そんな時代のお話ですけど。 | 米子界隈、夢再び。

米子界隈、夢再び。

思えば米子界隈というサイトをスタートしたのが1996年のこと。境港市で開催された夢みなと博覧会の応援ページからの公開でした。まだこれからもブログで頑張ります。初心に帰っての新たな始まりです。

市民の足が列車やバスばかりだった頃、米子という街の中心は米子駅の辺りでした。何をする人たちもみんな米子駅から歩いて出てこられたし、バスターミナルに着いたバスからはどんどんひとがでてきたものでした。

そんな頃に米子イチのバスターミナルと言えば米子ストアのロータリーでした。多分ターミナルって言葉、初めて聞いたのこの頃かなぁ。

みんなはほとんどご存知ないかもしれませんが、米子ストアはのちに大丸米子店に代わり、そして最後に天満屋米子店と変遷して、今はろうきんさんの前の駐車場へと成り代わりました。


これが借り物ですが、在りし日の米子ストアの姿です。一階の飛行機のキャノピーみたいなとこに喫茶室見ないなのがあってその青い?窓を通して駅前通りを見た覚えがあります。この駅前通りはコンクリート造りで私が小学生の頃には自衛隊の祭り?の日には戦車が走ったりもしたことがあります。茶町の2階にあった田中さんっていう散髪屋さんから散髪途中の上っぱりを着たままで戦車の轟音を感じるために通りまで走りでたこともあったりしました。

とにかく、米子ストアから茶町、元町、本通りを抜けて生協、高島屋までが当時のゴールデン地帯ではありました。

米子ストアの地下に一個15円くらいの肉まんがあってそれを買い込んで食べまくってからサッカー部の練習を打ち込んだ青春時代でした。またここに米子まんじゅうとかいうクリーミーな白餡のまんじゅうがあってこれまた絶品でした。

またまたこの地下にはスズキさんっていわれる惣菜屋さんがあって、ここの惣菜は天下一品でした。とくに白和え、鶏肉とこんにゃくの煮物、からし漬けなどなど、これこそ、米子の味でした。その後、スズキさんは大丸、天満屋、福原に移転してからの天満屋とそれぞれの食品売り場で輝き続けられましたが、そこで、諸般の事情から閉店されました。今でももう一度食べさせてもらいたい逸品揃いでした。

私は米子幼稚園、明道小学校、米子二中、湊山中学校とこの辺りで大半を過ごしました。友だちもこの辺りに多く、本当の私のルーツとも言える場所です。これからもいろいろ書かせてもらいます。自分の記憶を記録するためにも。