学ぶ力を作り出す

学ぶ力を作り出す

東京都杉並区の「学力工房」教室長の中村です。
屋号である、「学ぶ力を作る」というテーマを中心に、
主に、教育関連のブログを記載してまいります。
著書である「学ぶ力を作りだす」の周辺事項の記載も続けております。

どうぞよろしくお願いいたします!!

学力工房 本校・専科教室

「学ぶ力を作りだす」
書籍はこちら!

~東京都杉並区に2教室を展開しております~

・個別指導
・小集団指導
・WEB授業
・ロボット教室、理科実験教室、プログラミング講座
・東進こども英語塾
・四谷大塚準拠 中学受験指導
・高校受験、大学受験指導


本校HPは、こちらをクリックしてください!

専科教室HPは、こちらをクリックしてください!
Amebaでブログを始めよう!

新しく書籍をリリースしました。今回は中学受験に特化した内容になっております。

 

「中学受験の勉強時間を半分にする」(ギャラクシーブックス)

 

 

というテーマです。

 

これから中学受験を考え方々、あるいは今現在進行形の方々にはぜひ、1つの問題提起として読んでみてもらいたいです。概ね、今現在、ビジネスに携わっている方々は、理屈と考え方には賛同してくれると思います。

 

学習塾に携わって10年になりますが、一番違和感が大きかったのが、中学受験の「当たり前」でした。

 

標準でも、小3の2月からは塾に行き、4教科学習し、毎週のように週末にテストを受け、5年生になれば、学校ではまるで習わない、中学受験でしかやらないことばかりを取り組み、6年生になると、とにかく志望校に向けて物量を詰め込んでくる。5年生ならばテストを入れれば、週4回の通塾は当然、6年生ならば週5−6回の通塾が当たり前。夏期講習ともなれば、朝から晩まで、場合によってはお弁当2つ持って塾に行く。

 

宿題量も膨大で、SAPIXなどに行けば、共働きで対応するのは基本的にはかなり難しいです。親がちゃんとつきっきりで見ることが「前提」になっていて、親が宿題をガッツリきっちりやらせることが不可欠になっています。

値段もすごいです。小6ともなれば、年間で100万円をトータルで超えることなどザラで、さらにやる子は、それに加えて、Thomasなどで家庭教師をつけたりしていきます。

 

で、説明会等に行けば、それが当たり前、それがデフォルト、それが志望校合格に近づく、必須の姿、と刷り込まれるわけです。で、特に母親中心にそのような信仰が広がっていき、今や、SAPIX、四谷、日能研あたりでは、学習量をさらに増やすことはあっても、減らそうという動きは皆無です。

 

でも、そんなの、絶対おかしいと思うんです。

小学生が、4年生から(早い人はもっとはやい)、毎週偏差値の出るテスト受けさせられ、その偏差値を上げるために、毎晩必死に勉強し、5年生にもなれば、他の習い事はやめさせられ、算数あたりでは訳のわからない特殊算を毎週習い、テストのために社会の用語を毎週100個くらい暗記して。友達と遊ぶ時間、野球をする時間、家でゲームをする時間、ゴロゴロ漫画を読む時間、ぺちゃくちゃ話をして無為に流れていく時間、好きな女の子(男の子)のことを鬱々と思う時間、そういう、子供ならではの時間は全て削ぎ落とされ勉強に充てられていく。そして、勉強だけ上手にこなしていく人が、エリート校に入り、鉄緑会に行き、東大に行き、官僚になっていく。(ちょっと偏見ですが)

そんなの、絶対におかしいと思うんです。

 

該当者がいらっしゃいましたらすいませんが、SAPIXー鉄緑会ー東大、みたいなルートは、ぶっ壊れたいい、と思うんです。勉強ができるエリートたちのレール、もう、そんなのいらないと思うのです。

 

だから、中学受験の当たり前の姿に、アンチテーゼを突きつけたいと思い続けてきました。

 

小さな教室で、業界の片隅の中の端っこですが、その思いで中学受験の指導は続けてきましたし、実際、その思いを実現するために、半ば強制的に、中学受験の勉強時間は、半分もさせないで、受験に向かわせてきました。(ただ、それでも、受験しない子に比べたら、3倍くらいはしています)

 

それでも、みんな、ある程度行き着くところに進学します。どこにも行けなかった、という子はいないんです、正味。

で、じゃあ、この子達、僕の教室で勉強をした子達は、大手の教室に行っていたら、もっともっとずっとすごい学校群に進学していたのか、といえば、きっとそんなことないと思うのです。全員。きっと、結果は同等か、場合によっては過度な負荷により潰れてやめていた可能性の方が高いと思うのです。(第一、うちは、大手を辞めてきている子がそれなりにいます)

 

だったら、勉強時間は、半分でいいのではないかと思うのです。

半分で同じ成果で出るなら、半分の方が断然いいじゃないですか。

 

じゃあ、なぜ、大手はそんなにたくさんの授業をするの?テストをするの?

