【天地をつなぎ時空を超えるー赤塚高仁さんのすごいお話ー】 | へそ道的☆人生が”ほっ”として”いいふうに”なる☆ブログ

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先日facebookに投稿したところ、
反響がすごかったのでブログでもシェアさせていただきます^^

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天地をつなぎ時空を超える

こういうことを信じられる自分が好きです。
と、いうか、どんどん確信になっていきます。

高校生の時、私は祖母の家で暮らしていたのですが、
その日、ふとんの中で本を読んでいました。

耳元で、ガシャン!と交通事故の映像が見えました。
歩道に立つ人に、バイクが直進し、人が飛ばされました。
時間は夜の8時45分。

私は、とっさに、その交通事故の映像を
そのバイクが人にぶつからず、
バイクだけが倒れて大事にいたらない映像に書き換えました。

というより、そんな書き換えができるのは知りませんから、
気づいたらそうしていました。

翌朝、祖母の家に来た母は、

「昨日、危なかった。
バイクが私に直進してきて、死ぬって思った。
そしたら、その部分にだけ、ガードレールがあって、
それにぶつかって倒れはってん。
ヘルメットだけ私にあたったけど、あのままやったら死んでた」

というのです。
バイクの人も大丈夫だったそうです。

母に時間を聞くと、
8時45分くらいだったのです。

そんなことを多くの人も経験あると思います。
時空を超えることはあります。

1/4の奇跡の映画は
未来に存在しているのはわかったから、
創れた映画なのですから・・・

ここから、本題ですが、

先日、赤塚さんがへそ道を受講してくださいました。
私に中山靖雄先生を紹介くださった恩人でもあります。

ですから、へそで生きることが私よりずっとご存知でありながら、
へそ道を受けてくださったのです。

赤塚さんが、受講後、

ワシのへそが言うねん

『「信じたら救われるなんて、チンケなことキリストは言わん。
そんな条件いらん。
信じようが、信じまいが 一方的に救う。

 そして、神様にホンマに信じられてることがわかる日がくる

そこから本気のお詫びと、感謝が湧く」と。。。。

 へそ道は、ホンマにすごいわ
ワシな、本気でへそ道の伝道者になる。
ヤマト人のへそに火をつけてまわろ・・・と。』

感動でした。

さらに、赤塚さんのへそ道の中での経験が、希望でした。

中山先生がおっしゃっていた、前生も含めてのお詫びの意味を、
じっくりと感じさせていただきました。

是非お読みください。
赤塚さんのメルマガより

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赤塚高仁メルマガ「ヤマト人への手紙」
       「第20回 生きてるだけですごいんだ!」

 中学生がいじめを苦にして自殺したと、今朝来た新聞に書いていました。

校長先生は「調査する」

教育委員会は「対策をとる」

でも、死んだ少年は帰ってきません。

いじめはいけない。

いじめは殺人です。

人の心を殺してはなりません。

 あるときユダヤの友だちが私に言いました。

「Mr.アカツカ、お前は日本のような危険な国に住んでて、怖くないのか?」と

ビックリしますよね、

日本人の誰に聞いても「日本は平和で安全、イスラエルは怖い国」と言うはずです。

私が彼にそう言うと、ユダヤの彼は、

「イスラエルは、建国以来4回の戦争をしてる。

死んだ兵士の数は23000人だ。

祖国を守ろうとして、敵と戦い死んだ英雄たちだ。

でも、お前の国では敵ではなく、同胞同士が殺しあう。

親と子、友だち同士・・・見も知らぬ同胞同士が殺しあう・・・何故だ?

