ここ2日北海道では大雪が続き、雪かき(道南)いや雪投げ(道央)道内では

地域によって言い方が違う雪処分の、大変な作業が続いています。

 

石川県能登半島地震、元旦の16時10分に発生、只々びっくりした時間帯でした

一般的にはお正月の家族団欒の時間、その後の被害は連日の放送どうりですが、

当然我が家も、のんびり正月中、何か胸が痛い思いが通過した時間になった!

 

そう言えば、今までの人生の中の地震の記憶を、辿ってみると大きくは4回!

先ずは、1968年の十勝沖地震あれは5月16日の9時48分の地震だった

高校生の時だけれども、店のガラスや中の商品が棚から落ちて店中ぐちゃぐちゃ

とにかく一瞬に鋭い大きな揺れを感じた、初めての経験でした。

この時、函館大学の4階建の校舎が3階になり壊れたことが有名になった地震でした

その後、記憶的にどう復興したかがあまり記憶にない程恐怖だったかも知れません

 

次には南西沖地震、1993年奥尻島が中心で道南にも大きな地震の揺れがあった時

この地震での記憶には、奥尻町にフェリーで渡り復興工事を多く受入れて仕事して

気象条件によりすぐに帰れない状態で奥尻に長期滞在した事と奥尻町民の大変さを

目の当たりにして、災害の恐ろしさと被災者の落胆が今も頭の中に残っています。

 

1995年7月12日の5時46分だったんだと調べましたが、会社の建物の中の食堂の昼の

テレビ放送でこんな事があるのかと関西と言う遠い土地とは言えこんな惨事があるか

自分の経験ではないのに、すごい恐怖心が沸き上がったのを覚えていますしショック

でしたがその数年後、仕事で伊丹空港に着陸の際にオリックス球場の緑を見て復興を

喜んだこともありましたが、今年29年目とは言えまだ被災者の悲しみは続いていて

この災害がもたらす苦しみからは、中々解き放されない辛い出来事が人々に残って

震災の経験者でなければ、語れない心の葛藤を感じています。

 

最後は、2011年仕事も退職しパートになり札幌の駐車場で働いていたころですが

3月11日2時46分、その日は札幌は天気が良く仕事をしてもいい気候になって来たな

そんな1日の午後の駐車場内の巡回に行こうと、10階建て駐車場を廻っていた時に

起きた地震でした、強い寄れではあったが、館内に問題は無くあちこち地震による

チェックをして事務所に戻り、帰宅してびっくりあの津波の映像が、テレビに映り

母ちゃんと二人で青ざめた日を忘れません、こんな光景は見た事はないし見たくない

大変な津波災害、あってはならない人災そして原発の恐怖、東北になんでこんな地震

自分の見たものを信じられない悪夢、もっとも恐ろしい光景でした。

 

いずれも震災後着々と復興の兆しを見せていますが、心の傷は癒せないままで過ぎ

今に至っている事でしょう、今回も大きな災害の能登半島地震悲しい出来事ですし

しかもこの辺には4ケ所の原発があり断層もある、どうしてここにだったんですかねー

 

こう地震の記憶をたどれば10年から15年の間に起っている大きな地震、温暖化って

関係しているのか、また水道・電気言えば切りがないし勉強不足の爺さんですが、

何かこの頃、色々と分らないことだらけでしょうがありません。

 

我々、北海道にも地震の可能性はあるし現に駒ヶ岳に小さな微動も今回観測されて

発表されました、記憶だけではなく現実にならない事を、願うばかりです。

ともあれ能登の皆さん頑張れですね!