 

それは簡単です。たくさん授業を受けさせれば、その分塾としては儲かるからです。

夏休みに10万かけて勉強合宿に泊まり込みで4泊5日でいく。その4泊5日の勉強、家で1日2時間で済むと思いませんか?もしそうだとしたら、行かせますか? 済むんですよ。いや、それよりもずっといいかもしれない。だって、合宿なんて、結局学年みんな同じことやってるんです。気合入れて。だけど、勉強は、一人一人状況が違う訳ですから、目的も現状も、だったら、その状況に合わせた学習プランをこなした方が、効果が出やすいのは、当たり前の当たり前です。

でも、なんでみんなで合宿に行くのか。建前はいろいろあります。でも、塾の本音は「ビジネスだから」ということです。

 

そんな中学受験業界に、小石を投げつけてみたいと思って書いてみました。

なにぶん、教室なんて微々たるものですから、エビデンスや実証性には乏しいです。でも、「それでいいんだよね、やっぱり」と思ってもらえる部分は多いと思います。

 

1章ー中学受験の現場の分析。SAPIX1強です。

2章ー中学受験の勉強は、全部やらないといけないのか?そんなことはないです。

3章ー本当に、こんなにたくさんの勉強時間が必要か?

4章ー勉強時間を半分にするロジックとメソッド

5章ー学年ごとの準備の仕方。年長さんから「魔の5年生」まで

 

というよう内容です。

お手にとっていただければ嬉しいです。

 

 

 

世界が、日本が未知のウイルスに遭遇し受難の時を迎えております。

ここ日本では、3月2日より全国の学校が一斉に休校するという決断を国のTOPがしました。

 

今回のウイルス禍に際して、

世界が、そして私たち日本が採った意思決定がどういう結果をもたらすのか、

これについては私たちはわかりません。

しかし、私たち大人は、子供から学びの場を取り上げてでも、国を守りたい、という意思決定をしたわけです。

その判断の是非については歴史の審判を仰ぐことになるでしょう。

 

しかるに、全国に約1200万といる学生の皆さん。

たとえどんな困難があろうと、どんな制約があろうと、どんな環境であろうと、

私たち人間は、学ぶことができます。

たとえ、戦争の空襲の下であっても、野原に座布団を引き、教科書をもてば学ぶことができます。

たとえ、ウイルスによって国が混乱していようとも、学校がなかろうとも、

ITの発達した今、みなさんが学ぶ手段やツールはいくらでもあります。

 

いま、私たちがもっともしてはいけないことは、

この困難に際し、向上心をくじかれ、負け犬となることです。

心が萎縮し、考えることをやめ、追従的な存在に成り下がることです。

 

いま、私たちがすべきことは、

まずは、困難に際し、できることを最大限やることです。

ご家庭を支えることが必要な人もいるでしょう、普段とは違う環境に晒される人もいるでしょう。

やりたいことができなくて、苦しい思いをする人もいるでしょう。

 

そんなすべての人が、それでもなお、やはり、

自分たちの将来のために、そしてこの日本、世界のために、

今こそ、勉強をして欲しい、学び続けて欲しい、と思います。

 

困難や危機を迎えて、それでもなお向上心をももちづづけること、

これこそが、困難に打ち克ち、人間が人間らしい世界を構築する所以でしょう。

動物たちにはできない、人間だけが天から与えられた能力でしょう。

 

 

皆さん、今こそ、勉強しましょう。新しいことを学び、知り、自分を高めようではないですか。

たとえ、そこにどんな制約があっても、この思いを灯を消すことはできません。

僕は、そのためにできることを、考え続けたいと思います。

 

明日から東京都や神奈川県の主だった学校では、中学受験の本番を迎えます。ここまでの数年間の取り組み、努力の成果がここに結実します。

 

もう、前日ですから、今更ジタバタして知識を詰め込んでいくと言うよりも、しっかりとこれまでしてきたことの振り返り、自信を深め、体調を整え、本番に向かう、そんなタイミングです。

 


が、最後まで、1点でも多く取りたいのがみんなの本音。

受験前日の今からできる、最後の取り組みをご紹介したいと思います。

 

まず、前提となる考え方として、

 

得点 = 保有能力 ×    発揮能力

 

だと言うことです。

保有能力というのは、これまでに勉強してきたことの積み重ねの結果です。知識であったり、技能であったり、ですね。この積み重ねを実際のところ試験をするわけです。

しかし、では当日の得点は保有能力の高い人が勝つのか、といえばそうではないです。当日の得点力は、保有能力に、その力をいかに発揮できるか、発揮能力の掛け算になるからです。

実際のところ、どんなに力が備わっていても、当日インフルエンザにかかってしまい、39度に迫る高熱で、別室受験させてもらったけれど、頭も朦朧として全然できなかった、ということはままあります。

ですから、この「本番における発揮能力を高める」ことができれば、今からでも得点力、得点は変わってくる可能性があります。

保有能力はもはや大きくは変わりませんが、発揮能力は大きく変わります。

そのためのチェックポイントをご紹介したいと思います。

 

 

1)試験時間の4時間前までに起きる

 

できれば、試験の始まる4時間前までにおきましょう。難しければ3時間でもいいです。人間の脳は、起きてから4時間程度経たないと100%稼働しない、といわれております。ゆとりを持って、しっかりと早起きしていきましょう。

 

2)試験の前にすべきことを決めておく

 

試験の前に緊張するのは皆同じです。ですから、試験の前に自分がどういう風に過ごすか、そのルーティングを決めておきましょう。なんでもいいでしょう。決めておくことが大事です。候補は、「瞑想するー集中して何もみない」「各教科、直前に見るものを決めておき、それを確認する」「トイレに行く(意外と体を動かすと、落ち着く人もいるようです)」

 

3)周りに3人、自分の方が頭の良さそうに見える人を見つける

 

試験会場では、どうしても周りがみんな賢そうに見えます。ですから、会場内を見渡し、「あ、この子には勝てそう」という人を3人見つけましょう。根拠なんていりません。なんとなくでいいです。倍率が3倍程度ならば、これができれば、確率論的には、合格したようなものです!