 建国から60年で23000人の兵士が戦争で死んだ。

お前の国では、一年で30000人が自殺する。

戦争しているのはお前の国の方ではないのか。

 まるで魂の戦争だ・・・」

答えを失った私でした。

ユダヤの友からの指摘が、私に新しい視座を作ってくれました。

見えなかったものが見えるようになりました。

魚に水が見えないように、日本人に日本が見えないことがわかりました。

モーセの十戒の中に「殺すな」とありますが、

殺人の中でも自分を殺すのは最も重い罪なのです。

ですから、イスラエルでは自殺はほとんどあり得ません。

平和で安全で豊かだと思われている日本で、どうして毎年3万人を超える自殺者が出るのでしょう。

自殺とカウントされるのは遺書があった場合ですから、遺書のないものは「不審死」とされるそうです。

去年一年間の、わが国での不審死の数は20万人を超えているのです。

毎年、一つの街が消滅するほどの人たちが自ら命を絶ってゆく。

日本が平和だと誰が決めたのですか。

イスラエルが危険だと、どうして言えましょうか。

 中でも、わが国では子どもが自殺します。

夢と希望に満ちた、若き命、国家の希望の星である少年や少女が自殺します。

原因は「いじめ」

いじめは犯罪です。

いけないことです。

死んだ少年の声が私の胸に響くような気がします。

「おかあさん助けてって言えなかったんだ。

そのままのあなたでいいって言ってほしかったんだ」と。

・・・・

8歳といえば、小学校3年生でしょうか。

赤塚少年は、2月生まれだということもあって同学年では背も低く小さかった。

まだ気づいてはいませんでしたが、難聴で話がよく聞こえておらず、

学業の方も遅れ、運動も苦手な引っ込み思案な少年でした。

赤塚少年は、クラスの中でガキ大将的な男の子たちのことをかっこよく思い、

彼らと仲良くしたいと思っていました。

休みの日も、彼らと遊ぶのが楽しみでした。

彼らも、ちょっと奥手な赤塚少年の面倒をみるいい奴らでした。

彼らは、家庭的に少し問題があったり、お父さんが仕事をコロコロ変わるので小さなアパート住まいだったりしていましたが、

少年アカツカにとっては何の関係もないことでした。

とてもいい奴らでしたから。

Yくんのところに遊びに行くと、小さなアパートの冷蔵庫にいつもジュースがあって、

勝手に飲めるのを羨ましく思ったものです

ところが、あるとき赤塚少年の母親が、きつく命じます。

Yくん達と遊んではならない、と。

もっといいとこの子と、お付き合いしなさい。

母は、社会的に地位の高いと言われる職業の人たちの子どものグループに赤塚少年を連れて行きます。

その子たちの通っている塾に入れます。

そして、この子と遊んでやってと、その子たちに頼んだのでした。

放り込まれたそのグループで、赤塚少年はいじめに合うことになります。

詳細は書きませんが、壮絶ないじめの日々です。

しかし、親には言えません。

母が悲しむからです。

先生にも言えません、一方的にその子たちの味方でした。

先生から赤塚少年は毎日のように殴られました。

学校に行こうとすると、お腹が痛くなります。

休めません、母が心配するからです。

お母さんに好かれようと、必死に学校に通い続ける赤塚少年でした。

不登校にもなれず、

校長先生の息子、病院の院長の息子、銀行の頭取の息子たちのグループの中で、

いじめられても作り笑いをしながら、気を使いながら、

媚を売りながら生き延びていた赤塚少年でした。

夏休みになる前に、グループの中の一人、病院の院長の息子が言います。

「赤塚くん、僕の誕生会に来てもええよ。

カブト虫もとりにいくで、虫捕りの用意して。

待ち合わせは、三重会館のバス停、朝の何時」と。

家に帰って母にそう言うと、

「よかったねー!」と喜んでくれました。

どれだけねだっても買ってくれなかった昆虫採集用の網、一番いいものを百貨店で買ってくれました。

竹でできた竿を、継ぎ合わせると長くなるし、網も畳んであって背中に背負うと刀みたいでかっこいいのです。

赤塚少年は、嬉しくなって毎日何度も組み立ててはその日が来るのを指折り数えて待っていました。

「行ってきまーーす!!」

元気にバス停に向かう少年に嬉しそうに手を振る母。

夏休みの朝、虫とりが楽しみでわくわくして歩く、身長130センチの少年の背には少し大きすぎる竿のケースが揺れています。

バス停に着いて、誰もまだ来ていないので、少し早すぎたのかと思った赤塚少年でした。

腕時計など持っていませんし、携帯電話も夢の話のような時代のことです。

母からもらったバス代を握りしめ、何度も何度も時計とバスの時刻表を見直します。

