【岡田有希子の呪い】
平成生まれの人達は大半が知らないと思いますが、ポスト松田聖子とも言われたアイドル歌手・岡田有希子。

彼女は中学3年生の1982年10月、両親に内緒で中森明菜も輩出したオーディション番組『スター誕生!』の名古屋地区予選に出場して合格を果たし、決戦大会への切符を掴みます。
決勝では中森明菜の「スローモーション」を歌い見事チャンピオンになります。
しかし人気絶頂期の18歳、所属事務所のサンミュージックのビル屋上から飛び降り自殺をしました。
アスファルトに叩きつけられて脳みそが飛び散った岡田有希子の遺体の白黒写真が、報知新聞や週刊誌に載り世間を騒がせました。
岡田有希子は1986年4月8日の午前10時頃に自宅のマンション402号室でガスとリストカットによる自殺を計りました。
ガスの臭いに2階上の住民が気付き、マンションの管理人が部屋を確認しに回った事により発覚し、救急車が来て現場に程近い北青山病院に搬送されました。
病院で治療後に所属事務所の人達が迎えに来て、サンミュージックが入居しているビルの社長室で一命を取り留めた岡田有希子に事情を聞こうとしましたが、ちょっと目を離した隙に岡田有希子はビル屋上まで駆け上がると、そこから飛び降りました。全身強打で即死。
不運はその時に限って、岡田有希子の周りに誰もいなかった事です。サンミュージックの創業者で初代社長の相澤秀禎は普段ならいてる時間だったが、その日は歯医者に行っていて事務所に不在。
溝口伸朗マネージャーも娘の入園式か何かで遅れる事になっていた。
彼女の姉代わりになっていた社員もその時会議中。
結果、社長室には現サンミュージック名誉顧問・福田時雄(当時専務)と彼女の付き人と岡田有希子の3人しかいなかった。
相澤から電話が入った福田は、岡田有希子の前で話すのはさすがに無理と思い部屋を離れ、岡田有希子は付き人と2人きりになります。
ふっと席を立ち、岡田有希子は部屋を出ていきますが「トイレかな?」と付き人は思ったそうです。それほど行動が自然にみえたそうです。しかしトイレにしてはあまりに遅いので、不安に思った付き人は探し始めます。
社長室は6階で、屋上は7階。付き人が屋上に上がると、病院のスリッパが揃えて置いてあったそうです。
岡田有希子が自殺未遂をしたようだとの連絡が入り、事実確認する為に報知新聞だけがサンミュージックに駆けつけていました。
すると目の前に死体がある。誰の死体かは判然としないが、とりあえずカメラで撮影しました。それ程顔面の損傷も激しかったんです。
後日その写真が新聞に掲載されます。

連絡を受けて報知新聞と同じぐらいの時間にタクシーで現場に着いたマネージャーは、岡田有希子と確信していたのでビルから毛布を持ってきて被せてあげました。
マネージャーは移動中のタクシーの中から、ビル屋上から身を投げ出す岡田有希子の姿を丁度目撃していたそうです。
情報が錯乱してる中、芸能リポーターの梨本勝さんがこの遺体は岡田有希子と判明した事をテレビで伝えました。
岡田有希子 自殺直後の映像
テレビに映し出されましたが、警察が飛び散った脳みそなどをビニール袋に淡々と入れている所は印象的でした。
岡田有希子の自殺の原因は、無責任な憶測や噂が飛び交いました。
よく言われているのが
・まずTBSドラマ「禁じられたマリコ」で共演した故・峰岸徹との恋愛のもつれ。
峰岸の子供を妊娠していたという説まである。
当時42歳で婚約者がいた峰岸は
「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」とコメント。
故・相澤社長のインタビュー
「有希子は、デビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで、一人暮らしを始めた。その3日後に有希子の住んでいた部屋に、のりピー(酒井法子)が入ってきたんです。そして、自殺する3日前に、僕の家に有希子が食事に来た。なんとなく元気がないから、"おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ"というと、"私なんかもう、だめだから""あとにいい子(=酒井法子のこと)がいるじゃない"という暗い話をしだしたんです」
「当日、僕が歯医者から戻ると事務所のビルの下が大騒ぎ。有希子が飛び降り自殺したんです。僕を待っている間、朝の自殺騒動について僕に何か言われるがいやで、屋上に言って飛び降りたんだと思ったんです。ところが、彼女が残していた1冊の日記風のノートが発見されて、それを読んで自殺の真相が理解できました」
その日記風のノートには、相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。
