グアム殺傷事件の精神病を理由に無罪主張
おかしくないか?
成り立ちや弁護士の役割は理解できるけど、
そもそも根本的におかしくないか?
精神病だから=無罪、減刑
っていうこの図式がおかしいと思うのだが。
そもそも、健全で常識があって、モラルも理解していて、
まっとうに生きてる人は犯罪を犯さないし、事故などで不運にも、って場合で
罪を問われることはあっても、そういうまともな人はちゃんと罪の重さを理解し、
罪を犯した意識も強く持っていて、反省をする。
ちゃんと反省でき、再犯をしないためのあらゆる枷を自分に課したりできるから
ある程度の減刑は認めてもいいと思うが、
そもそも、常習犯や、確信的、意図的、計画的、確かな犯罪の意識をもって
自分の意思で犯罪を犯す人って、それ自体がそもそも精神病じゃないか?
病気とは言わないまでも、精神異常者であることは間違いないだろう。
だから犯罪を働くんだから。
犯人のほとんとが再犯者なのは、犯罪を犯しやすい精神異常者に対して
減刑やら無罪判決やら、反省や更生の機会をなくしたり、促さなかったり
反省・更生しない異常者をまたやるだろうなと思い、平気な顔してすぐ世に解き放つ
その法律、司法が悪の根源とも思えるんだが。どうなのだろうか。
そもそもよほどの事情がないかぎり、精神異常でもない健全な人は犯罪に走らない
わけだから、犯罪者=ほぼ精神異常者でいいんじゃないか?
だから、精神病や精神疾患を理由に減刑や無罪を求める図式には正直、
納得できない。
精神異常者のその精神異常を保護する理由が、正直、適正とは思えないんだが。
実際に犯した罪の重さ、被害の大きさで判断するべきではないのか?
たとえば少年法でもそうだ。
なくならないのは抑止力がないから、考えの及ばない子供が簡単に犯罪に走る。
その段階で、道を踏み外そうとする子供を正そうとする意味を成していない。
考え方によっては、少年法の軽さが新しい少年犯罪者を生み出す手助けになっている
と、思えてしまう。
もし、年齢に関係なく、犯した罪の重さ、被害の大きさを第一にしっかり刑罰を与えれば、
少なくとも、周囲の子供や、教育面で保護者たちなど、事前により注意深く、健全に生き
られるように、道を踏み外さないようにしっかり見るようになるだろうし、
同級生なども、クラスから一人いなくなり、そのことが段々とリアルに感じ、真剣に考える
きっかけにもなるだろう。残された者の気持ち、罪の意識、被害の大きさを身にしみて
理解し、抑止力と正義感や責任感などを育てるきっかけになるかもしれない。
少なくとも少年犯罪は確実に減り、当然、それによる被害者も減るはずだと思う。
犯罪が減らない=被害者は増える
そして現状、ほとんどの犯罪者が再犯を犯す事実。
犯罪者の数は減らない、少しずつ増え続ける=被害者は爆発的に増え続ける
ってことじゃないか?
どうせ警察は事件にならないと=被害者がいないと動かないんだから、
絶対、減らないじゃないか。被害に合う人が。
そう考えると、現在の司法、法政のあり方は異常とも言えるんじゃないか?
国民が平和に幸せに暮らせる環境なわけがないと思うが、
そのあたり、政治家の面々、裁判官の面々、警察の方々はどう思うのだろうか。
やはり実際に自分自身もしくは自分の家族が被害にあったりしないと想像すらできない
愚か者なんだろうか。不信が募るばかりだ。
今、やるべきことは
被害に合わないように国民を守る。そのために、
犯罪の発生原因を減らす。犯罪者を実数値で減らす。そういう強力な抑止力のある
法への改正を強く願うばかりだ。
犯罪者になりたくないっ 罪を犯したくないっとすり込んでいくということを
今よりもっと必要なんじゃないだろうか。