行くべき先を表示したバスを何台見送っただろうか。

ひとりぼっちで待つバス停。

8歳の子供には、2時間は永遠の長さに思えました。

 「誰もおらんかった」

2時間経って家に帰った少年を母は叱ります。

「あんた何でそんなアホなん、みんなの言うことしっかり聞いてへんからや!
いまから送ってやるから、ちゃんと謝るんよ」

屠殺場に連れられてゆく羊は、こんな気持ちなのだろうか。

行きたくない場所にいくのは、辛いものです。

「○○ちゃん、ごめんなさいね。うちの子ぼんやりしてて」

と、言うと母は帰っていってしまいました。

その子の家に置いて行かれた少年アカツカに向ける彼らの眼差しは、いかにも邪魔者がきたというものであり、

歓迎するムードは針の先ほどもありませんでした。

待ち合わせの時間も嘘を言い、

待ちぼうけさせるのを楽しんで、自分たちだけ先に来てパーティをしていた彼らは、

アカツカ少年を誘ったことも忘れていたのかもしれません。

いじめ・・・無関心・・人の心は死にます。

骨の中にまで悲しさが刺さりました。

自分には愛される資格もない、生きていても仕方がない。

お母さん、助けて。

でも、そんなこと言えばお母さんが悲しむ。

お母さんの喜ぶことをする僕を、お母さんは好きなのだから。

食べ残したケーキを食べさせてもらい、メスのカブト虫を一匹もらってバスに乗って少年アカツカは、あのバス停に帰ってきました。

家に帰れない。

家に帰る道が、とても辛い。

そのときの少年アカツカの選択肢は、ふたつでした。

そのまま家出をするか、自殺をするか。

 ところで、我が親友ふーちゃんこと入江富美子さんが、「へそ道」を世界に広げておられる。

私は、ふーちゃんの「へそ道」が誕生する前から知っているし、「へそ道」の出版記念会は東京も大阪も出席させてもらいました。

でも、「へそ道」を受けたことはありませんでした。

私は、伊勢修養団の中山靖雄先生のご縁で、神宮の神嘗祭に参列させていただいて以来やまとこころのスイッチがオンになり、

「神話を体感する会」を主催させてもらってきました。

今年の12月で、9回を数えます。

1500回ほどある伊勢神宮の祭りの中でも、10月神嘗祭、6月と12月の月嘗祭は3節祭といって、最も重要なお祭りとされています。

人工的な明かりが消え、松明の火に照らされた神職のみなさまの先頭に天皇陛下のお姉さまであられる池田厚子様が歩まれます。

伊勢の神様との対話を奉観させていただくとき、私たちのやまとこころのスイッチがオンになってゆくのです。

夜の神宮の祭りには、全国から300人ほどしか入れてもらえません。

そこに毎年100名以上入れていただけるのですから、尊いご縁に感謝です。

「知る」のではなく、「感じる」ことの大切さを伝えてまいりました。

今年の6月、月嘗祭の「伊勢の風を感じる会」、主催を入江富美子さんにしていただくことになりました。

お互いに、やまとこころを伝える同士として一生、お役を果たさせてもらおうと話しています。

12月の会にも、入江富美子さん来られます。

ふーちゃんと、改めていろんな話をするようになり、

そんなこんなで、ついに私もふーちゃんの「へそ道」を受けることが叶いました。

私のログハウスで、一泊二日の学びが始まりました。

中山みどりさん、舩井勝仁さん、白駒妃登美さん・・・魂の兄弟姉妹とともに自分の深いところに降りてゆくのです。

 その中のセッションで、「インナーチャイルド」

というキーワードが出てきました。

インナーチャイルドは、自分の心の中に小さなときに傷ついたままの子どもがいて、

その子が、ずっと自分を守ろうとしがみついているってイメージでしょうか。

例えば、小さいころ一人で家で待っていて、お母さんにご飯を食べてもらおうとお茶碗にご飯をよそっていたとしましょう。

帰ってきたお母さんを喜ばせたい、褒められたいとワクワクして待っていたら、帰ってきたお母さんに、

「あんた、なにやってんの! ご飯出しっぱなしにして!!」と開口一番、叱られました。

その子は、

「ああ、自分はダメな子や。大事な人を困らせるから、勝手なことせんとこ」と思い込みます。

そして、その子はその人が大人になってもずっとそばにいて、何かしようとすると

「あかん!やめて」としがみつくのです。

傷ついた子どもがしがみつくのです。

命がけで、私を「守ろう」として。

もう傷つきたくない、そう叫びながら。

その、小さな子を探しに行きましょうというセッションです。

その子を探して、その子に「もう大丈夫」と言ってあげる。

「悲しい思いをさせてごめんね」

詫びる。