「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」
・実は神田正輝と付き合っていて峰岸徹は石原裕次郎が命令したダミーという説。
1985年6月24日 松田聖子と神田正輝が結婚
1986年4月8日 岡田有希子自殺
1986年10月1日 神田沙也加誕生
考えられるとしたら松田聖子の妊娠を知ってショックだった。
神田正輝と松田聖子の偽装結婚説まである。
しかし2008年、峰岸徹が肺がんにより65歳で逝去。真相は藪の中である。
この後の話なんですが、都市伝説で【岡田有希子の呪い】というのがあります。
これをいくつか検証していきます。
●岡田有希子の遺体を撮影した報知新聞のカメラマンは、実はもう1枚もっと見えるようにうつ伏せに倒れている遺体を足で蹴って仰向けにして撮影したが、お蔵入りとなる。そしてそのカメラマンはサウナで謎の事故死を遂げる。
これは嘘です。
報知新聞社の記者が岡田有希子の自殺以降に、サウナの熱を帯びた所に頭を自分から突っ込んで死んでしまうという事件が起こったのは事実です。
しかしこのサウナで亡くなった記者は、岡田有希子を撮影したカメラマンとは全くの別人。宝島社が報知新聞に確認をいれておりそのカメラマンは現在でも元気らしいです。
報知新聞社に館内のスピーカーから共同通信の第一報が流れたのは11時40分頃。
騒然とした雰囲気の中で、すぐに取材班が組まれた。ひとつの班は警察へ、もうひとつの班は岡田有希子のマンションへ、そして報知新聞編集局文化部の細貝武記者を中心とするチームはサンミュージックへ、と即座に取材分担が決められた。
細貝と、ベテランカメラマン、4月に入社したばかりの新人カメラマンの3人で、細貝の会社の車に飛び乗る。
細貝が新人カメラマンにあれがサンミュージックだ、と説明している時に屋上から何かが落ちるのを偶然見た。
「今のマネキン人形じゃないか?」
細貝は先に口を開いた。
「え?黒いゴミ袋みたいでしたけど」
首をかしげながら新人カメラマンは答える。
現場へ駆けつけた時、衝撃が走る。
おいおい…人間じゃないか…。
この時、細貝は中年の女性に見えたといい、付き人が自殺の責任をとったと思ったそうだ。
とりあえず写真をとるように指示した。
その直後に顔馴染の溝口伸朗マネージャーが、毛布を抱えながら飛び出してきた。
「かわいそうに…かわいそうに…。」と呟いていた。
細貝は嫌な予感がし、ビルの階段を駆け上がった。
5回の事務所に入り、「おい、今の誰だ!?」
その場にいた社員をつかまえて、彼は質問をした。聞かれた相手は窓の外をちらりと見なが
ら、こう答えた。
「わかんないよ。誰だか知らないけど、ウチのビルを使って自殺するなんて、迷惑な話だよな、まったく」
細貝は苛立って、もう一度その社員に言った。
「とにかく女子社員を数えてみろよ!」
相手はしぶしぶ社員名簿を取りだし、そのフロアにいる女子社員の顔を数えはじめた。
「一、二、三、四……」確認を終えて相手が答えた。
「ほら、ちゃんといるよ」
ではなぜ、溝口マネージャーが……。ここでは埒があかないと判断した細貝は、六階に駆けのぼり社長室に飛び込んだ。そこには相澤社長と福田専務の二人が呆然として立ちすくんでいた。
「いまの誰?」
細貝の問いに、相澤秀禎がやや間をおき言葉を絞りだすように答えた。
「本人だよ……」
付き人の女性が手にストロベリージュースを持ったまま、震えて泣いていた。
思わず細貝は聞き返した。
「本人?」
もう一度、相澤が応じた。
「岡田有希子だよ……」
三年前の春。彼女がデビューする直前に細貝は会っていた。所属のサンミュージックでは各スポーツ紙の芸能担当記者を招待し、岡田有希子とサイパン同行取材ツアーという企画を主催しており、それに同行したのだ。いわば「今後ともよろしく」という意味でのプロダクション側の挨拶代わりみたいなものである。
顔ならよく覚えていたが、その細貝ですら誰の遺体か分からない程に遺体は損傷していた。
そして、すぐに現場にマネージャーが下りてきたことから、カメラマンが遺体を足で蹴ったというのも嘘だろう。
ベテラン記者の前で、勝手にカメラマンがそんな事をするとは思えないし時間もない。
●岡田有希子のファンが脳みそを持ち帰った。
これも嘘です。
まずこの死体が岡田有希子と気付いた人がいてないですから。そして判明した時にはとっくに警察が来ていました。
上記のカメラマンですら「責任を取る立場の事務所の人間だろう」と思い「念のため」といった気持ちでその死体を撮影したので。
●岡田有希子の自殺により、後追い自殺が絶えなかった。
これは実際には1、2人と言われています。色々調べますと自殺した理由は家族が原因であったりで、ただ自殺した人達が岡田有希子のファンだっただけとの事です。
