東日本大震災の起きた2011年、被災地となった私の住んでいた町で不思議というか、とても不愉快な思いをたくさんした。

その最たるのが、自宅を被災した私をニヤニヤと薄笑いで見ていた中学時代の同級生だ。40歳を超えたいい歳した大人が、被災した同級生に「気の毒に」とか「大変だったな」の社交辞令ひとつ言わずにニヤニヤ薄笑いする様には、背筋がゾッと凍りつく思いにさせられたものだ。その同級生以外にもニヤニヤする輩は他にもいた。
どうしてこのようなことが起こるのか、しばし私は考えた。そしてある結論にたどり着いた。
 
私が住んでいた宮城県の亘理町だが、殿様が消えた町なのである。
宮城県は、伊達氏の仙台藩の領地がそのまま宮城県に移行したと考えていいだろう。仙台藩は、初代藩主の政宗とその直系の子孫が藩全体を統治したように思われるが、藩をいくつかに分割して伊達氏傍系の一門や有力な家臣がそれぞれの領地を統治してきたのである。亘理は、傍系の亘理伊達氏が治めていた。
その亘理伊達氏だが、明治維新で14代当主の伊達邦成(くにしげ)が家臣を引き連れて、北海道に移住してしまったのである。このことが北海道伊達市の起源となるわけである。
 
支配階級だった侍が突如いなくなり、亘理の町に空白地帯が生じてしまい、その名残り(あるいは悪影響?)が今もなお亘理にはあるのだ、と私は思うに至ったのである。
殿様や侍がすべて良いことを行って百姓や町人を支配してきたとは思わないが、当時の知識階級がすっぽりと消えてしまったのだ。その混乱の影響が150年後の今にも残っているのではないだろうか。
 
伊達邦成は北海道開拓の功績により「明治の十傑」にも挙げられ、戊辰戦争で敗れた側にもかかわらず、明治政府によって後に男爵に叙せられるほどの人物であった。この邦成が亘理に残っていたならば、品格ある町のままだったのではないだろうか。災害で被災した弱者をニヤニヤ笑うようなことのない……
 
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