昨日は出版社の広報担当者さまと

打ち合わせでしたコーヒー

 

実はこのお方、

テレビ番組時代に一緒に

お仕事していた先輩なのですが、

彼は映像業界からPR業界へ転向。

今は本の出版やそのPR、

メディアに企画を提案する側

お仕事をしています乙女のトキメキまじかるクラウン

 

先輩から取材関連の相談を持ちかけられ、

打ち合わせをすることに花

子どもも冬休みということで、

上の娘コティだけ連れて行きました。

場所はコメダ珈琲コーヒー爆笑

 

 
フリーランスの自由業だと、
子連れ打ち合わせも
柔軟に対応して頂けるのがありがたいニコニコ
(しかも元先輩だから
子連れについても相談しやすい)
 
 
先輩と私が仕事の話をしている間に、
コティがすかさず
会話にまざってくるタラーガーン
マジでめちゃくちゃしゃべるうずまき
でも先輩には柔軟に対応して頂き、
仕事も良い方向にまとまりそうですウインク
 
 
娘が鬼滅コラボの
ドリンクを飲みたがったので注文パフェ
でかかったびっくりアセアセアセアセ
 
 

最後の方は

完全に先輩に遊んで頂いたダッシュダッシュ

プリキュアのパズルをしている(笑)

 

仕事の話もまとまり、

本もたくさん頂き、

出版業界の話も聞けて

娘と遊んで頂き、

充実した時間でしたスター

 

その後、もうおひと方

会いたかった記者時代の先輩にも

久々にプライベートで

再会できました照れ

 

そこでも仕事の話になって、

さらに仕事の幅が広がりそうですキラキラ

 

コーヒーコーヒーコーヒー

 

2021年を振り返って感じるのですが、

この一年は

昔の仲間との縁が復活して、

【昔やってきたことと、

フリーランスになって

新たに始めたことの融合】

みたいなことが起こり始めました電球

 

これは本当に不思議でキョロキョロ

自分から必死で仕事探しをしなくても、

「これやってみない?」

「これお願いできない?」

と相談されて仕事が頂けたり、

逆に私が仲間や知人に

お仕事や人を紹介する

ということが増えましたクローバー

 

そしてこうしたことは、

約5年前に東海地方に引っ越して

正社員→無職→フリーランスに

転向していなければ、

起こり得なかったと思います。

今の私だから対応できる。

 

正社員時代は正社員時代で、

必死に一生懸命

仕事しているつもりでした。

でもフリーランスになってから

一人放り出されて、

「テレビ○○」という

大きなマスコミの看板も捨てて、

たった一人で

仕事をしなければいけなくなってから、

私は格段に

仕事に対して

厳しくなった気がします。

 

意識して厳しくなったのではなく、

そうせざるを得なかったのです。

フリーランスとして

仕事を貰うためには、

厳しくならざるを得なかった。

(どんな仕事も片手間で楽々!というのは

あまりないと思いますが)

 

今の自分が

正社員時代の自分を振り返ると、

めちゃくちゃ甘かった雷

 

取材は必ずあてがってもらえ、

毎月安定したお給料も頂け、

とにかく全て

お膳立てしてもらえていた。

必死でネタ探しや企画を考えなくても

毎日何かしら取材はあり、

「来てください〜」

お願いしてもらえる。

 

企画出しにしても

記事の内容や校閲にしても、

今はとにかく

一人で全て

やらなければいけないので、

自然と細かくチェックするようになった。

 

そしてクライアントに対して

主張や発言もするようになった。

自分のやってきたことを

積極的に相手に伝えるようになった。

 

そうしないと

仕事で評価をしてもらえないし、

仕事を頂けない。

 

こうした経験を通して

昔の仲間と再びつながって、

新たに出会った仲間・仕事も

さらに和が広がって、

不思議な融合が起こり始めているクローバー

 

今の自分だから

「それ、なんとかできるかもです」

「こういう展開ならやれそうです」

と提案できるのだし、

自分の周りにいる素晴らしい人たちを

紹介することができる。

 

フリーランスになったばかりの頃は

こんなこと考えられませんでした。

 

5年前、東海地方に引っ越して

ワンオペ育児と

フリーランスの両立が始まってから、

本当によく泣きました。

特に東海地方時代の3年間は辛かったショボーン

 

ライターはただでさえ門戸が広く、

たっくさんの人が

ライター業をしています。

単価もピンキリです。

 

安い単価でボランティアのような仕事を

させられそうになったり、

音信不通になったクライアントもいたし、

バイトライター扱いされて

横柄な態度をとられたり、

「子どもがいるから」という理由で

仕事が突然なくなったこともあります魂

 

悔しい思い、

情けない思いをたくさんしました。

 

「女性は子育てが一番の仕事」

という言葉もよく言われました。

本当に何もかもうまくいかず、

「やってられるか!」ってことが

山ほどあったピリピリ

 

悔しくて悔しくて。情けなくて。

 

でも、今は思う。

 

あの苦しい

東海地方時代の3年間を耐えて

それでも腐らずに

フリーの道を続けた。

書くことを辞めなかった。

 

それは正しかった。

今本当にそう思います。

 

私は根っからの仕事人間ですが、

そんな私でも東海地方時代の3年間

仕事への気持ちがぶっ壊れ、

どうしようもなく落ち込み、

これまでのキャリアも

全て無駄に感じましたもやもや

 

でも、

書き続けてよかった。

 

東海地方時代に始めた

フリーランスという働き方が、

確実に私を強くしてくれた。

だから今がある。

 

そして

これまでやってきたことが

全てつながって、

新たな仕事が生まれている。

そう思います。

 

ありがたい縁を大切にして、

良い方向に進むように

今後も取り組んでいこうと思います桜