動盛んな時代に大学生活を送った、60年代生まれ世代」を意味する言葉が二十年経って586世代になったのですね。
そして、386世代は日本の〈全共闘世代〉と似ている、とは昔から語られてきました。
全共闘世代は1947~49年生まれの〈団塊の世代〉をコアに前後数年に生まれた者を含む「70年安保闘争」の時代に「大学生」だった世代を指す概念ですが、この二つの世代は日本では太平洋戦争、韓国では朝鮮戦争後の復興期に生まれた「戦争を知らない子供たち」であり、全共闘世代は日本の高度経済成長期とともに成長し、86世代も「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国における高度経済成長期に育っています。
また、日本では1972年に「政治の季節」は終わりますが、韓国の場合は1988年のソウル・オリンピックを契機に急速に政治の時代が終わりました。

〈動物園〉がデビューしたのはそんな時代。
〈動物園〉は吉田拓郎(46年生。メジャーデビューは72年)など、当時「四畳半フォーク」と呼ばれたようなフォーク歌手や、バンドなら〈オフコース〉や〈チューリップ〉などと共通点を見ることができるでしょう。
そして、村上春樹(49年1月生)の小説を
「僕は村上春樹の描く七〇年代はじめの日本の状況が、いまの韓国の状況ときわめて似ていると思っている。」
と同時代性を持ってキム・チャンギが「政治の季節」が終わって五年ほど経った1993年に語っているわけです。韓国における村上春樹の人気もここから始まっているのですね。

また、そういった時代の移り変わりという「大きな物語」とは別の個々人の「小さな物語」に於いてもキム・チャンギは村上春樹の小説に共通点を見るはずです。
村上春樹が大学卒業後にジャズ喫茶を開いていたことは有名ですが、〈動物園〉はメンバーの一人、キム・グァンソク(金光石、64年1月生)が学生街に開いていた音楽喫茶に集まった学生たちで結成されています。そのキム・グァンソクが自殺し、キム・チャンギは音楽の道を捨てて専業の精神科医として生きるようになるのはこのインタビューの数年後の話ではあるのですが。
……キム・チャンギが村上春樹を読んでいた頃、キム・グァンソクは長渕剛(56年生)に憧れていた。それもまた比較になるかもしれないけれど。

ここで、1987年と1988年がタイトルに入った二つの作品を紹介してみましょうか。



2017年に韓国で公開された映画『1987、ある闘いの真実』。
ソウル大学の学生運動家が警察の拷問の末に死亡した事件を描いた作品で、殺された学生は65年生まれですからキム・チャンギらと同世代。



2015年から16年にかけて放映されたドラマ『応答せよ1988』は1988年を舞台とした、71年生まれの5人の幼馴染の物語。このドラマの劇中歌として〈動物園〉の「恵化洞(혜화동)』がカヴァーされています。

ここに深い世代的断絶があるのですね。日本における全共闘世代と、ポスト「政治の季節」の〈しらけ〉から〈バブル〉を含む広義の〈新人類世代〉の断絶と比較できるような。

1972年に「政治の季節」が終わり、「高度資本主義社会」の「終わらない日常」は日本では1992年のバブル崩壊を経て95年のカタストロフで完全に終わるのですが、韓国では97年のIMF危機で終わります。
同じくアジア通貨危機で崩壊したタイの裏路地で日本人の大学生と韓国人の大学生が安酒を飲みながら管を巻いていた、そんな光景が私の記憶にあります。日本の〈氷河期世代〉に対応する韓国の世代は日本円で月10万円にも満たない非正規労働で食いつなぐ〈88万ウォン世代〉と呼ばれましたが、たぶん、この世代から日本人と韓国人の間の時代性のギャップは無くなっているはず。一昔前の韓国人からは「日本と韓国の社会の間には十年以上ギャップがある」なんて言われたことがあるけど、このバンコクの裏路地時代には彼ら彼女らとのギャップは二年違いの先輩後輩ぐらいになり、今の若者世代にはもう無いと思うんです。

だから、それぞれの国で史上最も豊かな時代を謳歌し、「大学はレジャー施設」だった世代は日本では二十年分ほどの年齢の幅があるのですが、韓国では十年分ほどで終わっているわけで、この人口比が政治状況などに影響を与えている。

で、なぜ今、こんな話をしているのかと言うと、今現在、日本と韓国の間で国際紛争が発生していることは誰もが知るとおりですが、これを世代間ギャップで説明できるのではないだろうか、と私が感じたからです。
日本の安倍晋三(54年生)首相と韓国の文在寅(53年生)大統領も同世代ですが、その部下たちはそれぞれ現役最年長に手がかかった新人類世代と86世代。



1997年に〈動物園〉を脱退したキム・チャンギですが、2013年に音楽活動を再開。86世代にとって同世代の伝説的フォーク歌手が戻ってきます。この頃から韓国社会の主導権を86世代が掌握したことも同時に象徴するはず。曲は『地下鉄 市庁舎前駅にて』。

この両者の間ではカルチャーギャップが大きすぎて言葉が通じていないのではないだろうか? 新人類世代からすると、自分たちが追い出したはずの「団塊の老害」たちが若返って対面しているかのように感じ、86世代からすると自分たちと同じように老いた姿のくせに生意気で甘ったれた若造ヅラした連中と対面しているように感じているのではないかと考えたのですね。
文政権側と比べて、安倍政権側のやり方が異様なほどに幼稚に見える(もちろん「新人類」の老人たちには逆に見えていることは分かってます)のは、同年代でありながら、全共闘世代と比較できる韓国の86世代と、日本の新人類世代の世代間ギャップが大きく影響していて、安倍政権も文政権も喪失したものを「とりもどす」ことを政治スローガンとしているけれど、両者の喪失感は異なるものであり、そこに紛争の根がありそうに見える。

〈動物園〉と村上春樹、86世代と全共闘世代について語りつつ、安っぽく対立を煽り立ててカネにするマス向けメディアから離れ、カルチャーについて考えてほしいな、とこんな話を書いてみました。


※追記

韓国では大手新聞3社を「朝中東」と呼びます。朝鮮日報・中央日報・東亜日報の右派3紙が長らく全国紙として韓国のマスメディアの中心にいましたが、1988年に『ハンギョレ』新聞が左派の論陣を張る新聞として発刊します。
現在の文政権を完全に擁護する新聞ですが、そんなハンギョレに9月11日付で掲載された「若者たちがチョ・グクをめぐる議論に憤慨した理由とは」という記事が面白かったです。
以前から朝中東にはあった(例えば「若者たちの貧困、86世代の責任だ」東亜日報)けど、ハンギョレまでが扱うようになった、この若者世代による86世代批判記事を読むと日本人はまた先輩ヅラしたくなるかもしれない。



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リンクしてあるのは、赤頬思春期(볼빨간사춘기)の『私の思春期へ』。

〈赤頬思春期〉は高校の同級生だった1995年生まれのアン・ジヨン(安智煐)と96年1月生まれのウ・ジユン(禹智潤)の二人組。
彼女たちは日本でいうとあいみょん(95年3月生)と同世代でそれぞれの国でのメジャー・デビューも同じ2016年。
以前、このブログで紹介した時はまだ볼빨간사춘기をどう訳そうか考えたけど、日本でのデビューで赤頬思春期という漢字表記に決まったのですね。