猛暑が続きますね〜!
今年は暑い夏になりそうです。
日本の夏の果実といえば、やはり
『 真桑瓜 』
でしょうか。
江戸後期以後に流行りだす、スイカやメロン。
それまでは、真桑瓜が主力だったのでしょうか。
僕自身の真桑瓜の思い出といえば
友達のおっさんと奈良の寺跡を真夏の炎天下の中
見て回るときに
小さな八百屋で何度か真桑瓜を切ってもらった事です。
炎天下の中、木の木陰で食べた真桑瓜は
シャキシャキとした食感でほんのりとした甘さ。
『 美味しいなぁ〜〜 』
と言いながら食べました。
おそらく、暑い外で食べたからそう感じたのでしょうか。
ちょっとした夏の思い出です。
今回、手に入れた
伊万里の真桑瓜型徳利。
真桑瓜の特徴でもある縦線がきいて洒落ています。
葉は墨弾きで白抜き模様。
真桑瓜の起源
2世紀頃から美濃国(岐阜県南部)真桑村が良品の産地であったことから、マクワウリの名前が付けられた。この系統のウリが日本列島に渡来したのは古く、縄文時代早期の遺跡から種子が発見されている。
「瓜売りが瓜売りに来て瓜売れず(瓜売れ残り、とも)売り売り帰る瓜売りの声」
という、江戸時代から語り継がれる早口言葉があります。
この早口言葉に出てくる瓜は、かつて甜瓜《あまうり》と呼ばれていた、甘味のある真桑瓜のことだと思われます。
後に甜瓜が真桑瓜と呼ばれるようになったのは、美濃国真桑村(現・岐阜県本巣郡真正町)産の物が特に美味だったからです。
織田信長の時代はこの土地を保護し、生産が拡大されました。
甜瓜はまた、豊臣秀吉の好物でもありました。
朝鮮出兵の最中の文禄3年(1594年)年6月、秀吉は兵士たちをねぎらうため、名護屋城で仮装茶会を催しました。
瓜畑から続く空き地に店や旅籠のセットまで組んで、武将たちに身分の低い者の仮装をさせ、見学する家来たちを大名や大商人に見立ててへつらう、という芝居を打ちました。
その際、秀吉自身は瓜売りに化け、「瓜はいかがじゃの? 味良しの瓜、召され候え~」と売りまわったとか。
ちなみにこの時、徳川家康は籠《かご》売りに、前田利家は高野聖(僧侶)に扮しました。
時代が下って江戸初期、幕府は江戸でも真桑瓜を作りたいと、真桑村から農民を呼び寄せ、鳴子と府中の御前畑で栽培させました。