みなさんお元気ですか? 「広島のガキおやじ くまもん」です!

「FUN FAN TODAY!」のお時間となりました。

本日もいつものようにおつきあいよろしくお願いします。

 

平成回顧録③:平成4年(1992年)~5年(1993年)

シリーズ3回目となりました。今回は平成4年(1992年)~5年(1993年)をプレイバック!

 

【スポーツ・プレイバック!】

★1992年は「オリンピック・イヤー」

 「バルセロナオリンピック」が開催されました。(7月25日~8月9日開催)

 日本のメダル獲得数は金:3銀:8銅:11⇒合計22個獲得

 日本選手の金メダルは柔道の吉田秀彦選手、古賀稔彦選手 水泳200m平泳ぎの岩崎恭子選手が獲得。

 岩崎選手は当時まだ中学2年生でした。

 また女子柔道が正式種目に加わり、田村亮子選手らが出場し話題になりました。

 マラソン:男子では森下広一選手が1968年のメキシコ五輪の君原選手以来の24年ぶりの「銀メダル」、女子では有森裕子選手が「銀メダル」を獲得(日本選手では64年ぶり)しました。

★大相撲も空前の大ブームでありました。

 若貴兄弟:若花田(若ノ花)・貴花田(貴ノ花)ブーム、ちょうどこの時期は三役・大関で活躍しました。

 加えハワイ出身の小錦・曙・武蔵丸、水戸泉などたくさんのライバルとの闘いが見ものでした。

★平成5年(1993年)はサッカー「Jリーグ」スタート

 スタート当初は10チームでのスタート

 現在ではJ1・J2・J3の3部制で合計55クラブが参加しております。

 私の地元熊本には当初チームはありませんでした。準フランチャイズとしてASフリューゲルス(横浜)が熊本で試合を行なっていました。

 自分自身の会社の人事異動で行く先々に地元のチームが存在します。

 熊本は現在J3の「ロアッソ熊本」、長崎はJ2の「Vファーレン長崎」、佐賀はJ1の「サガン鳥栖」、大分はJ1の「大分トリニータ」、福岡はJ2の「アビスパ福岡」、北九州はJ3の「ギラヴァンツ北九州」、山口はJ2の「レノファ山口」、そして現在住んでいる広島はJ1の「サンフレッチェ広島」があります。

★高校野球の出来事では平成4年(1992年)の8月16日の全国高校野球選手権大会の2回戦

 石川の星稜高校VS高知の明徳義塾高校の試合で松井秀喜選手の5打席連続敬遠

 本当に無念であります。明徳義塾に大きなブーイング・批判がありました。 、

 ABC朝日放送の名物野球実況アナ・植草貞夫氏は星稜VS明徳義塾の実況を担当、

 解説としてコンビを組んだ松岡英孝(前北陽高校監督)と共に、ベンチの指示でこのような戦術を取ったであろう(つまり投手たちは勝負をしたいであろうと感じたことから)、明徳義塾バッテリーの気持ちを慮った「勝負(は)しません!」という実況を行いました。

★続いては「プロ野球」での出来事・・・

 平成4年(1992年)の日本シリーズは西武ライオンズVSヤクルトスワローズの対決

 両チームともにキャッチャー出身監督での対決(西武:森祇晶監督、ヤクルト:野村克也監督)、いわゆる頭脳野球対決でプロ野球ファンからは「史上最高傑作」と称されたシリーズでした。

 結果は4勝3敗で西武ライオンズが日本一でした。

 このシリーズは当時デーゲームで、大学で他のゼミ室に行ってずっとTVを観てました。

 ちなみにシリーズ最高殊勲選手は西武の石井丈裕、敢闘賞はヤクルトの岡林洋一、優秀選手賞は西武の石毛宏典・西武の秋山幸二・ヤクルトの飯田哲也でした。

 平成5年(1993年)の日本シリーズも前年に引き続き西武ライオンズVSヤクルトスワローズの対決

 この年は4勝3敗でヤクルトスワローズが日本一でした。

 シリーズ最高殊勲選手はヤクルトの川崎憲次郎、敢闘賞は西武の清原和博、優秀選手賞はヤクルトの飯田哲也・ヤクルトの高津臣吾・西武の潮崎哲也でした。

 平成5年の出来事:読売ジャイアンツにミスターこと長嶋茂雄氏が2度目の監督就任、大きな話題になりました。

 日本テレビの当時の野球中継のテーマ曲でミスターもワンフレーズ歌ってましたねぇ・・・。

 そして九州では福岡ダイエーホークスの本拠地「福岡ドーム」が1993年にオープンしました。

★スポーツ最後は「プロレス」

 1992~1993年はプロレス団体の乱立期でありました。

 老舗メジャー団体、「新日本プロレス」「全日本プロレス」がともに20周年を迎えました。

 新日本では長州力・藤波辰爾+闘魂三銃士世代の武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也が活躍、さらには越中詩郎・木村健吾など反選手会同盟(平成維震軍)もあり層が厚い団体でした。

