しつこいようですが、
東京紀行、まだ続いています。
「野口体操の会」創立総会も終了し、親睦会へ。
花見でにぎわっている上野公園を抜け、
(小雨だったので、賑わいもましだったのかな。
晴れていたらと思うとぞっとする)
親睦会会場のイタリアンレストランへ。
お店へ到着し、席へ案内されている時に、
すでに食事を楽しんでいるお客さんから、
「何この集団?カルト?」と会話がもれる。
人は、自分が知らないものに対して集まっている集団を見ると、
「カルト」と思ってしまうのだろうか?
決して怪しい風貌の人がいるわけではない。
思った以上に普通の人が多い集団だったのだが…。
少し、周りの方達と会話をしながら、
コース通りに運ばれてくる食事を頂く。
人数が多かったので、早めに自己紹介タイム。
それぞれ、野口体操、三千三先生、羽鳥先生とのつながりを含めて話される。
やはり、私は場違いなんだろうかと思いながらも、
疎外感を全く感じさせない雰囲気で安心させてくれる。
特に三千三先生のご指導を受けた経験の有る方は、
書籍では知り得ない三千三先生のエピソードを持っており、
人間としての象が浮かび上がってきて、
聞いていてワクワクする。
私は、正直にこの場に呼んで頂いた疑問と感謝を述べた。
光栄にも、羽鳥先生は、説明を挟んでくれた。
「野口体操の会」の総会で、会員として呼びかけられたのは、
羽鳥先生の講座を相当期間受講した上で、
会長、副会長が入会を承諾した者、と言う基準が有り、
さらに、「過去の名簿の中から厳しく選びました」と仰る。
私は、その条件には合わない。
羽鳥先生の講座は、
ご挨拶に伺った際に、一度体験させて頂いただけである。
しかも、かなり印象は悪かったのではないかと感じていた。
当時、私は「野口体操からだの教室関西支部」
という名称を使っていた。
この名称は、“羽鳥先生の講座の関西支部”
という誤解を招くということを伝えられ、
「からだの教室関西支部~野口体操をベースにしたワーク」
と現在の名称に変更した。
もっともである。しかも、私が学んだ三上先生の名称は、
「からだの教室~野口体操をベースにしたからだほぐし、こころほぐし」
であって、そもそもが間違っていたのだ。
また、名称の事だけでなく、
私自身の野口体操の理解度、動きが未熟である
と判断されたと思っている。
そのため、今回のお誘いは、信じられなかったのだ。
羽鳥先生は、「“野口体操というものの存在を提示している場”として、
大阪でそれなりに地盤を作っていると判断して、
そのため、条件には合っていないが、声を掛けました。」
という事を皆さんにご説明頂いた。
私は最後に、
「まだまだ知識も動きも稚拙ですが、
“野口体操”という貴重な身体文化が有るということを発信し、
興味を持ってもらえる人が増えればと思い、
精進して行きたいと思います」と最後に締めた。
(今回の写真は、全て、
お墓参りの後に見学した寛永寺のものです。)
すいません。もう一回あります。