 

4)会場でつるんでいる大手塾仲間を見下せ

 

ちょっと過激な言葉ですが、試験会場に行くと、訳知り顔で集まって、昨日のどこそこの受験がどうで、明日がどうで、などと集まって得意げに話をしている一群が必ずあります。基本的には、大手塾の同じ教室の仲間です。そういう人たちを見ると、自分が孤独で、ちっぽけで、傍流の人に見えます。

しかし現実は違います。試験会場、戦場にまできて、身内とぺちゃくちゃ喋っているような人は、そもそもが、メンタルが弱く、本番に力を発揮しにくいタイプです。弱いから、だから、集まって徒党を組んでいるわけです。

そういう人たちを見たら「勝った」と思いましょう。

 

5)自分が「難しい」「できない」と思った時は、100%みんなそう思っている

 

同じ学校を受けにくる子は、基本的には学力的にはみなドングリです。だから、自分が「この教科は例年と違って難しい!」と思ったならば、それは、みんなが感じていることです。

ですから、難しい、できなかった教科はみんなができていないわけです。しかし、それに対して、「あーどうしよう。もう無理だ」と思うか、「大丈夫、みんな同じだ。自分の力は出せた」と思い、ポジティブに次に向かうか、ではとてつもない大きな差になります。

 

6)最後の1分、1問までこだわりぬこう

 

300人が受験すれば、合格不合格のラインの前後10点くらいに(300点満点の試験として)100人前後はいるでしょう。もっといるかもしれません。なぜならば、同じ学校を受ける子たちの学力は、大きな目で見れば、みんな似たり寄ったりだからです。

ということは、この1問、この1つの計算ミス、この1つの国語の選択肢の粘り、その5点で、順位は50番ぐらい変わる可能性が来ます。それにより、合格と不合格のラインを跨ぐ可能性が大いにあります。

勝者は、最後のその1分、1問まで諦めずに、やり抜いた人、です。

 

7)1教科できなかった教科があっても、動じない

 

大体4教科の試験を受けて、全教科「よっしゃ、完璧だ!」なんてことはほとんどありませんよね。過去問をやってもそうなはずです。ある年度の問題、4教科とも全部合格平均点を大きく超えて揃った、なんていうことは滅多にありません。

出来の良かった教科、そうでない教科があって試験です。ですから「できなかった」教科があっても、それに気持ちを引きずられてしまわないように。できる教科、そうでない教科あるのです。それでいいです。でも、できない教科があって、それに引きずられて「もうダメだ」と思って、次の教科がグタグタになると、これは負けコースになります。

1つくらいできない教科があって当然です。そう強く思っていきましょう。

 

8)不合格の次にどう向かうか、が大事

 

受験は、本質的には、当日に「競う」ものではないです。競っているのは、そこまでの学習の様子を競っているわけです。ですから、そこまでの力量があり、問題があり、受ける人の一群が決まっているならば、もうあなたの合否は、試験を受ける前から決まっています。

そういう中で、合格するための受験プランが用意されているはずです。

そこには、もしもどこかが受からなくとも、どこかは大丈夫だろう、というような戦略もあるでしょう。そういういろいろなケースを考えているはずです。

ですから、よしんば初日に「不合格」を見たとしても、それは、想定の範囲内のことであるはずです。

しかし、どうしても子供は「不合格」を見ると、気持ちが萎えます。落ち込みます。でも、そこを「勝負は時の運、絶対に次は大丈夫だ」と強く思い、次に迎えるか、初日の夜から次の日の朝が大事になります。

確率論的に、全部落ちる、というプランは多くのケースで組んでいないはずです。ですから、たとえ不運にも不合格を見たとしたら、次にはきっと「幸運にも」合格することもあります。不合格を見ても、断固として弱気にならず強気で向かう。この気持ちでいきましょう。

 

9)運をよくしよう!

 

最後は運が大事です。どんなに勉強しても、たまたま、自分がど忘れしたことばかりが出るかもしれません。あるいはその逆もあるかもしれません。一発勝負のペーパー試験はどこまで行ってもそのような、運不運の要素はあります。

しかし、運は、非科学的なものではありません。科学的な、あるいは合理的なアプローチで運をよくすることができます。一番は、「たくさんの練習を積む」ことで、不運を減らすことができるわけですが、それ以外のアプローチをいくつか挙げておきます。

・日頃の行いを正す

・規則多々しい生活をする

・周りへの感謝の気持ちと協力を忘れない

・優しい態度で接する

・ポジティブなここで過ごす

・自分よりも、誰かのことを優先する

などです。

 

10)ご両親へ(あるいはお子様への)の感謝の気持ちを伝える

 

受験はご家庭とお子様とのタッグ戦です。お互いが最大のパートナーです。子供にとっては親御さんが、親御さんにとってはお子様がいたからこそ、頑張ったからこそ今があります。

ぜひ、受験前に「今まで支えてくれありがとう」であったり、「今まで頑張ってありがとう」などの感謝の気持ちを伝えてください。家族の力が結集されること、これ以上のパワーはありません!