 全日本はジャンボ鶴田軍・三沢光晴&川田利明をはじめとした「超世代軍」、そして外国人の「ハンセン軍」、ゴディ&ウィリアムスの「殺人魚雷コンビ」の4軍対決。鶴田長期欠場後は三沢・川田・田上・小橋の「プロレス四天王時代」へと移行しました。

 「新日本」「全日本」の派生団体としては、デスマッチで有名な大仁田厚の「FMW」、UWF系統でいけば前田日明の「リングス」・高田延彦の「UWFインターナショナル」・藤原喜明の「藤原組」、SWSは分裂して天龍源一郎の「WAR」・ケンドーナガサキなどの「NOW」などたくさんの団体がありました。

 女子プロレスでは老舗の「全日本女子プロレス」、後発の「ジャパン女子プロレス」が存在(「FMW」には女子部も存在)

 「全日本女子」はブル中野、アジャコングなどどちらかと言えばラフファイター全盛の時代でした。

 一方の「ジャパン女子」はクーデターとなり団体が分裂

 ダイナマイト関西、デビル雅美、キューティー鈴木、尾崎魔弓などの選手は「JWP」

 風間ルミ、ハーレー斉藤、神取忍、イーグル沢井などの選手は「LLPW」と分かれました。

 1993年(平成3年)は「女子団体対抗戦」のブームでありました。

 

【お待ちかね・・・音楽プレイバック!】

●平成4年(1992年)のオリコン年間シングルランキングTOP10

①君がいるだけで(米米CLUB)

②悲しみは雪のように(浜田省吾)

③BLOWIN’(B’z)

④それが大事(大事MANブラザーズバンド)

⑤涙のキッス(サザンオールスターズ)

⑥ガラガラヘビがやってくる(とんねるず)

⑦もう恋なんてしない(槇原敬之)

⑧if(CHAGE&ASKA)

⑨PIECE OF MY WISH(今井美樹)

⑩浅い眠り(中島みゆき)

TOP10ランキングで3位・8位はTVCM曲、他はテレビの主題歌に使用された楽曲であります。

TOP10の半数がフジテレビがらみという結果。フジテレビの全盛期がこの年も続いてます。

★1992年年間1位「君がいるだけで」(米米CLUB)

 米米CLUB:作詞・作曲、米米CLUB&中村哲:編曲

 (1992年5月4日発売)

 フジテレビドラマ「素顔のままで」主題歌(安田成美、中森明菜主演)

 

●平成5年(1993年)のオリコン年間シングルランキングTOP10

YAH YAH YAH(CHAGE&ASKA)

②愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない(B’z)

③ロード(THE 虎舞竜)

④エロティカ・セブン(サザンオールスターズ)

⑤裸足の女神(B’z)

⑥負けないで(ZARD)

⑦時の扉(WANDS)

⑧真夏の夜の夢(松任谷由実)

⑨揺れる想い(ZARD)

⑩世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)

1993年は織田哲郎・長戸大幸率いる音楽チーム「ビーイング軍団」全盛の年でありました。

TOP10ランキングのうち6曲が「ビーイング勢」であります。

ランキングに登場している「B’z」「ZARD」「WANDS」をはじめ「TUBE」「T-BOLAN」「大黒摩季」「DEEN」などビーイング軍団のリリースが活発でした。サウンドも似たような感じ・・・大半のアレンジは葉山たけし・明石昌夫によるもの、ジャケットもセピア調の似たようなテイストが多かったですね・・・。

★1993年年間2位「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」(B’z)

 稲葉浩志:作詞、松本孝弘:作曲、松本孝弘&明石昌夫:編曲

 NTV「西遊記」(開局40周年ドラマ)主題歌

 

 

【最後に「アニメプレイバック!」】

●平成4年TV放映開始、現在でも人気のアニメをご紹介

「美少女戦士セーラームーン」

 

●そして同じく平成4年放映開始の「クレヨンしんちゃん」

「オラはにんきもの」

 

「平成回顧録」いかがでしたか?次回もお楽しみに・・・。

本日も最後までご愛読いただきまして誠にありがとうございます。

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