確かに有名なタレントなどが自殺し、その内容がセンセーショナルに報じられると、その後同じ方法を使った自殺者が増える傾向にあります。これをウェルテル効果といいます。
自分の心が弱っている時に、自分と似たような何かを背負う有名人が自殺をし、衝動的に「なら自分も」という心境になるようです。
しかし「ウェルテル効果」の主な特徴は、報じられた自殺者と同じ方法による自殺の連鎖である、ということであり、投身自殺が増加したというデータはありません。
●自殺した岡田由希子さんがの亡霊に編集部が悩まされたために、魔よけの一種としてザ・テレビジョンの表紙にレモンを使うようにしたところ、編集部への亡霊の影響はなくなった。そのため、現在でも表紙にはレモンを使い続けている。
これも嘘です。
1986年3月17日号からレモンは復活し現在に至ります。1986年3月17日号というと、岡田由希子が自殺するわずか3週間前。岡田由希子が自殺する前にはレモンが使い出されているのでレモン=魔よけではないことになります。
●テレビに岡田有希子の幽霊が出た。
岡田有希が亡くなった後の5月28日、フジテレビの生放送の歌番組「夜のヒットスタジオ」で中森明菜が歌ってる時に、後ろにワンピース姿の岡田有希子が映っていると視聴者から電話があった。
この他にも6月放送の「歌のトップテン」「ザ・ベストテン」に中森明菜が出演中に岡田有希子の霊が映った。
86年6月18日放送のフジテレビの番組「夜のヒットスタジオ」では「中森明菜が歌っている時、背後の雛壇で岡田有希子が血まみれのドレスを着て拍手していた」という電話が殺到。
後はさんまのまんまでも、ゲストの松田聖子の首を岡田有希子が背後から両手で絞めていたなど。
実際にその問題の場面を検証してみると、そう言われたら中森明菜の背後に影かモヤのようなものがうっすら映っていますが、これは先入観なく普通に見たら何とも思わないでしょう。多分まず人の形にすら見えないと思います。
岡田有希子と結びつけるには疑問が残ります。
幽霊はいてませんし、人間の幻覚や先入観、思い込みで見える事が科学的に証明されています。
幽霊と言うのは自分の脳の記憶が作り出した幻覚と云われています。
その先入観を利用し麻薬で幻覚を見せ、超能力を信じこませて信者を拡大していったのがオウム真理教です。
この場合岡田有希子が悲劇の死を遂げたという思い込みが、そう見せたのでしょう。
心霊写真や心霊動画が、今と違ってそこまで合成されているという認識もなかった時代でしょうしね。
ただ何故中森明菜の時ばかり、幽霊が出ると言われるのか?
それは中森明菜の歌う曲の歌詞に問題があったんです
それは中森明菜の持ち歌の「ジプシー・クイーン」
この歌詞が岡田有希子の自殺を暗示する内容なんです。
歌い出しはこうです。
百二十五頁で終わった二人
(飛び降りたのが12時5分)
燃える愛の途中でAhすべて
(恋人とは強制的に別れさせられた)
Wine色を染める重い空に嘆き
(飛び降りた際に頭部が割れてWine色の大量の血が流れた)
アスファルトのBedに
(コンクリートの路上に激突死)
ため息こぼれる
(脳が飛び散った)
ジプシー・クイーンは元々岡田有希子のものになるはずだったが事務所の都合で中森明菜が歌うことになった。
驚くことにジプシー・クイーンがレコーディングされたのは、岡田有希子が死んだ4月8日。
そしてこの3年後に、中森明菜が当時恋人だった近藤真彦の自宅マンションで左手首辺りを切り自殺未遂をした為に、中森明菜は呪いにかかった、取り憑かれたと言われるようになりました。
この歌詞も予言みたいなものなのかもしれません。
後参考程度にですが
1997年、岡田有希子と親交があり岡田有希子の写真集にツーショット写真も載ったことのある女優の可愛かずみが、元彼だったヤクルトの川崎選手の自宅マンションから岡田有希子と同じように飛び降りて自殺する。
(手首にリストカットによるためらい傷があった。)
2000年7月19日、岡田有希子の芸能界における育ての親であったマネージャーの溝口伸郎氏が、岡田有希子が最後に立ち寄ったサンミュージックのビルの5階と6階の間のトイレで謎の首吊り自殺(享年54歳)。争った形跡もなく司法解剖もされなかった。
自殺の理由については仕事も家庭も順調だったため、数年前から患っていた糖尿病を苦にしてではないかと噂された。岡田有希子の自殺後の14年間は、酒井法子さんの専属として活躍していた。
何でもかんでも呪いと言うのは安易な考えと思います。
大体可愛かずみには呪う意味もないですから。
中森明菜も岡田有希子の自殺も、こういうケースは愛する人に発見されたい、かまってもらいたいという衝動が原因と言われてます。
まずアイドルの死体が新聞や週刊誌に載ったのが今じゃ考えられないですし、当時のアイドルの過酷さが分かりますね。