 

 

特に10番目は、是非とも再確認して欲しいところです。

 

体に気をつけて、みなさんがむばりましょう!

 

11月から新しい教室を開校することになりました。今ある2教室と同様に、西武新宿線の上井草駅の目の前です。徒歩30秒くらいです。

 

今回は「中学受験の勉強時間を半分にする」と言うテーマを掲げた、中学受験の準備のための専門塾です。20坪程度の小さな教室ですが、これまで自分の教室を運営してきての思いを、たっぷりたっぷり込めました。

 

販促も基本はしませんし、宣伝もほぼなしでサイレントで開業していきます。現状は他にはそんなに類のないタイプの教室になると思います。地域限定ですが、もしこのようなコンセプトにご関心のある方がいらっしゃいましたら、是非ご紹介いただければ、と思っております。

 

以下に、かなり長文ですが、この教室への思いの「イントロ」部分だけ記載しますので、お時間のある方はお読みいただければ幸いです。

 

HPはこちら

https://chugaku.g-kobo.co.jp/

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「二刀流は実現する」

 

3年前のお正月明けにメールで問い合わせがあり、とある地元の小学4年生(新5年生)と面談をさせていただきました。


 I君は地元の小学校に通っており、3年生から中学受験の大手塾Sに通塾し中学受験を目指していました。他方で、大手の水泳クラブの選手コースに2年生から属しており、こちらの方は本気でオリンピックを目指すべく、現在はジュニアオリンピックの候補を目指して日々練習に励んでいます。朝練はほぼ毎日、午後も週3回は水泳に通い、週末には大会に行くことも多いです。


 大手塾Sも4年生のうちは基本的には週2日の通塾で4教科対応しており、水泳と合わせるとほぼ平日が埋まる形になりますが、なんとかこなしていけないことはない、という状況でした。組み分けも一番上のコースには行けないけれど、その一歩二歩手前あたりで推移しており、決して低迷している、という様子でもありません。ちなみにご家庭の希望は、水泳はクラブでこのままがっつりやっていくので、中高は出来れば大学の、それもMarch以上の付属に入れたい、というところでした。

 

 ところが、12月の冬期講習前に大手塾Sの先生との面談にて、「このまま水泳と勉強を両方やって行くのは難しい。志望している学校を確実にするには、水泳の時間を減らすことが必要です」と言われたそうです。


 そもそもの発端は、水泳の曜日と塾の5年の曜日が、どうしても調整つかない、なんとかならないか、というところからのようですが、子供本人は、水泳と勉強では天秤にかけようもなく、水泳をやめる、削ると、という選択肢は全くない、だったら塾をやめる、が一択のようでしたが、親御さんは、そこまでは割り切れないようでした。やっぱり中学受験の大手塾Sは現在は一強、と言っていい存在ですので。周りの親御さんからも「S塾をやめて、その後うまく言った人はいない」みたいなことは結構囁かれているそうでした。

 そこで、どうしたらよいか、と思案をされていました。

 

 水泳のコーチには、相談しても歯牙にもかからなくて、今がとにかく大事なときなんですから、勉強なんて後にしてください、くらいの勢い、ということでした。

 

 水泳をやめなければ、水泳でジュニアオリンピック目指す、それを諦めなければ、受験勉強はできないのか?ほかに選択肢はないのだろうか?

 

ということで、たまたま学校の知り合いが私たちのところに通っていたので、話を聞きに来た、というところでした。

 

 大手の中学受験塾に行くと、その説明会では未だに「受験で成功したいならば、4年(あるいはもっと前)から受験中心の体制にしないといけない」とか「習い事はせめて、週1回のものを1つまでにしてください。それも6年生になったらやめてください」とかいうレベルの話を、臆せず堂々と、さもそれが当然、というように話をされているところが多いです。SだろうがNだろうがWだろうがYだろうが、地元の気鋭の塾だろうが、概ねその辺りは似たり寄ったりです。どこに言ってもそう話されると、親御さんとしては、「そういうものなのか」と思わざるを得ないでしょう。ある種の洗脳、と言ってもいいかもしれません。

 

 しかし、本当にそうなのでしょうか?


 本当に、4年、場合によっては3年から大手塾に通って、受験中心の生活をしないと、中学受験は成功しないのでしょうか?

