つい戦争の話となると、戦略や戦術だったり、被害がどうとか、枝葉末節にばかり話が向きます。
夏休みの宿題や試験勉強と同じで、自分の興味があったり得意科目だったりを選んでしまいたくなりますよね。
そのあたりは私も同じで、第二次大戦についての資料を集めるとなると、時系列の表を作って、そこに片っ端から古い日記や学校の記録、自伝や証言録のようなものを組み合わせて理解するようにしてしまいます。
軍用機や軍艦の名前やスペックは、子どもの頃には覚えたものですが、今はまったく興味がなく、戦史関係を語るには知識が足りないとは自覚しているのですけどね、なかなか。

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)/井上 寿一

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戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)/井上 寿一

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この数年、精力的に本を執筆されている井上寿一の「日中戦争下の日本」「戦前昭和の社会」を紹介しておきます。他の本も興味深いものがありますので、いつか紹介するかもしれませんが、今回はこの2冊で。

メモ垣露文

慰問袋というものがありました。前線の兵士に向けて“平和”に暮らしている市民から届けられる贈答品です。
この慰問袋に関わるカルチャーは、けっこう面白いもので、当時の添えられた手紙などを読むと前線と市民社会の差異が見えてきて、つい口元が緩むことがあります。
今回は日本の話に絞りますが、これもこれで、日本らしい話になります。

“慰問袋は、軍当局の示した目安によれば、一円前後で作ることができるはずだった。ところがたとえば三越デパートは、五円、四円、三円のいわば「松・竹・梅」の慰問袋セットを売っていた。大阪の大丸は~六通りの詰め合わせがあった~高島屋(大阪)は二階中央に特設コーナーを設け~十合(そごう)も、三月十日の陸軍記念日に「感謝新たに慰問袋を送りましょう」とキャンペーンを展開した。慰問袋は、デパートにとって大きなビジネスチャンスとなっていた”

兵隊さん、ありがとう、そして頑張って!と、なるはずの慰問袋が、日本にやってくるとお中元やお歳暮のカルチャーに巻き取られてしまうことに私は笑みを浮かべてしまいましたが、どうでしょう。

“一番目立つのは内地のデパートから発送された慰問袋で~デパートで買った品は持ち帰って荷造りをし直して欲しい”

“缶詰類等はデパートの品でよいと思いますが、一部分の品に限ってせめて中にお手製のものを入れるとか表書位は自分でするだけの誠意は示して貰いたいと思います”

前線や軍からの苦情ですが、見事に現在のお中元・お歳暮と同じ感覚で発送されているのが分かりますね。これはこれで、当時の市民社会が戦争をどう捉えていたのかの傍証ではあります。
もう一つ、私が集めている資料に、ちゃんと一筆添えるための絵葉書がありますが、これも面白いですよ。

メモ垣露文

この中原淳一の「うつし絵とシール」は、どう見ても前線の兵隊さん向けではなく、女児のおもちゃ用ですし、

メモ垣露文

こちらのポストカードも、兵隊さんに送るには少女趣味に過ぎるでしょうね。ちょっと懐かしい気持ちにはなれそうですが。

メモ垣露文

「銃後は私の手で」とはいうものの、前線と日本の市民社会の距離感がわかりますよね。今も昔もそんなに変わらないものです。頭の上に爆弾が降り注ぐその瞬間まで、ほとんどの人々にとって戦争なんて遠い世界の話です。

“一体に、若い人たちは男も女も私たちには余り関心を持っていないようですね、そう見受けられました”
“なァーんだ、洋服地もこんなに多種多様にあるのか?あちらで見た娼婦のようにケバケバしい洋装だってあるのだなァ”

前線から帰還した兵士の言葉として引用されているものです。この距離感を忘れて、戦中の日本を語ると間違えそうだと私は考えています。
けれど、最近の若い女の格好は何だ、まるで外国の娼婦のようじゃないか!っていう言い回しは少なくとも昭和初期の時代からあったことが分かりますね。こんなことも面白いと、紹介してみました。



国を憂える前に、こんな兵士たちの戯れ歌も覚えていて欲しいな、などと思っています。
人の嫌がる軍隊に~のあとの歌詞が二通りあるのは、志願兵と召集兵のそれぞれが、自分の身に置き換えて歌うからでしょう。まぁ志願してしまった兵士の方が絶望は深そうですが。