幸せな死〜自宅で園児たちに囲まれて〜 | Never give up〜糖質オフからケトン食まで〜

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がん、糖尿病、精神疾患、肥満。治療のために真剣に糖質制限に向き合いたい方の為に書いているブログです。


「先生が、もういよいよ危ないらしい、お母さん、行こう!」
 
長男が急いで靴下を履きながら、私に保育園まで乗せて行って欲しいと言います。
 
夜8時頃でした。
 
外は雨が降っていて、真っ暗です。
 
身内と言う訳でもないのに、臨終というとてもプライベートな大事な時間に私達がお邪魔してしまって、いいのだろうか…
 
尻込みする私に、息子は
 
「いいって!すぐ来てって連絡があったんだから!」と。
 
 
 
行き先は、先生の自宅、兼、保育園。長男と次男は、赤ちゃんのころから、自宅近くにあったその保育園でとても可愛がって育ててもらいました。
 
 
看護師で仕事が終わるのが遅かった為、2人は保育園を卒業するとそのまま、学童保育でもお世話になることに。
 
 
ただいま〜と自宅に帰るように元気よく保育園に帰る子供たち。小さい子と大きい子たちが混ざっていて、いつもまるで大家族のようにリビングでくつろいでいる、そんなあたたかい保育園でした。
 
 
小学生になってからも、時々、おばあちゃんちに寄るように遊びに行って、そんな子どもたちを先生もいつも喜んで迎えてくれて…
 
 
先生…
 
 
ワイパーで雨を払いながら保育園に向かう途中、先生との思い出、感謝の気持ちが次々に浮かんで来て、私は鼻の奥がつんとなりました。
 
 
保育園に到着しました。
 
 
車が沢山止まっていました。沢山、中に人がいるのがわかります。
 
 
でも不思議です。
臨終のお別れに来たはずなのに、あかあかと電気がついていて、なにやら賑やかで子どもたちがはしゃぐ声や笑い声、走り回る足音が聞こえてきました。
 
 
中に入ると、いつもの見慣れた、大家族のリビングのような保育園の光景そのまんまで、とても今にも死を迎えそうな方がいる雰囲気ではありませんでした。
 
 
同じように臨終に呼ばれた、卒業生仲間に誘導され、奥の部屋にいくと、
 
 
沢山の父兄や親戚、家族に囲まれる中、先生がいました。
 
 
酸素マスクをしていますが、既に肩呼吸。反射も弱くなっている感じで、確かに、それはよく知っている、旅立とうとされている患者さんそのものでした。
 
 
家族に了解をもらい手を握ると、少し冷たくて…
 
 
私達は家族で、先生を囲み、1人ずつ感謝の言葉をかけました。
 
 
すると下の子が、隣りの部屋でわいわい遊んでいるのに惹かれてしまい、とうとう遊び始めてしまいました。
 
 
長男も次男も、沢山集まった卒園児などと近況報告などが始まり、父兄は父兄でお話しが始まり、
 
親戚も交え、みんなでお茶を飲んだりテレビを見たり…
 
 
たしかに臨終の場なのに、悲壮感がまるでない、
なんとも賑やかな不思議な空間でした。
 
 
 
ご家族も、全然落ち着いていらして、次々とくる小さな来客を迎え、ベッドサイドで思い出話しが弾みます。
 
 
先生は賑やかなのが好きだったよね、と長男と仲良しの女の子2人で、なにやら作戦タイムが練られていたかと思うと、
 
あろうことか3人で先生のベッドサイドでスマホで音を鳴らしながら、ついにはダンスまで始まってしまいました。
 
 
 
こんな、死の迎え方もあるんだ…
 
 
 
初めて見る、ステキな臨終の形がそこにありました。
 
 
 
みんなで感謝して、泣きながら笑って踊って、歌って、思い出を語り合って。
 
 
 
 
 
 
 
先生の娘さんに、
 
 
これでよかったんですか?と聞いたら
 
にっこりと。
 
 
「きっと喜んでいる、賑やかで先生らしい」
 
 
と答えられました。
 
 
 
 
先生は膵臓がんでした。
 
抗がん剤治療をしましたが、治療成果を得られず、最後は自宅で迎えたいと先生の希望で、
 
 
訪問看護や往診を受けながら、最後までご自宅で過ごされました。
 
 
とは言え、ご自宅が保育園なので、子どもたちは毎日登園してきますし、娘さんもご一緒に保育園の先生として働かれていますし、
 
先生は園児たちと一緒に、
歌やダンスを見ながら、娘さんに介護され、過ごされたそうです。
 
 
どんな思いで先生はこの臨終の時を過ごしてるのでしょう。最後の姿を、園児たちに見せるのは少なからず抵抗があったと思います。
 
 
でも、先生は、ありのままに園児たちにも、そのお母さんたちにも、最後まで生きる姿を見せていました。
 
 
立派に保育園で「先生」として最後をお迎えになりました。
 
 
 
 
先生や、ご家族が、勇気を持って、先にオープンにされていたことで、死ぬことを小さな子どもですら、みんなが普通に受け入れていました。
 
 
 
ベッドサイドにはモニターも何もありません。
代わりに
笑い声と笑顔が沢山ありました。
 
 
 
病院で、沢山のモニターに囲まれて、亡くなるのが普通だと思っていた私は、大きな衝撃をうけました。
 
 
 
自宅で家族を看取るには、家族にも相当な覚悟が必要です。
 
 
 
大変だったと思うのですが、
それも感じさせないくらい、当たり前に、普通に、先生はその空間におられました。
 
 
 
子どもたちも、こんな滅多に出来ない、尊い経験をさせていただけたことに、ほんとに感謝しています。
 
 
 
覚悟さえあれば、
受け入れてしまえば、
 
 
自宅でこんな幸せな満足感のある死を迎える事ができるんですね。
 
 
 
昔は、こうして皆亡くなっていたのかも知れません。
 
 
 
私も、こんな最後だったらいいな、と強く憧れた、先生らしい最後でした。
 
 
 
自分らしい死に方は、自分らしい生き方の中にあるのですね。
 
 
 
 
 
ありがとう、先生。
天国で安らかに、お過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 
※上の絵は、保育園の子どもたちと遊ぶ先生を、
地域の方が書いてくれたものです。
茶色の服が、先生。うちの子たちも、多分どこかにいるはず。
 
大好きな絵です。
 
 

 

 

 

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