 

 そんなことは、断じてない、と思うのです。


 それは、極論すれば、大手塾が儲かるための方便だ、と思っています。小学5年生に毎週テストを受けさせて偏差値出して、順位出して、週に3回、1日3コマくらいの授業をして、宿題が1日2時間勉強しても終わらないくらい出て、しかもやっていることは中学生が勉強する理科や社会よりも詳しいことをやっていたりして、そういう勉強をこなしきらないと、ついていかないと、受験には成功しない、というのは、大手塾さんの刷り込みです。極論すれば。

 

 そもそもです。


 高校受験をするのに、中学1年生の頃から毎日受験中心の勉強、生活なんてやりきれるのか?と言われれば、まあ、なかなかできないですよね。実際のところ私たちは中学生も高校生も見るわけですが、そのようなストイックな取り組みができるのは、ごくごく一部のまれな人、だけです。というよりも、たとえ地域のTOP高校を目指すにしても、そこまでの取組は必要ありません。部活もしっかりやり、学校のイベントもしっかりやり、しかるべき時期が来たら受験シフトに移行する。その時期は人によって差はあるけれども、概ね3年になってから、です。小4から受験準備をする、というのはその中1から受験勉強シフトで行く、ということです。そういう、まれな人しかできないことを、小学4年生とか5年生に強いようとしているわけで、それは親御さんは大変なわけです。言えば、それを強いられている子供達は、本当に大変です。

 

 小学校のうちは、もっともっとやっておいて欲しいことがいっぱいあります。受験勉強なんかよりも。水泳の選手を目指すのも素晴らしいでしょう。野球に打ち込むのもいい。読書が大好きな子もいる、いろんな習い事で可能性を探るのもいいでしょう。そもそも、たくさんたくさん友達と遊ぶべきだし、現代ならば、ゲームだって決してネガティブな要素だけではないでしょう。そこから得れる、人生の原体験というのは、実にたくさんあるはずです。その原体験が、将来の一人一人の核心を築いて行くと思います。その原体験が、受験勉強一色、というのは、僕はやはり好ましくないと思っています。

 

 だから、中学受験の勉強は、今より圧倒的に短くすべきなのだ、と思っています。これは、しなければならない、と思っています。ベターではなくて、マスト、ということです。もし、本当に、中学受験の勉強時間が半分で良くなれば、大手塾は半分吹っ飛びますが、これまで受験にチャレンジできなかった人たちもチャレンジできる可能性が生まれますし、金銭的な面でも、塾に対する費用を大きく下げることができれば、今まで受験しにくかった層も、私立の中学を視野に入れることができる人たちがいます。なぜならば、私立中学は入った後には、色々と補助が受けられる可能性がありますが、入るための塾代には公的な補助はありません。

 

 お問い合わせをいただいた水泳少年の例で言えば、勉強と水泳、この2つの刀は両方持つべきです。野球界においては、大谷選手が投手と打者の二刀流でアメリカで旋風を巻き起こしましたが、この例は究極としても、二刀流は、「やると決めれば、必ずできる」ものです。たかだか受験勉強のために、持てる、研げる、もう一つの刀を捨てるのは、なんといってももったいない。もっと言えば、受験勉強も、習い事も、スポーツも、遊びも、みんなみんなやれるだけ、めいいっぱいやって欲しいわけです。小学校のうちは。そうしながら、受験準備をするというのは、「必ずできる」選択肢です。

 

 二刀流は目指すべきです。勉強と◯◯の。それがこれからの中学受験のスタンダードになるべきです。そうなるために、中学受験の勉強時間は、今の大手さんの提示するものの半分以下にして行く、その方策を提示していきたいと思います。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このシリーズでは、「韓非子 ビギナーズ・クラシック 中国の古典」(角川ソフィア文庫)をもとにして、韓非子の内容からフレーズを抜粋して注釈をつけていきたいと思います。

基本スタンスは、聖賢におもねらず、のスタンスで、迎合、鵜呑みにせず、自分なりの解釈に努めていきます。

 

 

20)

 

君主の正妻である后妃・夫人や跡継ぎである太子の私党が形成されると、彼等は君主が死ぬことを望むのである。君主が死ななければ自分たちの権勢が重くならないからである。心中では君主を憎んでいるのではないのである。自分たちの利益が君主が死ぬことに在るからなのである。だから君主は肉親の情愛があるからと油断していてはならず、自分が死ぬことを利益とみなしているものに注意を払わなければならない。

 

歴史はこの文章の正しさを物語っています。洋の東西や古今を問わず、現実に君主の最大の敵は身内であることが多いわけです。

 

ここで重要なのは、「君主を憎んでいるわけではなく、君主が死ぬと自分たちの利益になる」という点です。だから、肉親に対して愛情があるから、愛情をかけているからと言って油断してはいけない、自分が死ねば利益になる、そういう人たちは、妻子であれ注意しろ、ということです。この後にはさらに、こうも言っています。

 

「禍の起こる原因は、実は君主の愛している人物から起こる」

 

人間のすべての活動の動機を、「自分に対して利益があるかどうか」で判断をする、だから君主からの恩寵というのは、利用するべきものであれ、本質的にその人を動かすものではない、ということです。

 

この章ではもう一つ大事な視点があって、それは「私党が形成される」という点でしょう。

妻子のうちでも、妻にはそもそも自分とは関係のない親族がいますから私党を形成しやすく、子供も、その養育は多くの場合妻や、妻の親族が中心となって面倒を見ているので私党を形成しやすい、ということです。

