テレサ・テン『私の家は山の向う』。
数日前からこの曲が耳から離れず、
ネットを徘徊してたら、
テレサ・テンの日本での最後のテレビ出演が20年前、
1994年11月この仙台での公開収録だったことを知った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3
テレサがタイで客死してから来年で20年になるが、
彼女の歌声の美しさはいまだに古びていない一方で、
彼女が夢みた、山の向うの我が家にいまだ帰れない人々が、
台湾や香港だけでなく、世界中にいる。
福島・双葉郡の人たちをはじめとした原発避難民もまた、
例外ではない。
ナチス政権ともつながりのあったドイツの政治学者K.シュミットが
言ったとされるように、
政治的なものがあらゆる領域に必然的に浸透していくのが
20世紀以降の特徴だとしても、
そこから炙れた人々、
避難民、亡命者、無国籍者の立場から考察していくことこそが、
21世紀に生きる僕たちの使命じゃないかとも思うし、
そういう意味ではこの曲は
そうして生きようとする人たちのためのテーマソングとも
言えるのかもしれない。
数日前からこの曲が耳から離れず、
ネットを徘徊してたら、
テレサ・テンの日本での最後のテレビ出演が20年前、
1994年11月この仙台での公開収録だったことを知った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3
テレサがタイで客死してから来年で20年になるが、
彼女の歌声の美しさはいまだに古びていない一方で、
彼女が夢みた、山の向うの我が家にいまだ帰れない人々が、
台湾や香港だけでなく、世界中にいる。
福島・双葉郡の人たちをはじめとした原発避難民もまた、
例外ではない。
ナチス政権ともつながりのあったドイツの政治学者K.シュミットが
言ったとされるように、
政治的なものがあらゆる領域に必然的に浸透していくのが
20世紀以降の特徴だとしても、
そこから炙れた人々、
避難民、亡命者、無国籍者の立場から考察していくことこそが、
21世紀に生きる僕たちの使命じゃないかとも思うし、
そういう意味ではこの曲は
そうして生きようとする人たちのためのテーマソングとも
言えるのかもしれない。