「本当にありがとう」

心からの感謝。

各自、それぞれ瞑想の時間となりました。

・・・その子にアドバイスしてはいけない・・

裁いてはいけない・・・その子は、わかって欲しいだけなのです、本当の気持ちを・・・

本当はいきたくなかった、本心はつきあいたくなかったあんな奴らと・・・

お母さんを悲しませたくなかった・・・けど、お母さんにも腹が立っていた・・・

 インナーチャイルドを探し始めると、その小さな子は、私にしがみついて
「有名な大学に行かないと、お母さんが悲しむよ」と言っていました。

高校時代、絵が大好きだった私は漫画家になりたかった。

「そんなもん、食べていかれへん。くだらんこと考えんと、有名大学にいきなさい。

将来つぶしがきくから」

 大学卒業をひかえ、音楽業界に進みたかった私は、渡辺プロダクションに内定しました。

でも、小さな子が、

「あかーーーん! 建築屋にならんとお母さんが悲しむーー」

と命がけでしがみついてきました。

ゼネコンを何社か面接受けて、飛島建設に入社することになり四国支店に配属され、サラリーマン生活を5年間送ったわけですが、

やがて鬱病になった私は、会社を辞め、自殺をし、3日後に目覚め、それから1ヶ月精神病院に入院したのでした。

本心を表に出すことはいけないことだ、

まわりの人によく思われていなければいけない、

地位や名誉のある人とつきあうことで自分の価値を認めてもらえる、

有名な人と知り合えば偉くなったように思われる、

自分には価値がないから、

だから、僕が命かけて守るんだ、僕を・・・いったいこの子は、どこで生まれたのか・・・

あ! この子だ。

バス停で泣いている、8歳のアカツカ少年だ。

発見した瞬間、私は思い出したのです。

あの日の少年がどうやって家に帰ったかを。

 バス停で途方に暮れて、自殺か、家出かとたたずんでいたアカツカ少年の前に一人のおじさんが現れました。

そのおじさんは、懐かしそうな目をしてアカツカ少年の前にしゃがみ込み、

真っ直ぐ目を見てこう言いました。

「お前、大丈夫やで。

いややったもんな、あんないやな連中とこ行って。

ようがんばったわ。

偉かったな。

お前は、何も悪ないで。

・・・お前、大丈夫やで。

生きてるだけで素晴らしいんや。

 これからな、オモロイこといっぱいあるで。

いっぱい友達できるで、大丈夫やで」

さ、帰ろ、とそのおじさんはアカツカ少年を家の方に連れて歩きました。

そうです、

そのおじさんはへそ道のセッションの中で、時空を超えてやってきた未来の赤塚だったのです。

へそが天につながった。

自分が自分を助けに行った。

あの日、へそ道をうけて、小さな子どもを見つけて助けに行かなければ、
私は死んでいたでしょう。

始まりも終わりもない、時間も超越した世界にへそがつながった。

8歳のアカツカ少年は、おじさんに会ったことを覚えていました。
おじさんに勇気をもらい、家に帰り、

「お母ちゃん、ただいま。面白かったわ」
と言えたのですから。

しかし、それが56歳のへそを天につなげた自分だとは思いもよりませんでした。

28歳の時、自殺した血の海のなか、助けに行ったのも私でした。

妻の身体を借りて、3階のマンションの隣の部屋から窓伝いに飛び移り、救いに行ったのです。

私は、私をあきらめなかったのです。

今世やらなければならないことに目覚めるまで、通らなければならないことを通していただいたのです。

死んでも死なない命の中を、生かされて、イスラエルを通して聖書を学び、ヤマトの神話から皇の道へと導かれてきたのです。

いま、全てを肯定できます。

生まれてきてよかった。

産んでくれた両親にただ感謝です。

未熟だった両親を神様のように思っていましたが、

自分が歳をとってみて、親も一人の迷える人間であったことがよくわかります。

何かにならなくてもいい、

そのままでいい。

このままの自分で生きる。

生きてることが素晴らしいのです。

今日ここまでの赤塚高仁の最大の功績は「死ななかったこと」

そして、ここからの赤塚高仁の仕事は「生きてゆくこと」

いじめはいけません。

世界平和や地球環境問題を話すことは誰にでもできること。

でも、大事なことはまわりの人を喜ばせること。

幸せとは、自分の周りが幸せな人で満ちていること。

笑顔の花が咲いていること。

隣の人が悲しい時は、一緒に涙を流す。

 生きている限り、いつまでもそうやっていたいと思うのであります。

生まれただけで、すごいんだから。


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