日本の歴史では、この私党という立ち位置を大いに利用して権勢をほしいままにしてきた代表が、「外戚」という存在でしょう。代表格は平安時代の摂関政治の藤原氏になるでしょう。当時は特に、貴族の子は妻の実家で面倒を見る、ということが多かったですから、このように実の父以上に外戚である藤原氏などが次の天皇に対して大きな影響力を持つようになりました。

ただ、日本の場合は、なぜか天皇家を廃する、ということにならないところが特殊ですが。。

 

この私党を組む、という視点は重要で、現代の組織においても、力のある部下ほど、TOPが目を掛ける人にほど、その下に群がってくる人たちがいます。そして、いつしか、組織はTOPである自分よりも、その彼彼女のグループが大きな力を持ってしまっている、ということがあります。そのような状態になると、TOPとして組織をコントロールするのは難しくなるわけで、自分が大事にする部下、力のある部下に対して、どのように接するか、という視点はマネジメントにおいて重要なテーマになるでしょう。

 

力があるから、大事だから、可愛いから、ただただ引き立てる、目を掛ける、そればかりでは知らぬ間に自分を苦しめている可能性がある、ということですね。

 

 

21)

 

遠く世間の出来事にも耳を澄まし、近くは身の回りに目を凝らして情報を得、それによって内(妻や子)や外(臣下)の過失をはっきりさせる。

 

妻子や臣下が私党を組むことに対して君主はどのように対処するか、実に細々しいことを韓非子は書きます。この前には「毒を盛られる可能性があるので、通常の食事以外は食べない」とかまで言っています。

 

その中でも、ここに挙げた点は大事な視点になります。

 

それは、愛する妻子であろうが寵愛する部下であろうが、過失ははっきりさせる、ということです。過失をうやむやにしない、いや、他の人よりもきちんと明確にする。妻子だからと言って、法の規定を曲げて優遇するようなことは一切しない、彼らが法を犯すならば、率先して吊るし上げていく、そういう姿勢を断固として見せることにより、臣下に対して「君主からの寵愛よりも、法の方が重要だ」ということをきちんと知らしめる、ということです。

 

この、法が大事だ、ということを強く知らしめるのに、自分の妻子を罰する以上の効果はないでしょう。妻子ですら罰せられるのならば、民衆はきっと自分が法を犯したならば、逃げることは決してできない、と思うでしょう。

 

現実問題として、現代の政治においても、企業経営においてもこの点はゆるゆるであることが多いです。身内に甘く、民衆に厳しい、という姿勢では人々が法やルールを大事にしよう、という心は生まれてきません。

 

蜀の孔明には「泣いて馬謖を斬る」という出来事がありますが、まさにこのような視点から、この一事の重要さがうかがわれると思います。

このシリーズでは、「韓非子 ビギナーズ・クラシック 中国の古典」(角川ソフィア文庫)をもとにして、韓非子の内容からフレーズを抜粋して注釈をつけていきたいと思います。

基本スタンスは、聖賢におもねらず、のスタンスで、迎合、鵜呑みにせず、自分なりの解釈に努めていきます。

 

 

18)

 

粗末な食物を嫌って百日の間というもの一度も食事をせずに、良質の穀物や肉が手に入るのを待っているならば、飢えている者は待ちきれずに死ぬ

 

単純な話で、世の中が乱れていて、それを正して治めてくれるそのような人を待っていては人々は飢え死にしてしまう、だから、平均的な君主でも平均的に国を治められる、そういう支配体制を作っていこう、ということです。

 

これはもっともなことではあるのですが、当然に現代においてこれをやろうと思うと、技術の進化や高まりのスピードが速く、昨日までの体制でい続けていい時間が極めて短い、という世の中ではすぐに廃れていくだろう、と思われます。

 

終身雇用、年功序列、というような制度はまさに雇用関係においてはここで韓非子がいうような「誰でも統治できる仕組み」であったと言っていいわけですが、それをやり続けていては、現代の企業は立ちいかなくなっています。立ちいかなくなっていることは、もうほとんどの人がわかっているのに、かと言って劇的に変化をすることができないのは、人間は、「今飢えていなければ変革を本質的に望まない」ものだからでしょう。

 

上記の雇用制度が機能するのは、高度経済成長期のような、毎年成長が見込まれることが前提なわけですが、その前提が崩れても、人間はその居心地の良い制度から、労使共に思い切って脱却できないでいるわけです。

 

つまり、逆説的に言えば、ここで述べれられていることの前提が現在は崩れているわけですから、逆が真となります。平均的な君主でも治められるような制度を作れば、国は滅びる、ということですね。

 

 

19)

 

君主にとっての弊害は、人を信用することにある

 

韓非子の真骨頂と言っていい言葉でしょう。このように言い切れるところが彼の思想家としての矜持だと思います。

 

韓非子は、その中でも、もっとも信用してはいけないのは、自分の妻子だと次に続けます。自分が妻子を信用し、そのことが明らかであれば、邪な臣下は、妻や子供に取り入って、自分の野心を実現しようとするからだ、ということです。

そしてその後に、そのことを裏付ける事例をいくつか挙げていきます。

 

