プラトン『国家』第7巻ー「ほんものの教育」とは? | 森田明彦 オフィシャルブログ

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Soul Searching Navigator. 国際コーチング連盟認定プロフェッショナコーチ(英語)。博士/名誉教授。外交官、国連職員、国際NGOディレクター、大学教員を歴任。イスラエルに4年、米国ニューヨークに3年在勤。主著『世界人権論序説』(藤原書店、2017年)。

この巻は「洞窟の比喩」で有名です。

 

地下の洞窟で人間たちは奥の壁しか見ることができないように手足も首も縛られています。

人間たち(囚人)の背後には火が燃えていて、その火と囚人の間には低い壁があり、その上に石や木や人間やその他の動物の像が差し上げられ、運ばれていき、囚人たちは火の光で投影されたそれらの影しか見ることができない状態に置かれています。

この状態で囚人たちはそれらの影を「真実のもの」と認識するでしょう。

ここで、囚人の一人が強制的に縛られた状態から解放され、火の光を見るように強制され、さらに洞窟の外に連れ出されたら何が起こるでしょうか?

これまで暗闇に慣れた囚人は最初は目がくらんで何も見えないでしょうから、最初は影を見て、それから水面に映る人間やその他の映像を見て...という順序で、やがて夜空の星や月を見て、最後には日中の太陽を見れるようにするのが適当です。

すると、この元囚人は太陽そのものを観察できるようになり、「この太陽こそは、四季と年々の移り行きをもたらすもの、目に見える世界のおけるいっさいを管轄するものであり、また自分たちが地下で見ていたすべてのものに対しても、ある仕方でその原因となっているものなのだ」ということを理解するようになります。

その結果、この元囚人は地下の洞窟に囚われている他の囚人たちを憐み、彼ら同士が与え合っている(影に過ぎない)名誉とか賞賛を求めるような気持ちを失い、地上で生きたいと切に望むようになるでしょう。

仮に、この元囚人が再び洞窟に戻って他の囚人たちに真実を伝えようとしたり、彼らを解放して洞窟の外に連れ出そうと試みれば、彼は殺されることになるだろうというのがこの物語の骨子です。

 

ここでプラトンが伝えようとしているのは、ソクラテスのような最もすぐれた人、知恵と正義において比類なき人ですら、彼の住む国家社会が立派でなければ、その力を発揮できないばかりか、命を奪われることがあるという厳しい現実認識と、より良い国家社会を実現するための手段としての教育はどうあるべきかという提言です。

 

プラトンは「教育」とは知識のない魂(人間)に知識を注入することではなく、ひとりひとりの人間が持っている「真理を知る」力を引き出すことなのだと述べています。

目を暗闇から光明に転向させるには囚人を身体まるごと洞窟の外に連れ出さなければならなかったように、本来誰もが持っている「真理を知る」力を引き出すには、魂全体を変転する影(現象)の世界から、実在の世界へと連れ出し、彼らが「実在のうち最も光り輝くものを観る」ことができるようになるまで導くことが必要であり、それこそが「ほんものの教育」なのだとプラトンは述べているわけです。

 

わたしは「ほんもののリーダー」とは「自分のコトバで話すことができて、その結果、人々がそのリーダーのミッションやビジョンに共感し、その実現に向けて共に進もうという気持ちを生み出すことができるひと」のことだと思っていて、そのため(自分のコトバを持つ)には「自分をより深く知ること」が必要だと考えています。

 

プラトンのコトバで言えば、「真実=善」を知る力を人々から引き出すことが「ほんものの教育」ということになると思います。

 

コーチングはリーダーとなることを目指すひと(「人の上に立ちたいと思っている人」のことではありません)に対して、その人だけのリーダーシップ力、その人だけのオリジナルなコトバを創り出すことをサポートする技法であるとわたしは考えています。