一度、ここで岡本太郎の軍歴を整理しておきましょうか。
1940年8月にドイツ軍のヨーロッパ席捲でパリを離れた岡本は日本に帰国。帰国後すぐに、19歳で日本を出たために受けていなかった徴兵検査を30歳にして甲種で合格。
今さら年齢も年齢だし軍事訓練も一切受けていない自分が徴兵されるとは思ってもみなかったのに召集令状が届きます。銀座三越でフランスからの帰国記念の個展を特高警察に逮捕されるのを覚悟で開きます。
入営の期日が来るのを待っている間に41年12月に真珠湾攻撃があり太平洋戦争が勃発。
翌42年1月に軍に入隊。2月には中国大陸へ配属され、訓練は現地で行なうとされ、5月には幹部候補生の教育を受けて翌43年夏には軍曹となり現地司令部付きの下士官に。
よく、太平洋戦争末期の即席軍人は話題になりますが、実は緒戦の段階でも、まったくの軍事の素人で反抗的、兵士としては高齢で、軍隊を辞めたくてたまらない三十代の芸術家が一年半で軍曹にまでなっているんですね。岡本の最終的な階級は少尉でした。

太郎誕生 岡本太郎の宇宙2 (ちくま学芸文庫)/岡本 太郎

¥1,728
Amazon.co.jp

“初年兵教育が終わり、多少ゆとりが許されるころ、私は時々士官室によばれるようになった。
連隊本部付きの将校、殊に私大出身のインテリ士官たちは、私がずっと永い間ヨーロッパで生活し、つい先ごろ帰って来たということを知っているので、ひそかに個室によび、さまざまの情報を聞きたがったのである。”

現地での速成の初年兵教育を終える頃には、岡本が「パリの画家」であることは現地部隊に知れ渡っていました。
将校たちはヨーロッパの土産話を聞きたがります。訓練期間を終えた岡本は将校付きの従卒となりました。



画像は『師団長の肖像』を描く1942年の岡本の姿。
訓練教官たちには扱いづらい「パリの画家」も、高級将校たちにとってはちょうどいいおもちゃとなる部下です。

“話しこんでいると、どうしても私の発言の中に、今の戦争について納得できないという気配が自然に流れ出してくる。理念や思想にはふれないとしても、客観情勢から見てまったく勝ち目のない、ばかげた戦争だと思っているのだから。
フランスにいたから私の知識は連合国よりであったかもしれないが、すべての状況から判断して、ドイツが東西ヨーロッパ、さらに北アフリカにかけての厖大な地域を押え込み、しかもアメリカまで敵にまわして、勝利するとは絶対に思えないのだ。イタリアの軍事力は問題にならない。軍隊では勝った勝ったと、枢軸国に有利な報道しかしなかった。”

ドイツ軍は、1941年5月に「バトル・オブ・ブリテン」において英国本土の制空権を奪うことに失敗。英国本土上陸を諦めます。翌6月に開始された「バルバロッサ作戦」ではソ連の首都モスクワ陥落を目指しますがこちらも失敗。すでにドイツ軍の攻勢は限界に達していました。また、北アフリカ戦線でも、イタリア軍はすでに英国軍に惨敗。
こうした状況に、42年に入ると、ドイツ軍は、英国に対してはUボートによる封鎖作戦、ソ連ではスターリングラード包囲戦など、北アフリカではロンメル将軍の機甲戦などで戦況の挽回を図りますがどれも最終的には失敗しています。



ところが、ナチス・ドイツの泥沼にはまった状況を、日本では、“ドイツ軍が“勝った勝ったと、枢軸国に有利な報道しかしなかった”のです。これは、一般の日本国民に対しての宣伝という意味だけではなく、本来はリアルな情勢を知るべき軍隊内部の高級将校たちですら、自分たちに都合のよい情報だけを信じてしまったのです。
国民大衆がプロパガンダを信じてしまうのは、ある程度仕方の無い話です。しかし、「プロの戦争屋」であるべき将校たち、しかも、自分たちがいつまで経っても終わらない中国戦線の泥沼にハマりこんでいる当事者たちがドイツ軍の状況をまったく想像できずにプロパガンダを信じている光景。

“しかし私にはそれが空しく響いて、何か逆転しているのだなという直感を得た。もう時間の問題だ。そうすればこの資源に乏しい日本が、孤立して、どうして世界中を敵にして戦うことが出来るか。いずれ日本も……。
「それでは、日本は勝てないのか」
「勝ちません」
腹をすえて、私は答えた。
将校は一瞬そりかえり、びっくりした顔で私を見た。それからいかにも憎々しそうに目をすえて、
「じゃあ負けるのか」
うむ、と押し黙って、それについては私は答えなかった。すでに勝たない、と言いきったことで処刑されるかもしれないのだ。負けるなどという言葉を口に出したが最後、これはもう間違いなく銃殺される。
だが私には奇妙な人気があったらしい。だから救われたのだ。危なかった、と今でも思う。
しかし私の噂はいつの間にか部隊中に伝わって行った。一部からはひどく冷たい目で見られた覚えがある。
幸か不幸か、だれもが私の言ったことを本気にしなかったのだ。”

これも現在でもあまり変わらない光景だとは思いませんか?
スポーツのワールドカップでも日本と中国の関係でも何でもいいので、思い浮かべてみれば分かると思います。「日本は勝てないのか」と訊かれて、現地を知る人間が、「勝ちません」と答えればとんでもないひねくれ者扱いされ、冷たい目で見られるわけです。それでも答えを変えなければ変人扱いされて答えは無視される。
殺されなかったのは、ひとえに師団長の肖像画などを描いたことでさらに上の役職者から重宝がられていたことによるものだったのでしょう。


Vs Heart Vs Heart/Emma Louise

¥1,689
Amazon.co.jp

リンクしてあるのは、Emma Louiseの「Jungle」