このテーマは、どうしてもこうして書いていても、だって、とか、しかし、と言いたくなります。それが普通の人の甘さであり、弱さなんだ、と韓非子は強烈に言っているように見えます。

 

国家運営であれ、企業統治であれ、チーム運営であれなんであれ、自分の妻子であろうが部下であろうが、信用してはいけないのだ、それが原理原則だ、疑う余地はない、ということです。その確信が、君主としての強さであり、芯であり、そして、君主に対して付け入る隙をなくし、自分の私心を実現しようという邪な心を臣下に芽生えさせない、大原則だ、と強く語りかけています。

 

しかし、人はここまでの強さを持つことができるのでしょうか。

 

特に、儒教文化が文化の前提にある東アジアの国々では、逆に自分が栄達するならば、一族を重用することが逆に、当然のことだ、という文化すらあります。栄達をして家族を重用しないならば、礼を失し仁義にもとる、というところです。そんな中で、妻子すら信用するな、その心を見せるのが国を乱す、というのです。そんな強さを持てるのだろうか、と思うのです。

 

僕は持てない、と思うのです。

 

しかし、それを、問答無用でもて、というのです。

 

僕は、繰り返しですが、ここに韓非子の思想家としての揺るぎなさ、を感じます。

この提言については、僕は全面的には入れることができません。是とできません。かと言って、アンチテーゼになるような反論もできません。そんなレベルでは思想家として語ることはできない、ということです。断言をしなければいけない、断固たる意志で、揺るぎない思想を断言しなければならない。どんな、だって、も、しかし、も寄せ付けない断言をしなければいけない。それが揺るぎない思想の柱である、と感じます。

 

この件の是非とは別に、僕はこの韓非子の断固たる姿勢に大いに感銘を受けます。

 

このシリーズでは、「韓非子 ビギナーズ・クラシック 中国の古典」(角川ソフィア文庫)をもとにして、韓非子の内容からフレーズを抜粋して注釈をつけていきたいと思います。

基本スタンスは、聖賢におもねらず、のスタンスで、迎合、鵜呑みにせず、自分なりの解釈に努めていきます。

 

 

16)「矛盾」の話の続き

 

そもそも賢明であるということの本質は、どのような力もこの賢明さを抑圧できないという点にある。そして権勢の本質はどのような相手であろうとすべて抑圧するという点にある。

 

実はこの章のこのフレーズの直前に、すべてのものを突き通す矛と、すべてのものを防ぐ盾、つまり矛盾の話が登場します。

この矛盾の話は、実はこの「君主が賢明である事と、権勢(勢い)を持つことが矛盾していることで、ありえないことだ」ということを証明するための例として使われています。

 

韓非子はこの前提として、この前段で、「賢明であることよりも、権勢を持つことの方が、君主にとっては重要だ」と言っています。

そして、この矛盾の話になるわけですね。つまり、君主にとって、権勢を保持する事と、自らが賢明であることは両立しえないことである。そして、重要なのは、それは人間の力の及ばない自然の「勢」ではなくて、人間の力の及びうる権勢=人間の力で制定される法や術だ、と言っているわけです。

 

つまり、端的に言えば、君主は自らを賢明であろうとしても、全てのことを知り把握し掌握し理解し適切に判断するなどということはな無理なのだから、ルールを決めてそれをしっかり運用していく方がはるかに良いし、イージーでブレがない、ということです。

 

非常にシステマティックな発想で、君主のための話でありながら、言葉を選ばずに言えば「あんたがちょこちょこ賢くなろうとしたところで、所詮は大して大同小異なのだから、そんな自分の頭に頼らずに、国のルールを決め、それを徹底して運用することに励んだ方がずっといい」ということを言ってるわけです。

僕が君主ならば、正直ムッとしますね、きっと。

 

ここで大事なところは、君主というけど、基本的にはみんな普通の人、という前提を敷いているところでしょう。冷徹ですね。君主の大半は、自分のことを特別な存在だ、賢いし格好いい、くらいに思っているわけですが、そんなことはないよ、みんな普通だよ、と言っているわけです。

 

ただ、こういう思考停止の発想というのは、今の日本の官僚機構を見ると、似たようなものを感じます。

一度ルールを作れば、それを徹底運用することで、そこに権威が生まれる、だって、とかしかし、とかはいうまでもなく、そこにイノベーションを起こすような考えなど、悪でしかない、というベースの発想は、まさにこの韓非子のいうところと等しいです。

 

つまり逆説的に見ればこういうことが言えます。

 

「決められた法や術を徹底してとりおこなえば、それを執り行っている人は、絶大な力を持つ」ということです。

この数学的に言えば、逆、は真、でしょう。となれば、このもとの命題、

「絶大な権力を持つならば、法や術を徹底してとりおこうなうべきだ」

というものの、対偶は、

「決められた法や術をいい加減に運用するならば(柔軟に運用するならば)、それを行なっている人の権力は地に落ちる」

というのはどうでしょうか。

 

これは、真とは言えないのではないかと思います。

 

チームのルールや制度の運用がファジーで、柔軟で、イノベーティブであるからと言って、その組織のリーダーの権威が低いかと言えば、そんなことはないでしょう。そうでない組織はいくらでもあります。もちろん、そのリーダーには、他の周りを引きつける特徴上がるわけですが、ここでいうような特徴(先見の明がある、とか、優れた技能がある、など)というのは、ここでいう「賢明」に当たるでしょうから、そのように考えていくと、元の命題、

 

絶大な力を持つならば、法や術を徹底すれば良い

 

というのは普遍性のある真理、とは言い切れないでしょう。

 

 

このシリーズでは、「韓非子 ビギナーズ・クラシック 中国の古典」(角川ソフィア文庫)をもとにして、韓非子の内容からフレーズを抜粋して注釈をつけていきたいと思います。

 

基本スタンスは、聖賢におもねらず、のスタンスで、迎合、鵜呑みにせず、自分なりの解釈に努めていきます。

 

 

14)鉄面皮の勧め

 

自分の好みを取り去り嫌悪の感情を取り去って表情に出さなければ、臣下たちは彼等の本来の姿を現わす

 

この言葉は韓非子の言葉の中で最も重たいものの1つではないでしょうか。この鉄面皮とも呼べるようなマネジメントこそ、君主としての要諦である、と彼は言います。

 

そもそも、君主や組織のTOPというのは、そこにもたらされる情報量が部下のそれよりも多く、肩にかかる意思決定の重さも大きいです。大きな決断をしようとすれば、大きな感情の動きがるでしょうし、何かよくないことが起こった時のその規模は、部下や臣下が受けるそれとは違った重みがあり、感情的にダメージを受けるその幅も大きいはずです。

 

ですから、組織のTOPが周りから見れば、時に非常に感情の起伏が大きく見えるものです。それが一般的なありようでしょう。

 

しかし韓非子は、それこそ、君主としての資格はない、くらいの勢いでこれを否定します。

 

自分が持っている感情を部下に汲み取られるようでは、とても部下の本性を見出せない。なぜならば、彼らは自分の意に叶うように動くだろうから。それは、決して君主のためではなく、「自分の利益をのために」そうするわけです。

 

だから、自分の嫌悪の感情を取り去り、一切部下に見せるな、と。そうすれば、部下たちは君主の気持ちを汲み取ることができず、本来の姿を表す、といっています。

 

しかし、当然ですが、現代のリーダーは、これとは反対の側面を求められています。人間的であり、多様なコミュニケーションを促進するために、自分の感情を上手に打ち出し、利用することこそ、現代のリーダーには必要でしょう。

 

鉄面皮のような無感情、無表情のリーダーが大きく求められているとは思えません。

 

一方で、13)と同様ですが、それでいながらも、リーダーは、部下にも周辺にも、本音を、本当の感情を汲み取られてはいけない、見透かされてはいけない、最終的には「本当のところはどう考えているのかわからない」という人物像を作り上げてくことも重要でしょう。そして、そのためには、時に意図して、自分の意図と反するような意思決定や、感情の表現を作っていく、そういう技巧も必要かと思います。

 

誠実で嘘がなく、何事もにも真摯なだけのリーダーなど、なんの役にも立たない、というのも現実でしょう。なぜならば、そのようなリーダーは、確かに信頼の厚いリーダーかもしれませんが、簡単に利用できるリーダーでもあるからです。どこかで、「怖い、何を考えているかわからない」という人物像は、現代においてリーダーの重要な要素の1つであると考えています。

 

15)君主の七術

 

①いろいろな人の言行を照らし合わせてみる。

②必罰をもって威厳を明らかにする。

③信賞をもって能力を尽くさせる。

④いちいち臣下の言を聴き、その結果が言に一致することを求める。

⑤故意に疑わしい命令を出したり、逆の命令を出したりして臣下を惑わせる。

⑥知っていることを知らないふりをして臣下に尋ねてみる。

⑦誉めるべきものを反対に謗ったり、憎む相手を可愛がったりする。

 

これはなかなかしびれますね。①から④まではすでに触れてきたところですが、⑤ー⑦のような視点や行動は、日本人にはあまりしっくりこない、どちらかというと嫌がられる視点のように見えます。

 

例えば、⑤のようなケースを考えてみましょう。

今、とある組織に、A社からの買収話が持ち上がっています。社長は概ねこの買収を拒否しようと思っています。しかし、社内は割れています。更に言えば、社内での会議などの情報が相手に漏れているようにも思います。

 

そこで、一旦、社長は意思決定として、買収を受ける方向で考えている、ということを伝えます。そうすると、これまで中立でいたように見えたある役員が、急に積極的に買収派として名乗りを上げ、たくさんの相手方の情報を持ち出してきました。その様子を見て、社長はこの役員を徹底的に調べたところ、彼は買収相手と内通をしていることがわかりました。

それが判明したのちに、彼を役員から外すことにしました。

 

説明するまでもなく、この役員は慎重に慎重にことを運んできたはずでしたが、そのタガを緩めることになり、結果として本性を、本当の姿を暴き出すことができた、ということです。

 

これらの考え方は外交などでも同様のことが言え、相手を陽動させる、という取り組み方は、日本人には非常に馴染みの薄い考え方であるように見えます。しかしながら、立場が上になればなるほど、このような姿勢を「扱える」というのは大事なポイントになるように思います。